北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

海上自衛隊 舞鶴基地 護衛艦隊集合訓練 2006.4.23

2007-04-20 14:40:32 | 海上自衛隊 催事

■護衛艦隊集合訓練一般公開

 海上自衛隊が年に一度実施している護衛艦隊集合訓練であるが、集合訓練撮影第一日目及び、護衛艦隊集合訓練夜間電飾に続き、一般公開の第二日目の撮影を本日特集したい。

Img_1455_1   2007年度呉基地護衛艦隊集合訓練にあわせるかたちで、2006年度舞鶴基地護衛艦隊集合訓練を特集しているが、集合訓練一番の見所といえば一般公開の行われる週末である。一部の艦艇は艦内公開もしており、一度に多くの艦を見学することが出来る。

Img_1357_1  舞鶴フェリー埠頭より撮影。左からDDG176“ちょうかい”、DD103“ゆうだち”、DD110“たかなみ”、そして潜水艦が係留されている。23日はC.ジョニー氏一行も長躯舞鶴に展開し、合同調査というかたちとなった。こういうわけで、Tさんの車輌に便乗させていただき、昨日の徒歩とはうってかわり瞬時にここに到達することができた。

Img_1368  その一段後ろ、海側(右側)からASE6102“あすか”、海上自衛隊最大の試験艦で満載排水量は6200㌧、そして先日紹介した、“くらま”、“しらね”、“はるな”と並んでいる。その後ろにはミサイル護衛艦(DDG)が四隻並べられている。

Img_1369  四列目、の艦艇、汎用護衛艦である“あさぎり”型が並ぶが、その一番海側にはATS4203“てんりゅう”が停泊している。満載排水量2750㌧の訓練支援艦で、8機の高速標的機を搭載し、4機を同時管制できる。護衛艦隊直轄艦として、僚艦の“くろべ”とともに呉基地を母港とする。なお、“てんりゅう”はイージス艦に対する訓練支援能力を有していることを特筆したい。

Img_1387_1  舞鶴基地北吸桟橋の全景。なお、舞鶴基地について詳しく書かれた世界の艦船通巻478によれば、この北吸桟橋は舞鶴基地のほんの一部であり、その向こうの山には舞鶴地方総監部、対岸の造船所の向こうには舞鶴航空基地や水雷調整所、第四海上訓練指導隊、撮影地の裏手には松ヶ崎の舞鶴教育隊や自衛隊舞鶴病院、東港側には白浜、乙島の火薬庫と舞鶴湾に岩子火薬庫などなどの施設があり、主要な20以上の施設を総称したものが、海上自衛隊舞鶴基地と呼ぶようだ。

Img_1376_1  ユニバーサル造船舞鶴造船所前に停泊する輸送艦“おおすみ”、海上自衛隊初のドック型揚陸艦方式の輸送艦のネームシップで、現在3隻が運用されている。満載排水量は14000㌧に達し、国際貢献任務の増加する海上自衛隊にとり重要な艦の一つといえる。

Img_1398_1  映画“亡国のイージス”により一躍有名となった、イージス護衛艦“みょうこう”、映画で破損した部分を修理中、というわけでは全く無いが、ユニバーサル造船舞鶴造船所にドック入りし定期整備を実施している。ユニバーサル造船には大型の船舶は入渠できるドックと、船台を一つずつ有している。本州島の日本海側には、三菱重工下関造船所や函館どっく函館造船所を除き大型船舶用の造船所が無い為、貴重である。

Img_1441  こうして、一通りの撮影をしてのち、いよいよ舞鶴基地へ。自動車用駐車場は、舞鶴市役所と北吸桟橋西側にかなり広い駐車場があり、駐車して後、基地に入るための手荷物検査などを経て意気揚々と基地に入る。丁度天候も青空がのぞいている。

Img_1445  昨日同じアングルより撮影したものであるが、天候が良いと心なしか写る艦艇も活き活きしているように見えてくる。DD153“ゆうぎり”のマストには従来型の金網のようなOPS-14対空レーダーが搭載されているが、DD156“せとぎり”とDD158“うみぎり”には板状の新型、OPS-24B三次元レーダーが搭載されている。

Img_1429 輸送艦“おおすみ”を桟橋より望む。航空母艦のような形状の甲板があるが、ここは前部が車輌甲板、後部が飛行甲板である。しかし、スマトラ島沖地震津波災害に際して、車輌用エレベータと艦内車輌甲板にローターを外した陸上自衛隊のUH-60JAを搭載したことから、折畳式ローターを有するSH-60J/Kも搭載は出来たりするのかな、と想像したりする。

Img_1457  “むらさめ”型の3インチ砲(手前)と、“たかなみ”型の5インチ速射砲、海人社の“艦載兵器ハンドブック”によれば、3インチ砲は砲弾重量6kg、発射速度毎分85~100発、射程12kmで砲重量8㌧、旋回速度毎秒60°、5インチ砲は砲弾重量31.7kg、発射速度毎分45発、射程16kmで砲重量37.5㌧、旋回速度毎秒40°とあるから、前者は対空用、後者は対地対水上に向いていることが判る。

Img_1463  イージス護衛艦“ちょうかい”。ガスタービンエンジンの特色である排気用ダクトによる巨大な上部構造物が印象的である。なお、本艦の出力は100000馬力であるが、あの戦艦“大和”が推進方式こそ違えど150000馬力、その次に大きい戦艦“長門”で80000馬力である(重巡クラスだと普通であるが)。

Img_1573  “ちょうかい”艦橋からヘリコプター護衛艦である“はるな”、“しらね”を望む。設計思想も用途も全く異なる艦艇であるが、その根底にある設計哲学の発展を見る感じである。他方で、一部の艦船専門家の意見を引用すれば、“はるな”型や“たかつき”型にあった、日本型というべき設計の独創性が近年失われているのではという声も無いではない。

Img_1467  艦艇を一通り撮り終え、舞鶴地方総監部の方へ足を運ぶ。舞鶴地方隊というと、護衛艦3隻を運用する第24護衛隊、掃海艇3隻を運用する第44掃海隊を思い浮かべるが、それだけが地方隊というわけではない。教育、後方支援全てを含め、日本海の沿岸警備を遂行させる能力を付与する為の多くの装備が地方隊を構成している。

