■舞鶴基地護衛艦隊集合訓練一般公開
海上自衛隊の機動運用の中枢を担う護衛艦隊は、隷下にある四個護衛隊群艦艇により有事の際の艦隊集合を迅速且つ確実に行うべく、年に一度、横須賀、佐世保、舞鶴、呉、大湊基地の何れかにおいて護衛艦隊集合訓練を実施している。2007年度も、4月18日より呉基地において予定されているようだ。
2006年度の集合訓練が行われた海上自衛隊舞鶴基地は、京都府の北部、日本海に面した湾の奥にある。基地には、京都府を中心に、鳥取県から秋田県までの海岸線を警備する舞鶴地方隊、そして護衛艦隊隷下にあって機動運用を担う第三護衛隊群の旗艦、そして司令部が置かれている。
舞鶴基地へは、JR山陰線を京都から北へ、東舞鶴駅より徒歩である。快速は特急リレー号など例外的なものを除いて運行されておらず、乗り換えが非常に多い各駅停車では非効率である為、小生は京都から特急“たんばまいづる”号を利用し、東舞鶴へと展開した。
東舞鶴駅から、徒歩で20分程度、市街地の中心は商業港のある西舞鶴駅周辺のようで、海上自衛隊基地のある東舞鶴港周辺は舞鶴市役所など行政施設が置かれた他は静であり、文字通り要害堅固、舞鶴軍港という面影を保った基地であるとの印象であった。
護衛艦隊集合訓練ということで、基地内に簡単な手続き(氏名住所などを記入)し基地に入ると、そこは文字通り護衛艦隊集合、という情景である。例えば護衛隊群旗艦に搭載される背負い式5インチ砲だけでも正面から来客を向かえるように重なり空を睨んでおり、その左右には各種艦艇が勢揃いしていた。
写真は、舞鶴市役所と煉瓦博物館の間にある通路より撮影、掃海艇桟橋の向こうに艦隊が集合している。無言の圧力を持って外敵の来寇を抑止する、とは旧海軍の目標であったとのことだが、その精神は連綿と受け継がれていることがわかる。
続いて、山頂にある老人ホームに向かう道より撮影したもの。立ち入り禁止であるかどうか聞くのに、中々人と出会わず時間がかかったが、聞いたところ、問題ないとのことで、そのまま荷物(当時はデジカメ一式の他、データ保存用にPCを担いでいた)とともに登る。
撮影よりも荷物を担いで山頂を目指すという行動の自己目的化とともに足を進め、途中撮影したのが上の写真など数枚である。舞鶴基地には、ヘリコプター護衛艦が勢揃いし、イージス艦“ちょうかい”の姿もみることが出来た。
先ほど撮影した掃海艇桟橋。手前にある建物は水雷調整所であろうか。なお、掃海艇桟橋の向こう、フェリーターミナルへ向かう途中の入り口には舞鶴警備隊という表札がかかっていた。湾の向こう側には舞鶴航空基地があり、艦載ヘリコプターなどを整備している。
そして舞鶴基地へ。護衛艦隊集合君r年の一般公開とは、サマーフェスタや地方隊展示訓練と異なり、飛行展示も体験航海も無い為、地味な行事と思われる方がいるようだが、舞鶴基地にはみ出るかというほど(実際、何隻か西港にはみ出ているが)の艦隊はそう滅多にみれるものではない。
勢揃いした“あさぎり”型護衛艦。左から“ゆうぎり”(第三護衛隊群第7護衛隊:大湊に配備)、“せとぎり”(第三護衛隊群第7護衛隊:大湊に配備)、“うみぎり”(第四護衛隊群第8護衛隊:呉に配備)。その向こうには、訓練支援艦“てんりゅう”がみえる。
“あさぎり”型は満載排水量4900㌧の汎用護衛艦で、ガスタービン推進、哨戒ヘリコプター運用能力と、対空・対潜・対艦誘導弾を備えた護衛艦隊用大型護衛艦で、1988年から1991年にかけて8隻が就役、そのうち二隻が練習艦に種別変更された以外、全艦が第一線にある。
従来型ミサイル護衛艦4隻の勢揃い。とくに先日一番艦“たちかぜ”が退役したため、“たちかぜ”型護衛艦三隻が揃った写真は貴重である。“たちかぜ”型は艦隊防空に当たるミサイル護衛艦として1976年、1979年、1983年に各一隻が就役した。満載排水量は5200㌧で、主武装は後部に搭載されたMk.13スタンダードミサイル発射機である。蒸気タービン方式であり、イージス艦に比して見劣りするが、艦隊防空では内側の全般防空を担当するという。
舞鶴地方隊舞鶴警備隊第二ミサイル艇隊に配備される“はやぶさ”型ミサイル艇。左から“はやぶさ”“うみたか”。能登半島沖工作船侵入事案などを受け、暗視装置や重機関銃、複合艇の搭載など所要の設計変更を行ったミサイル艇で、満載排水量は240㌧、44ノットの俊足を活かし一撃離脱のミサイル攻撃を行う。
集合訓練一般公開では、一部の艦艇の艦内も公開されており、小生もタラップで一礼し早速乗艦。写真は76㍉62口径単装砲、射程16300㍍、発射速度は毎分80~100発で、対空防御などに大きな威力を発揮する。薬莢は砲身下より排莢されるが、そのスロープに安全用のカバーが被せられているのが見えるだろうか。
