2007年3月11日、愛知県春日井市に所在する陸上自衛隊春日井駐屯地において毎年恒例の駐屯地創立記念行事が行われ、まだ寒さの残る中多くの市民が行事を観覧した。駐屯地広報の発表では入場者は2200名とのことだ。
春日井駐屯地は名古屋市に司令部を置く第十師団の後方支援部隊が駐屯しており、車両を中心とした観閲行進に加え、戦闘職種である第十偵察隊を中心とした訓練展示が行われ、戦車や火砲の空包射撃は無いものの市街地戦闘という密度の濃い内容であった。
0945時より部隊の集結が始まり、0950時、部隊入場。駐屯地には第十後方支援連隊、第十施設大隊、第十偵察隊、春日井駐屯地業務隊、第426会計隊、第306基地通信中隊、第114警務隊、第104輸送業務隊第1端末地業務班が駐屯している(駐屯部隊に関する参考資料:第10師団HP)。
整列した部隊。この写真だけアングルが異なるが、観閲台右の一般立体席に若干余裕があった為、観閲台側面の立体席から、大急ぎで展開し数枚を撮影したもの。風の強さが部隊旗の様子からも見て取れる。
1005時、第十後方支援連隊長で第21代駐屯地司令である上野榮1佐が部隊巡閲を行う。指揮官車輌通過と同時に敬意を込めて大隊旗や中隊旗が高々と掲げられ、疾風が部隊旗を鮮明に靡かせる。第十音楽隊の演奏が臨場感を一層強める。
指揮官訓示、来賓祝辞。第十師団は名実共に中部方面隊最強の火力を有し、同時に東海地震を筆頭とした大規模災害の危険性が年々指摘される東海地方を警備区として受け持ち、更にゲリラコマンド対処任務では名古屋市や原発を多く有する若狭湾を任務区域に含めており、責任は重大である。
観閲行進前へッ!1025時、号令一下整列部隊は駆け足で会場から車輌待機位置へ向かう。1029時、いよいよ観閲行進の開始である。先頭は第十後方支援連隊の連隊旗を掲げた73式小型トラックである。
第十施設大隊の車輌。先頭の銀色のコンテナは人命救助セットを搭載した73式大型トラック。装備品展示において受けた説明では、大規模災害生起から72時間以内に必要な装備品が搭載されており、コンテナ一個に各種100名が使用する機材が搭載されているとのことだ。
81式自走架橋装置。アルミ製の橋桁を油圧で延長し、複数の伸縮式支柱により水深にあわせ架橋する。読売新聞社の“日本の防衛戦力P176”によれば1セット6両で60㍍の架橋が二時間で可能という。橋梁等級は42。
装輪式バケットローダー。最高速度38km/hと比較的高い速度を有する。自衛隊装備年鑑によれば、掘削、廃土、整地、牽引などの能力を有し、アタッチメントの取替えにより除雪作業も可能とのことで、施設大隊の他、普通科部隊、高射特科部隊においても運用されているとのこと。
道路障害作業車。施設大隊に1985年より装備開始され、六種類のアタッチメントを使用することで例えばクレーンアタッチメントにコンクリートカッターを搭載し舗装道路に対戦車地雷を敷設するなどし、路上障害を構築し、敵の前進を妨害する。無論災害時には障害除去にも運用可能。
83式地雷敷設装置。第十施設大隊の他、普通科連隊にも装備されている。スプリング方式の80式対人地雷、87式ヘリコプター散布対人地雷など対人地雷は対人地雷全廃条約により姿を消したが、92式対戦車地雷などは現役である。一台で一時間当たり三個施設小隊分の地雷敷設が可能である。
後方支援連隊。全般的な後方支援を行う第一大隊と、主要部隊に派遣し整備などを行う直接支援中隊から成る第二大隊、そして衛生隊、輸送隊などにより編成されている。恐らく後ろのコンテナは工作車であると推測する。
衛生隊の救急車小隊。1/2t救急車は第一線に展開し、重傷者担架4床、若しくは軽傷者8名を輸送可能。後方には野外手術システムが続く。開腹、開頭、開胸手術能力を有し、一日辺り10~15名の手術能力を有する。
観閲行進の最後は82式指揮通信車を先頭に前進する第十偵察隊。後方を行く87式偵察警戒車の更に後ろにも偵察隊の車列があるが、即応予備自衛官部隊で、偵察隊にも即応予備自衛官制度が導入されているのは少し驚いた。
87式偵察警戒車が二両並んで進む。約100輌が調達されており偵察隊に配備されている。路上機動により偵察警戒任務に就くほか、側方警戒行動も行う。時計を見れば1039時、いよいよ観閲行進も終了である。
観閲行進終了後、昨年の状況展開から訓練展示を撮影するに最適な位置へ陣地転換を敢行する。
訓練展示は、春日井発電所(想定)に武装ゲリラが侵入し占拠したとの想定で行われた。1114時、想定発電所に不審な車輌が侵入、小銃や機関銃で武装したゲリラにより発電所が占拠された。
明野駐屯地より飛来した第十飛行隊のOH-6D観測ヘリコプターが上空より情報収集を行う。最大全備重量1.36㌧の機体は軽快な運動性能を有し、また視界の広いキャノピーにより高い観測能力を有している。
偵察を妨害せんと、仮設敵が小銃や機関銃を以て射撃を展開する。発砲焔こそ写っていないが硝煙が靡いているのがわかるだろうか。左側の仮設敵が構えているMINIMI分隊機銃の巨大な薬莢受が印象的である。