Img_1471  地方隊とは艦艇部隊の他に警備隊、基地業務隊、衛生隊、弾薬整備補給所、造修補給所、音楽隊より編成され、舞鶴警備隊には陸警隊、港務隊、水中処分隊、そして舞鶴地方隊の場合は他に新潟基地分遣隊が置かれている。人員は、世界の艦船通巻478号の数字から、陸上勤務要員約800、掃海艇定数が完全充足で一隻40~45名×3隻、ミサイル艇が乗員21名×3隻、護衛艦“みねゆき”“はまゆき”が200名、“あぶくま”が120名(いずれも完全充足時の定員)である。

Img_1478  ミサイル艇PG824“はやぶさ”とPG828“うみたか”。対岸で整備中のPG825“わかたか”と併せ、舞鶴警備隊第二ミサイル艇隊を構成する。ちなみに当初の構想では、各地方隊に二個ミサイル艇隊を編成するというものがあったようだ。

Img_1556  護衛艦“はるな”、背負式に並ぶ二門の5インチ54口径速射砲Mk42が頼もしい。砲弾重量31.75kg、発射速度毎分17~34発、射程22kmで旋回速度毎秒25°。シースパローのような短SAMが標準装備になる80年代半ばまでは、この5インチ砲が対空戦闘で重要な役割を担ったが、同時に一門あたりの重量が58.6㌧あり、これが二門となると弾幕は凄いが重量も凄いことになる。なお、連装砲の給弾装置を流用した設計である為二つの給弾装置に各20発ずつ砲弾を内臓しているが、同時使用は故障が少なくない為、毎分28発程度で使用することが多いようだ。

Img_1502  5インチ砲の後ろに配備されているのは、“むらさめ”型以前の艦艇では標準装備であったアスロック。対潜ミサイルと紹介されることが多いが、Anti Submarine Rocketの略である。ただ、弾頭はMk46Mod5などの誘導魚雷である為、誘導装置を有するロケット(つまりミサイル)といえなくもないとか。ヤヤコヤシイ。

Img_1522_1  航空機格納庫。ヘリコプター3機を運用できるが、着艦を支援する着艦拘束装置ベアトラップ(ヘリの着艦部分を虎鋏のようなものでガッチリ固定するもので、これを使うと荒天時でも着艦できる)が二機分しか無い為、最後のは手押しで格納庫に収容するとのこと。

Img_1532  “はるな”より撮影した“しらね”、飛行甲板にはSH-60Jが置かれている。順次グレーを基調としたロービジ塗装に移行中であり、こうしたカラーのSH-60Jは姿を消してゆくことになろう。対潜哨戒の他、機銃を用いた工作船制圧任務なども付与され、新型のK型はミサイル運用能力を用いてミサイル艇対策にも用いられるとのことだ。

Img_1612  さきごろ退役した護衛艦隊旗艦“たちかぜ”。本艦の退役を以て在来型ミサイル護衛艦は5隻から4隻となり、“あたご”の就役によりイージス艦は4隻から5隻となった為、名実共に、艦隊防空の中枢はイージス艦の任務となっている。

Img_1623_1  続いて、舞鶴西港へ。前日は西舞鶴駅から徒歩で展開したが、距離があるので注意が必要だ。ここでは4隻の護衛艦が停泊しており、このうちDDG172“しまかぜ”とその隣に停泊するDD102“はるさめ”が一般公開されていた。距離もあってか見学者は疎らであった。なお、西港の“しまかぜ”を含め、この集合訓練には在来型ミサイル護衛艦5隻全てが勢揃いしていることになる。

Img_1633_1  “しまかぜ”より“はるさめ”を撮影。汎用護衛艦とはいえ、満載排水量は6200㌧に達し、ジェーン年鑑では本型をミニイージス艦と評したこともあるとのこと。なお、マストから艦首にかけて伸びている線は夜間電飾用の電球で、電球が切れていないかについての点検が大変とのことだ。

Img_1646_1_1  3インチ砲と艦橋。艦橋構造物には、20㍉高性能機関砲Mk15が搭載されている。通称CIWS,最大射程は4500㍍(ただし有効射程は1850㍍程度ともいわれる)、毎分3000発の炭化タングステン弾を発射し弾幕を張る。対艦ミサイルに対する有効な対策の一つといわれているが、近年は低空超音速対艦ミサイルの普及が始まっており、より射程の長い装備も望まれる。なお、対水上射撃も可能な新型も配備中である。

Img_1698  舞鶴西港に停泊する海上保安庁の巡視艇。400隻以上の警備救難業務用船を有し高い警備救難任務能力を有する海上保安庁があってこそ、海上自衛隊が対水上対潜対空戦闘に専念できるという意味で重要だ。写真は“すずかぜ”型巡視艇64番艇の“ゆらかぜ”。満載排水量19㌧ながら、30ノットの快速を誇る主力巡視艇である。

Img_1704_1  能登半島沖工作船侵入事案を受け建造された“つるぎ”型巡視船“ほたか”。重火器での攻撃を想定し、設計時よりダメージコントロールに考慮された巡視船で、管制式20㍉多銃身機銃を搭載、重要部分には防弾鋼板により装甲が施され、速力は公表値で“40ノット以上”、50ノット以上とも一部でいわれている。しかし、その分価格も高く、長大な海岸線にたいして本型の配備数は少ない。

Img_1715  佐世保地方隊より参加したDD128“はるゆき”と、第三護衛隊群第七護衛隊のDD155“はまぎり”の横をゆく巡視船“わかさ”。1000㌧型として28隻が3年4ヶ月で大量建造された“しれとこ”型巡視船の一隻だが、一番新しいものでも1982年3月の就役であり、一斉に老朽化を向かえ、その代替整備予算の捻出が、海上保安庁の悩みときく。

Img_1732  こうして、思いがけないものも含め、二日間にわたる護衛艦隊集合訓練見学が一段落した。現在実施中の呉基地護衛艦隊集合訓練の見学に、昨年度の集合訓練の様子がどの程度参考となるかは不明ながら、多くの艦を一度に見学するには最適の機会であることだけでも、お知りいただければ幸いである。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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海上自衛隊 護衛艦隊集合訓練 夜間電飾 2006.4.22

2007-04-19 22:22:23 | 海上自衛隊 催事

■護衛艦隊夜間電飾

 神戸のルミナリエは、一言では語れない美しさがあるが、海上自衛隊の艦艇夜間電飾も、光のトンネルを潜ることはできないが、水面に反射する電飾が幽玄な空間を演出し、その魅力を文章で語るのは難しい。

