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京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

上賀茂神社 五穀豊穣を司る雷神を祀る

2007-04-03 21:27:25 | 写真

■上賀茂神社散策紀行

 先日、所用あって遠出する予定であったが、先方との調整もあり小生一行は時間調整の為に早春の上賀茂神社に立ち寄ることとなった。本日もT-3が飛行していた、とい情報はさておき、上賀茂神社の特集記事を掲載したい。

Img_7164  堀川通りを上り、京都市北区に位置し、上賀茂神社は、正しくは賀茂別雷神社といい、五穀豊穣を司る神として特に農耕に携る人から信仰をあつめる雷神を祀り、京都でも最も古い神社として知られる。また、今の時期は桜の名所としても知られる。

Img_7144  神社の興りは、玉依姫が御手洗川に川遊びをしていると、白羽の矢が一本川を下ってきた、この矢を手にした玉依姫はその後男児を生み、この男児が後に神子として天にかえったことから、御手洗川のあるこの場所に上賀茂神社を建立したという。

Img_7232  上賀茂神社の御神徳としては、雷の神威により厄を祓い、災を除く厄除明神として、また京都の鬼門におかれた守り神として方除の信仰があるという。

Img_7150  上賀茂神社の祭典としては、五月五日の競馬会神事、そして五月十五日には賀茂祭がある。賀茂祭は葵祭 といわれ、王朝絵巻を再現した500名が、800㍍の列をゆくものである。また、六月三十日の夏越祓、九月九日のからす相撲などがある。

Img_7158_1 上賀茂神社の象徴の一つ、立砂。盛砂ともよばれ、この立とは、神の神代として信仰される。この場所に神様が降臨したとされ、また、鬼門と裏鬼門に御砂をまき清めるのは、この立砂が起源であるとされる。

Img_7230 この上賀茂神社は、既報の“矢を射る神事 下賀茂神社”として掲載した下賀茂神社とともに1994年にユネスコ(国際連合教育科学文化機関)により、世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約に基づき、世界文化遺産に登録されている。

Img_7221_1  上賀茂神社は、平安遷都の前、7世紀には既に有力な神社となっており、794年の平安遷都以降は国家鎮護の神社として朝廷の崇敬を集め、社殿などの基本的なかたちは、11世紀には今日の姿になったとされる。

Img_7233 しかしその後衰亡し、1628年に再興された。その後、七度にわたり本殿の造替が行われており、現在の本殿は1863年に再建されたものである。 なお、本殿と権殿は国宝指定を受け、拝殿など34の建物は重要文化財を受けている。

Img_7211  境内を流れる御手洗川、冒頭に述べた神社の興りとなった場所である。本殿と権殿は同規模、同形式の建物となっており、これが東西に並ぶ形となっている。正面三間、側面二間をつけ、正面に向拝をつけた建築様式をとっている。

Img_7185  本殿を望む。ちなみに、本殿は、御神域ということもあり、写真の撮影は余りにも畏れ多いということで内部は撮影禁止とのことである。時代錯誤という方もいるが、藤原家隆が百人一首に謡う程の歴史を有する神社であり、その信仰は厚い。

Img_7206  御手洗川の様子。

 四季を問わず水をたたえる清涼な流れが御神域と境内を繋いでいる。この写真は重要文化財である片岡橋の所より撮影したものであるが、この隣に玉橋があり、これも重要文化財である。

Img_7235  上賀茂神社は、参拝者の為に30分無料の駐車場があるほか、境内のすぐ前に46系統バスなどが入るバスターミナルがある。写真の看板に描かれているのは立砂と桜、この二つが揃う春爛漫の上賀茂神社に、皆さんも足を運ばれてみては如何であろうか。

HARUNA

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