航空偵察により判明した状況を元に、更に情報を収集するべく87式偵察警戒車が春日井発電所に向かい前進する。機銃掃射には偵察警戒車も同軸の7.62㍉機銃を以て応戦する。この射撃に隠れていた他の仮設敵も応戦した為、一号棟二号棟が占拠されていることが判明した。小規模な攻撃を加えてその反応を見る一連の動作を威力偵察という。
後方より浸透した第十偵察隊の隊員が春日井発電所一号棟にロープ進入の準備を行う。偵察隊は機甲科隊員であるが、普通科部隊に劣らない近接戦闘訓練を行っていることがわかる。市街戦では、こうした立体戦闘が多数発生する為、野戦とは異なる装備や訓練が必要となる。
オートバイ斥候の隊員がオートバイを盾にし、後方より展開した斥候小隊の73式小型トラックに仮設敵陣地の方角を示す。装甲を有さない中で、見敵必殺の迅速さが無ければ、という瞬間である、示した方向に対してMINIMIが火を噴く(無論空包だよ)。ちなみに、普通のオートバイでマネすると燃料が漏れるので注意が必要。
地上の斥候小隊が射撃により仮設敵の動きを封じている隙に、ロープにより一気に建物内になだれ込む。入るが速いか、ホルスターから9㍉拳銃を引き抜き射撃。閉所では時に取り回しの容易な拳銃の方が威力を発揮することがある一幕である。
爆竹の弾けるような激しい銃撃戦の後(爆竹使ったんで無いの?という突っ込みはナシで)、無事奪還した春日井発電所一号棟上空へ観測ヘリが接近する。思わずヘリコプターのエンジン音にカメラを向け、小生一行がヘリを撮影していると・・・。
その隙に87式偵察警戒車を盾に前進した偵察隊員が春日井発電所二号棟に突入していた。ううむ、見事。オランダの列車ジャックでも突入の瞬間に戦闘機を超低空で飛行させテロリストの注意を引かせたというが、今回は小生一行、まんまと引っかかってしまった(笑)。
春日井発電所二号棟では銃撃戦の結果、発電所員に負傷者が出たようで、防護盾を先頭に負傷した所員を屋外に誘導する。この間も生き残った敵による狙撃に備え偵察隊員は89式小銃を各方向に向け、警戒を怠らない。
衛生隊の救急車が展開し、担架を持った隊員が駆けつける。後ろの衛生隊員は64式小銃を携行しているが、これは現在の武力紛争法では、戦闘へ参加しないという条件で自衛用の火器携行が認められているからである。
救急車に負傷者を収容する瞬間も偵察隊員は89式小銃を構え全周警戒の姿勢をとっている。法システムの虚無地帯、State of Exception、日本語では例外状態と訳すのだが、近年のテロとの戦いでは武力紛争法が本来定義していない形態の武力紛争形態が進展しており、問題となっている。
1125時、状況終了。偵察隊員はそのまま駆け足で車輌に戻り、会場を去っていった。以上をもって訓練展示は終了である。寒い天候もあり、観閲台周辺の立体席も、人出が疎らになっているのがわかる。小生一行の撮影位置のすぐ後ろには自販機があり、温かい缶コーヒーなどを調達した。
訓練展示は、銃剣格闘、徒手格闘の展示に移行する。これまではオートバイドリルや航空自衛隊警備犬訓練展示があったのだが、昨年は実施されず、40周年の今年は若しや、とおもったが行われなかったのは、少し残念である。
吶喊の叫びが聞こえてきそうな一枚、近接戦闘では最後には個々人の戦闘技量が自己の生存を左右する。89式小銃に89式銃剣を装着し行う訓練展示、刃はついていないとはいえ、一つ間違えれば重大事故に繋がる訓練展示だけに、真剣さが伝わってくる。
徒手格闘。実際に市街戦や近接戦闘において用いる手段としてよりも、隊員の胆力強化を目的としたもののように思える。予備役人員比率が少ないわが国にあっては、自衛官は文字通りプロでなければならないということである。1133時、訓練展示は終了した。
1159時、装備品展示に向け74式戦車のエンジンが始動する。エンジン発動と同時に走行状態で後ろに向けられていた砲塔が、長い105㍉砲とともに旋回を始める。74式戦車自慢の油気圧サスペンションが一番低い状態に維持されているのは、観閲行進で目立たない為であろうか。
装備品展示において降ろされる掩体掘削機。一見、油圧ショベルによく似ているが、ショベルアーム部分が回転するようになっており、自動で掩体を構築する機能も有しているとのこと。地形を防護手段として戦う普通科部隊の陣地を迅速に構築する。
装備品展示にむけての車輌部隊がグラウンドに整列する。戦車や火砲とともに、人命救助装備や架橋装備などが立ち並ぶ一角もあり、春日井駐屯地が師団後方支援や戦闘支援の中枢であるということが端的にみてとれる一枚である。後方支援という言葉への印象は様々であろうが、後方支援部隊の駐屯地祭の雰囲気だけでもお伝えすることが出来れば、幸いである。
HARUNA
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