Img_1376  2006年度における護衛艦隊集合訓練でも、毎夜毎に艦艇の夜間電飾が行われ、洋上に浮かぶ灯火の城郭群は市民の目を楽しませた。しかし、自衛隊観艦式横須賀夜間電飾と異なり、舞鶴は交通の利便の関係もあり、撮影できたのは近傍にお住まいの方か、自動車で展開された方、宿をとられた方くらいではなかろうか。

Img_0863_1  護衛艦隊集合訓練4月22日撮影を終了して後、小生は宿に荷物を置き、一息したのちに再度、夜間電飾を撮影するべく舞鶴基地へと出発した。基地に近いJR東舞鶴駅周辺で宿をとったこともあり、徒歩でも充分展開することが出来、まずフェリーターミナル埠頭から撮影を行う。

Img_1338  東舞鶴駅から1km程、フェリーターミナルより撮影、夜間ともあり満ち潮で埠頭に飛沫が飛ぶ中、少なくないファンがカメラの砲列を並べていた。北吸係留所、第三護衛隊群司令部前、舞鶴補給所前にまで艦艇が係留されている。なお、山の頂上にみえる灯火は五老タワーである。

Img_1350_1  画像補正が厳しすぎる一枚であるが、手前には舞鶴造修所に油船が係留されている。その向こう側にはヘリコプター護衛艦が三隻並べられている。シャッター速度1秒と比較的早い為(例えば上の写真の場合、13秒)、補正が必要になっている。

Img_1364  舞鶴警備隊の埠頭越に撮影した写真。ちなみに、ミサイル艇は警備隊所属であるが、ミサイル艇は埠頭は別のところに係留されていた。毎週末に埠頭が開放されており、自衛隊桟橋として観光名所となっているが、その際にもミサイル艇は北吸桟橋に係留されていた。

Img_1366  掃海艇桟橋より撮影。立ち入り制限なのでは、と思われるかもしれないが、この場所、実は舞鶴市役所と煉瓦博物館の通路に当たる場所であり、自由に立ち入ることが出来る。小生は手摺の間からレンズを出し撮影したが、中には長い三脚と脚立(というよりは梯子)を用いて柵越しに撮影している人も居た。

Img_1371  掃海艇桟橋の掃海艇を中心に撮影。2隻の掃海艇が係留されているが、距離が近いこともあり中々大きい。なお、この時間帯は北吸桟橋が立ち入り禁止となっているため、最も艦艇に近寄れる場所として貴重であるといえよう。

Img_1373  昼間に撮影した高台より撮影。満載排水量で6800㌧の“はるな”、7200㌧の“しらね”、“くらま”が係留されており、ヘリコプター格納庫という大きな上部構造物もあり、大きく見える。また、夜景ならではの煌々とした灯火に、昼間撮影した写真とは全く異なる印象を受ける。

Img_1375  イージス護衛艦“ちょうかい”、第四護衛隊群第64護衛隊に所属し、満載排水量は9500㌧、この当時は海上自衛隊最大最強の護衛艦である(今日では満載排水量10000㌧の“あたご”型イージス護衛艦が最大の護衛艦である)。

Img_1387  137~161㍍以上の艦艇が四隻×四隻、間隔も開けられているので長さにしてざっと900㍍はあろうか。所代わり、舞鶴地方総監部と舞鶴基地北吸桟橋の中間にある歩道橋より撮影。手前の木々は桜で、あと一週間早ければ、文字通り“桜に錨”という情景を楽しめたはずである。

Img_1402  2015時より撮影を開始して、時計をみると既に2155時、2200時消灯であるから、いよいよ小生も撤収時である。夜間電飾は基地内に立ち入ることはできないものの、基地を望見できるところは意外と多く、散策しつつ撮影というものは楽しいものであった。さて、去る18日より海上自衛隊呉基地において護衛艦隊集合訓練が行われているが、ここでも夜間電飾は行われている。百聞は一見に如かずとの言葉が示すように、見てこその夜間電飾であると納得し、ホテルへ引き上げた。

HARUNA

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京都市内・大阪梅田周辺大型書店書籍探索紀行

2007-04-18 12:12:57 | 旅行記

■書店順行

 今日ではWebによる資料収集は非常に容易になったが、他方で学術研究におけるWeb利用は規定上、引用が難しいということもあるが、情報収集の手段といっても、資料そのものよりも資料の情報を収集する分野で用いられ、このほか、官公庁や論文のPDF文書を補完的に用いる程度であり、その主体は依然として書籍にある分野が多い。

Img_8368 しかしながら、書籍とは、余程売れているものを除き、研究書や専門書は、出版から五年ほどを経ると途端に入手が困難なものとなる場合も少なくない。だが、課題となれば、如何に入手困難であろうとも、入手するより他に無い。  

Img_8373  そうした理由で、小生はその書籍を入手すべく、書店に向かった。2002年に日本語訳が出された国際政治に関する書籍なのだが、多分、入手は容易だろうとの事で、河原町三条にある京都市屈指の書店に向かった。ジュンク堂BAL店は比較的新しいく出来た書店であるものの、特に研究書の類を含め充実している。

Img_8376  しかし、残念ながら店頭には無いとの事で、取り寄せになるという。Web注文であれば三日ほどで届くものが多いが、店頭注文ではそれより遅く、三週間ほどかかるものもある。今日明日中に入手したい小生はそのままジュンク堂京都店に向かう。

Img_8380_1  ジュンク堂京都店は、四条高倉バス停付近にあり、建物丸ごと書店という、これまた京都最大級の書店である。各階毎に専門書が集積されており、サービスカウンターが併設、したがって必要とする書籍を効率的に探すことが出来る。

Img_8384  期待して探すが、ここにも無い。河原町三条付近には比較的大きなブックファースト、四条河原町付近には洋書から万年筆まで揃う、丸善があったのだがあ、残念ながら閉店されてしまった為、河原町周辺で大型書店といえばこのジュンク堂である(大垣書店も烏丸御池駅の近くにあるけれども、専門書はほとんど置かれていない)。

Img_8397  入手の必要性が高かった為、そのまま京都駅に向かう5系統バスに乗る。河原町通りからならば205系統であるが、ジュンク堂京都店からは5系統が便利である、その共通点は両方ともこの近辺では超満員であるという点だ。

Img_8405  かつては、京都近鉄百貨店に旭屋書店があり、ここもかなり充実していた。経済系の書籍はジュンク堂京都店か、旭屋書店でよく見つけることが出来たが、と考えつつ京都駅を越える。新幹線乗り場のあたり、向こう側に目指す書店がある。