タラップを越え、隣の艦も見学する。右側に二つ並んだ樽のようなものは膨張式救命筏である。対して、左側に見える小型の船は連絡人部や軽物資の輸送にあてる搭載艇で、吊っているクレーン自体が海側に下ろされ、ウインチで上げ下げする。
ところかわって写真はヘリコプター護衛艦の格納庫。護衛艦“しらね”のものであったと記憶する。三機のヘリコプターを搭載可能で、SH-60J/Kを運用する。この為、機体の整備能力も陸上基地並の高度なものが揃えられており、特に海外派遣などにおいてのポテンシャルは大きい。
主翼を折畳まれた哨戒ヘリコプターSH-60J。HSS-2Bの後継として米海軍が運用するSH-60Bを基に開発された機体で、103機が製造、現在は艦載型と陸上型を合わせ84機が7個航空隊にて運用されている。
勢揃いしたヘリコプター護衛艦、手前から舞鶴基地の第三護衛隊群旗艦“はるな”、横須賀基地の第一護衛隊群旗艦“しらね”、佐世保基地第二護衛隊群旗艦“くらま”である。その奥には開発指導隊群直轄艦の“あすか”がいることが、FCS-3とマストの形状から知ることが出来る。
駐車場に向かう通路から“はるな”を一枚に収めようとして失敗、テレプラス機能があるとはいえ、18㍉広角レンズでもどうしてもフレームに収まらなかった為、斜めにして撮影。背負式5インチ砲、上部構造物、飛行甲板というヘリコプター護衛艦の構図がよく判る一枚である。
桟橋にやや戻り、ミサイル護衛艦と汎用護衛艦を撮影。手前が工事中であるため、重機などが写っているが、艦の大きさを知る対比物としてみると面白い。ところで、ここには格納庫などが建設されるのだろうか、基地の地上建造物は心なしか老朽化が目立つようで、艦艇以外の陸上支援施設も稼働率維持など重要な任務がある。
交通船2150号型(?)、出入港支援及び人員輸送に充てる第一種支援船に区分される。70年代の資料には、交通船は機銃と小型爆雷を搭載し、港湾哨戒にあてたとするものもある。基準排水量は50㌧、ディーゼル推進方式。向こう側の埠頭では、“はやぶさ”型ミサイル艇がブルーシートを被せられ整備を受けているのがみえる。
左から交通船2137型(?)、上陸用舟艇のような形状をしているが、事実同系統の交通船で“おおすみ”型に搭載を前提としたものもあるという。右は運貨船9号型の運貨船14号、7隻が現役にあり、50㌧の貨物を輸送できる。基地を管理する地方隊の地味ながら重要な役割の一旦を垣間見た、というところか。
護衛艦“はるな”を撮影しようとアングルを決めている途中、護衛艦“ちょうかい”より行進してバスに向かう隊員の一群と出合った。“たちかぜ”の前に“護衛艦隊専用バス停”があり、ここから休息に市内へ向かうのだろうか。ちなみに市内は“護衛艦隊入港歓迎”のポスターや垂れ幕で一杯であった。
護衛艦見学。なんというか、先日近海練習航海舞台神戸入港の歓迎行事の様子をお伝えしたが、そこでも児童がこのタラップで一瞬立ちすくむ情景があった。小生も、ここでカメラ落としたらおしまいだな、と思ったりもした(転落防止用のネットは張ってある)。
記憶が定かでは無いが、“はるな”の格納庫だと思う。そこにはインド洋とアラビア海において現在も展開中である対テロ作戦支援任務を強調するものがある。決して平穏とはいえない周辺情勢に配慮しつつ、遠くアラビア海に常時補給艦を中心とする部隊を常時展開させるのは並ならぬ努力が必要だ。
イージス護衛艦“ちょうかい”のVLS。垂直に61発の各種ミサイルが搭載されている。発射するとブラストで黒く煤けてしまうが、数時間後には綺麗に清掃してしまうのが海上自衛隊である(煤は、中々落ちにくいという)。“むらさめ”型から搭載する対艦ミサイルが90式SSMとなったため、本艦が新造時において海上自衛隊最後のハープーン搭載護衛艦となる。
護衛艦“はるな”は、1973年就役の海上自衛隊最古参の護衛艦であり、今年度を以てその栄光の航跡に幕を閉じることとなる。蛇足ながら、2006年4月1日までの“はるな”の針コプター無事故記録は着艦回数で5120回に達するとのことである。
“ちょうかい”の列を撮影したいのであるが、基地内でそれをやると埠頭から海に落ちてしまう為、フェリー埠頭からの撮影にて妥協した。なお、埠頭にも写真のように、ぽっかりと穴が開いており、落ちることはなさそうだが、どういった用途で用いるのかに若干の興味がわく。
舞鶴基地での撮影をひと段落させ、列車で西舞鶴、そして商業港の西舞鶴港の艦艇を撮影に向かう。東舞鶴駅は一日に普通列車16本(敦賀方面は13本)、快速は4本(敦賀方面は運行無し)、特急が7本で終電が2153時(敦賀方面は2113時)であるから、夜間電飾などの撮影も細心の注意が必要であった。夜間電飾、23日撮影分は後日掲載する。
HARUNA
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