■小牧城探訪
犬山城と対峙する小牧城へ、春日井駐屯地祭の後、展開した。小牧城は、1584年の小牧長久手の戦いにおいて徳川家康が布陣したことで知られる城郭で、当時、豊臣秀吉の布陣した犬山城と時を経て対峙している。
小牧城は1563年に、織田信長がその居城を清洲城から小牧城に移したことが始まりで、尾張の中枢なるべく城下町を整備し、山頂から麓までを防壁などにより要塞化した。しかし、小牧城整備から四年後には居城を岐阜城に移したため、廃城となったが、1584年には小牧長久手の戦いに備え徳川家康、織田信雄は小牧城を再び整備し、僅か五日間で堀や土塁を備えた重層な城郭に再整備、しかし小牧長久手の戦いでは攻城戦には展開せず、両軍が撤退した後は使われる事無く、泰平の世を迎えた。
小牧城のある小牧山は標高85.9㍍、山自体が公園となっており、合同調査となった一行は頂上を目指し足を進めてゆくが、散歩道ということもあり登りやすかった道は途中で発掘につき通行できないところに差し掛かり、迂回することに。
迂回し、だんだんと険しくなる道を進む、階段などは磨り減っており、博物館となっている小牧城職員は天候にかかわらずこの道を利用するのであろうし、さぞ大変だろうと考えつつ登った。登ってみて車道があったことに気付いたのはナイショである。
再建された天守閣を望む。写真は3月11日撮影であるが、今は桜が満開であろう。明治時代以降も徳川家の私有地であったが1927年に史跡指定を国より受けると共に一般に公開され、その後徳川家から小牧市に寄付された。
今日の小牧城は、1968年に平松茂翁氏が私財を投じて建設したもので、名古屋工業大学教授の城戸久教授が豊臣秀吉の聚楽第を移築したといわれる西本願寺の飛雲閣を元に再現され、資料館として様々な歴史資料を展示している。鉄筋コンクリート三層四階建の天守閣は19.3㍍あり、入場料は大人100円、子供30円、30名以上の団体では大人60円、子供20円であるが整備中につき休館していた。
小牧長久手の戦いは、10万の兵力を以て豊臣秀吉と徳川家康が八ヶ月に渡り対峙し小競り合いをくりかえしたもので、家康の居城である岡崎城を攻撃するべく秀吉の軍勢が展開を開始したところを家康軍が逆に根拠地を急襲、これが長久手の戦いであるが、これにより家康軍が勝利したことで決着がついたとされる。
小牧山を寄付じた徳川義親氏の銅像。市制施行30周年にあたり1985年に建立されたもの。小牧市の中心にある小牧山は、名古屋空港(小牧基地)からもほど近く、名古屋市内はもちろん岐阜城も望見できた。天守閣に登れば名古屋城、犬山城が見えることであろう。
織田信長の城郭整備では、山頂から麓まで五段の塁壕を掘り、中腹には馬場を、要所要所に重心の邸宅を設けたとされ、今日も当時の城郭を再現しようと発掘工事が進められている。また、堀も中腹にその痕跡が残っている。
天守閣の撮影を終え、小生一行は下山、しかし、車道を歩き途中から近道と道をかえ、期せずして“上級者コース”を降りることに。小生は望遠用と広角用で計二台のカメラを担いでおり、転ばないようにと注意しつつ、近接戦闘訓練で鍛えた三点確保により下山した。
春日井駐屯地から小牧城まで、Tさんの車輌に便乗させてもらい、更に清洲駅まで送っていただいた。ありがとうございました。そして京都より展開の友人一名と共に帰路についた。なお、写真は1989年に再建された清洲城を電車の車窓より撮影したものである。
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HARUNA
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