Img_8406_1  このアバンティの書籍売り場は、国際法の教授に中々品揃いが良いとお教えいただいたもので、ここも比較的規模が大きいものの、端末で調べると在庫無し、聞いてみても結果は同じ、残念ながらここでも入手することが出来なかった、困った、どうしようか。

Img_8572_1  考えても仕方がないので、そのまま大阪梅田を目指し、阪急特急に飛び乗る。阪急梅田へは特急電車の運行本数が多く、また烏丸~梅田390円と比較的安価でもありことから、京都~大阪でも気軽に展開できる(ちなみに京都~神戸は三ノ宮まで600円)。

Img_8581  梅田駅、大阪駅と、阪急、阪神、JR、市営地下鉄が乗り入れる文字通り交通の中枢、そこから地下道を利用し少し足を進めると旭屋書店がある。8階の書店で、京都では入手できない専門書も置かれていることが多い。

Img_8582_1  1階に新刊と雑誌、2階に文庫新書にDVD、3階に金融政治経済法律、4階に歴史宗教教育、5階に医療介護音楽、6階にコンピュータとDVD、7階に児童書、8階に鉄道と軍事、そんな書店であるが、探す書籍は在庫無し。

Img_8579_1  だんだん自信がなくなってきた。だめもとで、通りの反対側にあるブックファーストへ。駅前などに多い書店であるが、正直、河原町三条にあったものを除けば、そこまで品揃えが良い印象が無い。阪神百貨店のとなりにあり、行きがけに寄ったというものである。

Img_8586  端末で検索すると・・・、“在庫1”、・・・、うわ~アパム~弾持って来~い!間違えた、この本を出せぇ~、そんな感じで叫びたいほどである(叫んでないよ、念の為!)。1階に新刊・雑誌・文庫・新書、2階に専門書、3階に洋書や実用書があるが、大阪で漸く見つけられたのは嬉しい限りだ。

Img_8604  JR大阪駅でゆっくりと珈琲を楽しむ。探していたものが見つかったので心の余裕も大きい。京都から大阪へ、図らずも移動してしまったが、すぐに入手することが出来、早速、プレゼンテーションに向けて要約とレジュメの作成に取り掛かったということは言うまでも無い。以上が書籍探しの顛末である、お帰りはこちら。

HARUNA

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京都平野神社 散る桜、のこる桜も散る桜

2007-04-17 23:22:29 | 写真

■桜花ほぼ終了

 本日、平野神社の桜花開花状況を撮影した。ほぼ桜吹雪から葉桜となっており、やや肌寒い中で、仮設店舗の明かりだけが煌々と境内を照らし、桜の季節は終わりつつあることがみてとれた。

Img_9004  小生が平野神社を撮影し終えた頃、長崎市の伊藤一長市長が背後から銃撃され、重態となる事件があった。長崎市長銃撃と聞くと、政治テロの事件を思い出さずにはいられないが、本記事執筆時点の現行の報道では定かではない。一度だけお会いしたことがあるが、聡明な方で、歴史文化財の復興や平和の問題に精力的に取り込まれている方である。何とか一命を取り留めてもらいたいと切に願う次第である。

Img_8991  さて、平野神社の記事であるが、一分咲の時期と似た人通りの少なさがあり、気温も肌寒く感じられた。写真だけをみると今一度咲きそうな印象があるが、八重桜などの一部を除けば葉桜となり、これから射すような青空の季節となっていくのだろう。

Img_9007  本殿から桜並木へと向かう。一際輝く建物はお手洗いである(使用は2300時まで)。常夜灯が長時間露光により一際目立つ光を放っているが、それを照り返す桜花は、僅かに社殿に額づき、空を照らしているに留まっている。

Img_8969  模擬店舗の様子。露光過剰となった写真からは伝わらないが、閑散としている。しかし、カウンターにはビール瓶などが並べられ、一応営業はしているようである。他方で、通常の屋台は営業せず、シートで表を覆っているものが目に付いた。

Img_8984  児童絵画による灯路。その奥に見えるのは仮設店舗の情景である。幽玄とした光を放つ様子はもの寂しいが、仮設店舗が取り払われ、本来の境内となれば、かえってその清涼が好印象をもたらすものとなる。

Img_8974  西大路通りのバス停に向け足を進める。木々の色が、咲く前ではないことを伝えている。なお、この仮設店舗、屋根があり雨天にも強いが桜は余り見えないように思う。ただし、焼肉食べ放題など、店舗としての機能は常設店舗に引けをとらない。

Img_8970  灯篭と葉桜となった桜の木々。極僅かに花弁が枝を飾っている。

 平野神社の桜花開花状況は、北大路機関においても幾度か掲載し、いわば本ブログにおける桜花開花状況の指標として掲載したが、今年の平野神社桜花開花状況は今回が最後となろう。また来年も、平野神社の桜を特集したいと考える次第だ。

HARUNA

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京都大徳寺散策 電線地下化工事進む

2007-04-16 15:13:32 | 写真

■桜をさがし大徳寺へ 

 4月11日、今宮神社を散策した後、バス停に向かい北大路通りの坂を下る途上、白壁より除く桜花に誘われ、そのまま大徳寺に桜を探すべく立ち寄った。

Img_8537  京都大徳寺は、豊臣秀吉が織田信長の葬式を行った寺であるが、大徳寺は様々な寺院により構成されており、その歴史情緒溢れる通路は、市民の散歩道として親しまれている。また、今宮神社の参道とも繋がり、この関係でバスの利便性が良い。

Img_8535  大徳寺は、北大路通りよりみると決して大きくない印象をもたれる方もいるようだが、その敷地は歴史と同じように奥深いものである。写真は白壁の向こうより桜の花が日傘の如く歩道に涼を差し伸べている。北大路通りより撮影したもので、そののち大徳寺に入る。

Img_8542_1  考えてみれば、大徳寺の中は松の木が茂り、冬季においても青々とした並木が参道を覆うが、残念ながら桜花という季節の美しさは一部に限られている。

Img_8543_1  前回、大徳寺を撮影したのは、確か機材作動点検というものであったが、今回は機材は万事順調であったものの、残念ながら空には薄っすらと白雲がかかり、春の日差しを活かした写真撮影ができなかったという心残りが無いでもない。

Img_8544  大徳寺では2006年8月より電線の地下化工事が進められているが、工事は2007年7月までに終了する予定であるとの事で、考えてみれば電線のある大徳寺の情景というのも、撮影できるのは今の内であるのか、と考えてみたりする。

Img_8546_3  大徳寺における春の特別公開は、畠山義総が開いたものを前田利家が再興した興臨院が6月3日まで。そして織田信長が開き、織田信秀の菩提所、更に毛利家や小早川家の菩提寺である黄梅院が5月6日まで特別公開が行われているとの事である。

Img_8548  大徳寺駐車場の桜。

 昔は、庭石の巨石とともに鬱蒼と茂る木々の中にあり、夜間はライトアップされていたのだが、残念ながら周辺は大型バス用の駐車場へ工事が進められている。大徳寺拝観者の増加に対応するという主旨は理解できるものの、せめてこの一角は、と思うのは小生だけであろうか。

HARUNA

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陸上自衛隊 信太山駐屯地祭07 速報

2007-04-15 23:29:51 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

■信太山駐屯地創設50周年記念行事

 本日、大阪府にある陸上自衛隊信太山駐屯地において、駐屯地創設50周年記念行事が行われた。50周年ということもあり、様々な趣向溢れる行事であったが、今回はその様子を速報ということでお伝えしたい。

Img_8473_1  信太山駐屯地には、第三師団隷下の第37普通科連隊が駐屯しており、大阪府唯一の普通科連隊として、警備及び災害に備えている。第三師団の普通科連隊とは、指揮や任務支援を行う本部管理中隊、そして戦闘基幹部隊である複数の普通科中隊と、火力支援にあたる重迫撃砲中隊などから成る。

Img_8945_1  50周年ということもあり、昨年より多い戦車、航空機が参加しており、訓練展示における空包の発射数も非常に多かった。信太山駐屯地は1870年代に陸軍演習場として開かれたのが起源であり、旧陸軍砲兵隊、在日米軍の駐屯地を経て、陸上自衛隊の駐屯地となり今に至る。

Img_8653  駐屯地祭は、部隊整列、指揮官巡閲、指揮官訓示、来賓祝辞、観閲行進、野外音楽演奏、訓練展示、装備品展示という流れで行われ、訓練展示では閉所戦闘訓練の展示、特に第三戦車大隊本部管理中隊所属の96式装輪装甲車を用いた降車展開の展示が目新しいものであった。

Img_8933  実質的に、北大路機関の2007年度最初の自衛隊関連行事である。例によって例の如く当初は天候が危ぶまれたが、快復し、やや撮影位置に難があったものの良好な写真を撮影することが出来た。なお、検討の結果、今津駐屯地祭、春日井駐屯地祭などもフォトアルバムのみではなく詳報記事を掲載することとしたい。

 現地でお世話になりました、ひえ~様、ジョニー様皆々様、ありがとうございました。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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海上自衛隊 舞鶴基地 護衛艦隊集合訓練 2006.4.22

2007-04-14 15:49:01 | 海上自衛隊 催事

■舞鶴基地護衛艦隊集合訓練一般公開

 海上自衛隊の機動運用の中枢を担う護衛艦隊は、隷下にある四個護衛隊群艦艇により有事の際の艦隊集合を迅速且つ確実に行うべく、年に一度、横須賀、佐世保、舞鶴、呉、大湊基地の何れかにおいて護衛艦隊集合訓練を実施している。2007年度も、4月18日より呉基地において予定されているようだ。

Img_1263  2006年度の集合訓練が行われた海上自衛隊舞鶴基地は、京都府の北部、日本海に面した湾の奥にある。基地には、京都府を中心に、鳥取県から秋田県までの海岸線を警備する舞鶴地方隊、そして護衛艦隊隷下にあって機動運用を担う第三護衛隊群の旗艦、そして司令部が置かれている。

Img_0778  舞鶴基地へは、JR山陰線を京都から北へ、東舞鶴駅より徒歩である。快速は特急リレー号など例外的なものを除いて運行されておらず、乗り換えが非常に多い各駅停車では非効率である為、小生は京都から特急“たんばまいづる”号を利用し、東舞鶴へと展開した。

Img_0792_1  東舞鶴駅から、徒歩で20分程度、市街地の中心は商業港のある西舞鶴駅周辺のようで、海上自衛隊基地のある東舞鶴港周辺は舞鶴市役所など行政施設が置かれた他は静であり、文字通り要害堅固、舞鶴軍港という面影を保った基地であるとの印象であった。

Img_0796  護衛艦隊集合訓練ということで、基地内に簡単な手続き(氏名住所などを記入)し基地に入ると、そこは文字通り護衛艦隊集合、という情景である。例えば護衛隊群旗艦に搭載される背負い式5インチ砲だけでも正面から来客を向かえるように重なり空を睨んでおり、その左右には各種艦艇が勢揃いしていた。

Img_0842  写真は、舞鶴市役所と煉瓦博物館の間にある通路より撮影、掃海艇桟橋の向こうに艦隊が集合している。無言の圧力を持って外敵の来寇を抑止する、とは旧海軍の目標であったとのことだが、その精神は連綿と受け継がれていることがわかる。

Img_1089  続いて、山頂にある老人ホームに向かう道より撮影したもの。立ち入り禁止であるかどうか聞くのに、中々人と出会わず時間がかかったが、聞いたところ、問題ないとのことで、そのまま荷物(当時はデジカメ一式の他、データ保存用にPCを担いでいた)とともに登る。

Img_1090  撮影よりも荷物を担いで山頂を目指すという行動の自己目的化とともに足を進め、途中撮影したのが上の写真など数枚である。舞鶴基地には、ヘリコプター護衛艦が勢揃いし、イージス艦“ちょうかい”の姿もみることが出来た。

Img_1092  先ほど撮影した掃海艇桟橋。手前にある建物は水雷調整所であろうか。なお、掃海艇桟橋の向こう、フェリーターミナルへ向かう途中の入り口には舞鶴警備隊という表札がかかっていた。湾の向こう側には舞鶴航空基地があり、艦載ヘリコプターなどを整備している。

Img_0807  そして舞鶴基地へ。護衛艦隊集合君r年の一般公開とは、サマーフェスタや地方隊展示訓練と異なり、飛行展示も体験航海も無い為、地味な行事と思われる方がいるようだが、舞鶴基地にはみ出るかというほど(実際、何隻か西港にはみ出ているが)の艦隊はそう滅多にみれるものではない。

Img_1096  勢揃いした“あさぎり”型護衛艦。左から“ゆうぎり”(第三護衛隊群第7護衛隊:大湊に配備)、“せとぎり”(第三護衛隊群第7護衛隊:大湊に配備)、“うみぎり”(第四護衛隊群第8護衛隊:呉に配備)。その向こうには、訓練支援艦“てんりゅう”がみえる。

Img_1102  “あさぎり”型は満載排水量4900㌧の汎用護衛艦で、ガスタービン推進、哨戒ヘリコプター運用能力と、対空・対潜・対艦誘導弾を備えた護衛艦隊用大型護衛艦で、1988年から1991年にかけて8隻が就役、そのうち二隻が練習艦に種別変更された以外、全艦が第一線にある。

Img_1103_1  従来型ミサイル護衛艦4隻の勢揃い。とくに先日一番艦“たちかぜ”が退役したため、“たちかぜ”型護衛艦三隻が揃った写真は貴重である。“たちかぜ”型は艦隊防空に当たるミサイル護衛艦として1976年、1979年、1983年に各一隻が就役した。満載排水量は5200㌧で、主武装は後部に搭載されたMk.13スタンダードミサイル発射機である。蒸気タービン方式であり、イージス艦に比して見劣りするが、艦隊防空では内側の全般防空を担当するという。

Img_1104  舞鶴地方隊舞鶴警備隊第二ミサイル艇隊に配備される“はやぶさ”型ミサイル艇。左から“はやぶさ”“うみたか”。能登半島沖工作船侵入事案などを受け、暗視装置や重機関銃、複合艇の搭載など所要の設計変更を行ったミサイル艇で、満載排水量は240㌧、44ノットの俊足を活かし一撃離脱のミサイル攻撃を行う。

Img_1109  集合訓練一般公開では、一部の艦艇の艦内も公開されており、小生もタラップで一礼し早速乗艦。写真は76㍉62口径単装砲、射程16300㍍、発射速度は毎分80~100発で、対空防御などに大きな威力を発揮する。薬莢は砲身下より排莢されるが、そのスロープに安全用のカバーが被せられているのが見えるだろうか。

Img_1115_1  タラップを越え、隣の艦も見学する。右側に二つ並んだ樽のようなものは膨張式救命筏である。対して、左側に見える小型の船は連絡人部や軽物資の輸送にあてる搭載艇で、吊っているクレーン自体が海側に下ろされ、ウインチで上げ下げする。

Img_1133  ところかわって写真はヘリコプター護衛艦の格納庫。護衛艦“しらね”のものであったと記憶する。三機のヘリコプターを搭載可能で、SH-60J/Kを運用する。この為、機体の整備能力も陸上基地並の高度なものが揃えられており、特に海外派遣などにおいてのポテンシャルは大きい。

Img_1143_2  主翼を折畳まれた哨戒ヘリコプターSH-60J。HSS-2Bの後継として米海軍が運用するSH-60Bを基に開発された機体で、103機が製造、現在は艦載型と陸上型を合わせ84機が7個航空隊にて運用されている。

Img_1175  勢揃いしたヘリコプター護衛艦、手前から舞鶴基地の第三護衛隊群旗艦“はるな”、横須賀基地の第一護衛隊群旗艦“しらね”、佐世保基地第二護衛隊群旗艦“くらま”である。その奥には開発指導隊群直轄艦の“あすか”がいることが、FCS-3とマストの形状から知ることが出来る。

Img_1192  駐車場に向かう通路から“はるな”を一枚に収めようとして失敗、テレプラス機能があるとはいえ、18㍉広角レンズでもどうしてもフレームに収まらなかった為、斜めにして撮影。背負式5インチ砲、上部構造物、飛行甲板というヘリコプター護衛艦の構図がよく判る一枚である。

Img_1193  桟橋にやや戻り、ミサイル護衛艦と汎用護衛艦を撮影。手前が工事中であるため、重機などが写っているが、艦の大きさを知る対比物としてみると面白い。ところで、ここには格納庫などが建設されるのだろうか、基地の地上建造物は心なしか老朽化が目立つようで、艦艇以外の陸上支援施設も稼働率維持など重要な任務がある。

Img_1219  交通船2150号型(?)、出入港支援及び人員輸送に充てる第一種支援船に区分される。70年代の資料には、交通船は機銃と小型爆雷を搭載し、港湾哨戒にあてたとするものもある。基準排水量は50㌧、ディーゼル推進方式。向こう側の埠頭では、“はやぶさ”型ミサイル艇がブルーシートを被せられ整備を受けているのがみえる。

Img_1220  左から交通船2137型(?)、上陸用舟艇のような形状をしているが、事実同系統の交通船で“おおすみ”型に搭載を前提としたものもあるという。右は運貨船9号型の運貨船14号、7隻が現役にあり、50㌧の貨物を輸送できる。基地を管理する地方隊の地味ながら重要な役割の一旦を垣間見た、というところか。

Img_1242_1  護衛艦“はるな”を撮影しようとアングルを決めている途中、護衛艦“ちょうかい”より行進してバスに向かう隊員の一群と出合った。“たちかぜ”の前に“護衛艦隊専用バス停”があり、ここから休息に市内へ向かうのだろうか。ちなみに市内は“護衛艦隊入港歓迎”のポスターや垂れ幕で一杯であった。

Img_1277  護衛艦見学。なんというか、先日近海練習航海舞台神戸入港の歓迎行事の様子をお伝えしたが、そこでも児童がこのタラップで一瞬立ちすくむ情景があった。小生も、ここでカメラ落としたらおしまいだな、と思ったりもした(転落防止用のネットは張ってある)。

Img_1266  記憶が定かでは無いが、“はるな”の格納庫だと思う。そこにはインド洋とアラビア海において現在も展開中である対テロ作戦支援任務を強調するものがある。決して平穏とはいえない周辺情勢に配慮しつつ、遠くアラビア海に常時補給艦を中心とする部隊を常時展開させるのは並ならぬ努力が必要だ。

Img_1281  イージス護衛艦“ちょうかい”のVLS。垂直に61発の各種ミサイルが搭載されている。発射するとブラストで黒く煤けてしまうが、数時間後には綺麗に清掃してしまうのが海上自衛隊である(煤は、中々落ちにくいという)。“むらさめ”型から搭載する対艦ミサイルが90式SSMとなったため、本艦が新造時において海上自衛隊最後のハープーン搭載護衛艦となる。

Img_1288  護衛艦“はるな”は、1973年就役の海上自衛隊最古参の護衛艦であり、今年度を以てその栄光の航跡に幕を閉じることとなる。蛇足ながら、2006年4月1日までの“はるな”の針コプター無事故記録は着艦回数で5120回に達するとのことである。

Img_1300  “ちょうかい”の列を撮影したいのであるが、基地内でそれをやると埠頭から海に落ちてしまう為、フェリー埠頭からの撮影にて妥協した。なお、埠頭にも写真のように、ぽっかりと穴が開いており、落ちることはなさそうだが、どういった用途で用いるのかに若干の興味がわく。

Img_1322  舞鶴基地での撮影をひと段落させ、列車で西舞鶴、そして商業港の西舞鶴港の艦艇を撮影に向かう。東舞鶴駅は一日に普通列車16本(敦賀方面は13本)、快速は4本(敦賀方面は運行無し)、特急が7本で終電が2153時(敦賀方面は2113時)であるから、夜間電飾などの撮影も細心の注意が必要であった。夜間電飾、23日撮影分は後日掲載する。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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京都二条城 月夜の桜は満開から桜吹雪へ

2007-04-13 11:07:43 | 写真

■二条城夜間特別公開は15日まで

 10日、二条城の夜景撮影に展開した。河原町三条、四条高倉、八条烏丸と所用あって飛び回ったため、事前に計画があったにせよ、装備軽量化の観点から、またしても三脚無し、ノートPCと研究資料を抱えての夜景撮影に展開した。

Img_8491  二条城の夜間特別公開は、4月15日の日曜日までであり、時期的に18日より開始される呉基地護衛艦隊集合訓練に呼応し、昨年の舞鶴基地護衛艦隊集合訓練を特集しようかとも検討したが、集合訓練は18日から、二条城夜間特別公開は15日まで、ということで先ず二条城を特集することとした。

Img_8411  二条城は、堀川御池からすぐのところにあり、京都駅からは9系統バスを用いて展開する。夜間特別公開では本丸や御殿などの公開は行われないが、ライトアップされた桜などが見ごろである、具体的には満開から散り始め桜吹雪となる過渡期という状況である。

Img_8447  灯路に導かれ、道を進むとそこは桜花の園であった。この二条城は、1603年に徳川幕府により造営され、その目的は京都御所の守護と、将軍上洛の際の宿泊所たる城郭を目指したもので、その後1626年の大規模な拡張工事により、現在の二条城の輪郭が出来上がったとされる。

Img_8423  唐門を望む。天守閣は残念ながら落雷により焼失している。本丸内には1847年に造営された桂宮御殿が移築されている。写真の唐門をくぐると広がる二ノ丸御殿は、武家風書院造を代表する建築物で、殿舎が雁行状に二ノ丸庭園の池に沿って建てられている。

Img_8426_1  二ノ丸御殿は、遠侍、式台、大広間、蘇鉄乃間、黒書院、白書院から成り、内部は、床の高さや天井、座敷形態などが各部屋毎に差異が付けられている。この他、欄間彫刻、飾り金具、釘隠が絢爛豪華なものとなっている。個人的興味としては再建計画進む名古屋城本丸御殿の完成後、改めて比較をしたいと思う。

Img_8448  何分、三脚が無いもので、アングルに制限があるが、PCバックを土台に、携帯電話や身分証入をレンズの下に置き角度調整し撮影、或いはベンチや手摺の上にカメラを置いてリモートシャッターにて撮影した。非常に制限あるものの、創意工夫により撮影を続ける。

Img_8442  私事ながら、今年は諸般の事情で時間がとれず、東山花灯路を撮影することが出来なかったが、二条城に灯路を見つけ、灯自体は花灯路ではないものの、夜桜と併せた、花と灯路を撮影することができたので、まあ良しとしたい。

Img_8462  足場を組んでのライトアップの情景。昼間では逆にこのライトの足場が情景から浮いてしまうかもしれないが、夜景には欠くべからざるものである。二条城では、シートを広げてのいわゆるドンチャン騒ぎ型花見は禁止されているため、純粋な意味で花見をすることが出来る。

Img_8458  満開の桜にあって、気になるのは人の入り、つまり城内の人口密度であるが、円山公園や平野神社がかなりの人口密度であり、続いて清水寺、そして二条城という印象である。何より、二条城は広大な面積を有し、小生が撮影していた限りでは混雑という印象は無かった。

Img_8463  右手では美大の学生の創作品展示が行われており、左手は土手を越えると水を湛えた堀があり、その向こう側が本丸となっている。二条城の天守閣は焼失前、どのようなかたちとなっていたかは興味が尽きないが、天守閣が燃え尽きたのが1750年といわれるから、その資料も限定的であろう。

Img_8473  他方で、二条城天守閣はその初期のものが、1626年の二条城拡張の際に伏見区の淀城へ移されたということで、無論、淀城も天守閣は跡地として往時の面影を残さないが、興味は尽きない。他方で、彦根城や加納城など木造天守閣の移築の例は多く、そちらにも興味がわくところである。

Img_8483  桜並木の下を潜り、閉城時間近付く中、足を速める。この二条城は、徳川家康が築いた最後の城郭と呼ばれるが、場所は異なるものの足利義輝、足利義昭が二条城という名前の城郭を築いており、その跡地散策などもいつか時間を見つけ、その他跡地をバスで巡る“跡地石碑ラリー”など、やってみたいものである。

Img_8477  画像補正が厳しいが、ライトアップの桜の様子。なお、この二条城は、1952年に二ノ丸御殿が国宝指定を受け、1994年12月15日には、ユネスコの“世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約”に基づき、“古都京都の文化財”として世界遺産リストに加えられている。

Img_8486  いよいよ2130時の閉城時間が迫っている中、既に閉ざされた大手門を撮影、フラッシュとスローシャッターの併用であるので、妙なブレ方をしているのはご愛嬌。さて、この二条城夜間特別公開は、冒頭にも述べた通り15日まで、入城料は400円である。一番桜が見事な時期、皆さんも一度城郭の夜桜をご覧になられてみては如何だろうか。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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京都今宮神社 春到来を知らせる安良居祭を終えた静寂

2007-04-12 22:18:48 | 写真

■祭りのあとの境内をゆく

 四月一日が日曜日であったことをつい忘れており、今宮神社で四月第二日曜日に行われる安良居祭を逃してしまったが、何となれ文字通り“あとの祭り”、では思い切って“祭りのあと”の神社を撮影するべく展開した。

Img_8529  夜景撮影の掲載が連日上げられる中で、午前中に若干の余暇を見つけ展開した。

 今宮神社は、大己貴命・事代主命・奇稲田姫命の三柱を祀る神社で、船岡山より北大路通を挟み北方に神社を構えている。

Img_8532  北大路通の坂道を下る途上、左手に見える鳥居が今宮神社への参道の始まりであり、その最中に大徳寺とも接する、歴史参道ともいうべき道である。

Img_8501  今宮神社には若干の桜が植えられているが、既に葉桜となっているものもある。阪急河原町駅などに掲示された開花状況では全て満開、一部が桜吹雪(散り始め)という表示が為されている。しかし、京都は広い、市内にもまだ満開を迎えていない名所もあるのではないだろうか。

Img_8503  さて、今宮神社だが、山門をくぐるとそこが駐車場となっているのに若干驚かされる。また、郵便配達のオートバイもそのまま入ってゆくので、事情を知らない方は驚かれるのではないだろうか、妙心寺にて宅配便の車を見かけたのと同じような違和感が面白い。

Img_8508  この今宮神社は、994年に建立された。そもそも神社の社殿は船岡山の頂上にあったものだが、1001年に今の位置に移されたという。疫病の神として信仰を集め、一条天皇が疫病鎮定の為に、ここで御霊会を修したという。

Img_8511  本殿は、過去に災害により破損し、現在の本殿は明治時代の1902年に再建されたものである。いつか失念したが、前回に訪れた際にはこの本殿は修理を行っており、春の日差しの下、こころなしか新鮮な印象を受けた。

Img_8512  今宮神社という名前であるが、そもそもここにはもともと素盞嗚尊を祀った疫神社があり、現在の位置に鎮座した際に、古い疫神社に対して、新しい神社といういみで、今宮神社と呼ばれるようになったという(船岡山頂上にあった時代の名前をご存知の方がいらしたら、お教え頂けると幸いです)。

Img_8513  今宮神社の祭事としては、四月の第二日曜日に行われる安良居祭がある。これは病鎮めの祭事であり、桜花の開花時期に併せて行われるとの事。京都の春の祭りの先駆けを為し、笛や太鼓の囃子に合わせ、飛び上がりながら、やすらい花や、と連呼し街を練り歩く、民族無形文化財指定を受け、京都三大奇祭の一つといわれている。

Img_8516  今宮の奇石、『阿呆賢さん』は古くから神占石ともいわれ、病弱な者が心をこめて石を撫で、その手で患部を撫でると健康の回復を早めるといわれた。また、重軽石とも呼ばれ、軽く三度打ち、三度持ち上げ、再度願いをこめて三度撫で、続き持ち上げたときに軽く感じれば、願いが成就すると言い伝えられている。

Img_8518  本殿の左手、様々な神社のご利益のある祠が並んでいる。写真右手の本殿に露出を合わせると祠が暗く、祠に合わせると本殿が過剰露出となるため、本殿に合わせ、同時にフラッシュを焚いた、丁度良い具合に双方に光量があたっている。

Img_8522_1  今宮神社には、地主稲荷社があり、御火焚祭が十二月上旬に行われるとの事である。家門繁栄安泰を祈祷するもので、御火焚串に氏名と生年月日を記す。郵便振替で祈祷することも可能とのことである。こうして、神社で清涼の中を散策した後、小生は共同研究室に戻るべく、足を進めた。

HARUNA

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京都東山 法観寺から桜咲く円山公園を経て八坂神社へ

2007-04-11 09:34:32 | 写真

■清水から八坂へ

 9日撮影した清水寺夜の特別拝観、撮影を終えバスにより帰路につくべく足を進めた。しかしそのまま帰ったのでは勿体無いということで、ちょうどNHKでもその様子が全国放送されたということもあり、枝垂桜満開の円山公園を通り帰ることとした。

Img_8350  円山公園は、一昔の人であれば市民運動の集会の場所として有名だとのことだが、考えてみれば小生には遠いこともあり中々行く機会も無く、特に最近は顕著である。思いつくところ昨年の桜の時期に友人のN氏と枝垂桜を眺めた以来のことである。

Img_8278  法観寺の夜景。白い水銀灯が夜空に聳えている。この写真は清水寺に行く途中に撮影したものである。祇園から八坂を通るのではなく、法観寺から清水に向かうので、毎回清水寺を撮影する祭にはこうした写真を撮影している。

Img_8281  前の写真から徒歩で三分ほど、同じ塔とは思えないほど五重塔は異なる印象を与えている。これはナトリウムランプを用いているのだろうか、東山花塔路ではこの道に灯が置かれる。降雨の後が光が反射し最も美しく夜を彩る。

Img_8297  そして一行は清水寺へ。この様子は昨日掲載した京都清水寺 桜花咲き誇る夜間特別拝観の様子をご覧いただければ幸いである。時間的にはぎりぎりの時間に展開したが主要なところを一通り撮影できたのでこれで良しとしたい。

Img_8343  さて、清水寺の撮影をした後円山公園へと向かう。京都らしい石階段の道もあったのだが、こればかりは三脚が無ければカメラを固定することも出来ないので撮影は断念。しかし、あの情景は夜間特別拝観の時期でなくとも大丈夫だろうし、ネ。

Img_8347  円山公園に向かう途上、陸標としているもの。三重塔?何と形容するべきであろうか、友人はこれをみて「何?教会?和洋折衷なのか?」という一言であった。これは今度じっくりと撮影したいものである。車道に面しており長時間露光ではテールランプが光の筋を描く写真を昨年は撮影した。

Img_8356  こうして高台寺の前を通り円山公園に到着。屋台が多く、カメラを設置する場所も無く、何よりも三脚が無いので撮影はISO800で撮影。この他、置ける場所を探して枝垂桜を撮影する。屋台が写ると情景が台無しになってしまうので、アングルも選びたい。しかし、なにより三脚が無いのが痛い。

Img_8365  円山公園と隣接した八坂神社。今年もオバケ屋敷の出店があったので思わず笑ってしまった。八坂神社も出店の置かれている参道と本殿のところは隔絶されており、雰囲気は壊さない。縁日のような印象というべきであろうか。

Img_8363  同じく八坂神社の情景。提灯に感光してしまうと全体が暗く写ってしまう為、調整した。長時間露光では歩行者は立ち止まらない限り写らない為、写真に限れば京都を独り占めできる時間帯、というべきだろうか。したがって小生は夜景撮影が好きである。

Img_8366  そして建設進む阪急新駅、阪急八坂駅へ、・・・、というのは大嘘で八坂神社の門の修繕の様子。しかしこう写すと駅舎に見えるのがなんとも。手前の通りは四条通。昨年は修繕が開始されていなかったが、考えてみれば修繕中の様子も写真は貴重であろう。

HARUNA

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