北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

令和二年度八月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2020.08.22-08.23)

2020-08-21 20:16:30 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 富士総合火力演習に盛り上がる例年この頃ですが今年は先日遂に築城航空祭の中止が発表されました。せめて写真だけでも築城の気分を。

 今週末も自衛隊関連行事はありません。こうした中でいよいよ来週には来年度予算概算要求が示される時期となっていますが、報道によればミサイル防衛の強化などから政府は海上自衛官の定員を今後数年間で2000名増員し現在の4万3000名から4万5000名規模とする模様。すると艦艇広報などが重要となるのですが、現状は。そして学生は更に大変だ。

 大学はオンライン授業を続けているものの、全く変わらない授業料や小中学校に高等学校が授業を再開し、非常事態宣言解除にともなう企業へのリモートワークも通勤へ切り替えが行われ、GO-TO-トラベルにより旅行の喚起政府事業も進む中、何故大学はキャンパスを開かないのか、という話題があるもよう。実際は対面授業が部分部分再開していますが。

 大学の単位授与は講義一つ一つが文部科学省に届け出による承認が必要であり、15講義により2単位、理系では実験がありますので1単位となっていますが、その講義は文部科学省に認可され、学位授与の基盤を構築するのですから、小中学校や高等学校のように文部科学省が定めた学習指導要領をなぞるだけのものではない、という特殊性があるのです。

 15講義を進める上でもう一つ大学が感染に慎重となるのは講義名が同じでもシラバス内容が同じということは少ない、大学の学校であると同時に研究機関としての特殊性です。小中学校や高等学校のように教員が不在の場合でも代理教員を立てることはできないのですね。そしてもし講師や教授準教授が感染の場合は授業単位が無効となりかねない慎重さが。

 国際政治。たとえばこの講義名一つとっても、別の教員であれば内容は一新します、大学教員に国家資格が無いのは、国際政治一つとってもアプローチは数多あり、レジーム論の視点から臨むのか、国際合意原則やソフトローの視点から臨むのか、外交史を参照しメカニズムをひもとくのか、政治課程論か、と分かれており、学生はシラバスで選ぶのですね。

 オンライン授業であるにもかかわらず、授業料の減免がないのは何故か。理由は大学側の必要とする授業への費用は減っていないばかりか、唐突にオンライン授業という未知の領域で授業を行うこととなり、手持ちの機材、実習等で受講できない学生への救済策としての授業録画機材を応用しオンライン授業を実施する、というこれ苦肉の策だったのですね。

 オンライン授業は文字通り手探りでした、いや、キャンパスが一つではない大学などは隣県のキャンパスとの間でリモート講義を実施している事例はありましたが、ここまで対面授業の比率が低くなることは想定外でした。キャンパス間のオンライン講義網を構築している大学でも、ここまで講義数が増えるとはまさに想定外で、どこも混乱度を超している。

 予備校などはリモート講義というよりも一種の映像ソフトとして講義映像ソフトの配信にちかい洗練された技術で編集されていまして、なるほど羨ましいなあ、と考えつつ、しかしあの水準の講義映像ソフトと、通常の講義を同時配信するものと、映像としての完成度を比較されますと、かなり厳しいものは感じまして、向上心は必要とも考えるところです。

 東日本大震災では福島大学はどのように講義を行ったのか、文科省が教育実習などをもとめるが阪神大震災の被災地域では実現できたのか、急遽調べたほど。なるほど、危機管理論はあっても、パンデミー世界的流行禍を例に取れば政治がどう対処するか、という視点や過去の事例を参照することはあっても、世界危機下でどう学校に行くかは盲点でした。

 実技系の講義などはどう進めるのか。実のところリモート出勤が製造業では対応できていないのと同じほどに、大学関係者の悩むところで、たとえば音楽教育などは都道府県によっては歌唱指導を行わないよう一種カラオケ喫茶と同列に行政指導がありつつ、しかし文科省は実技試験を単位認定に求めるという矛盾もあります、これは簡単ではありません。

 大学の講義は小中学校が高等学校ほど自由ではない、という問題があります。高校であれば学習指導要領の範疇であるかぎり教員がCOVID-19に感染して入院した場合でも別の教員が同じ講義を継承することができます、授業日数の帳尻が適合していれば生徒は卒業認定を得られるのですが、大学は講義ごとに単位認定を要するために難しさがあるのです。

 学生生活という視点でSNSでは全く繋がりが結ばれない不安がある、こうした声もあります。現実にはかなり制約はあるのですが都道府県によってはクラブ活動の再開は始まっていますが、そもそもスポーツ系サークルを中心に新入生歓迎イベントは全て中止であり、実施できた大学は聞かないのですね、基礎科目などでも先輩からの指導などはありません。

 先日母校の話題を聞きまして少し驚きました、学生の一割が退学を検討しているという。オンライン講義では意味が無く学費の負担が重くのしかかるという意味で。また休学の検討は四分の一に上るという。確かに、専門教育と研究を担う大学、オンライン講義だけでは大学修学により得た専門知識の質というものが違う、勿論課外で経験を積みたい学生も多く理解できる。

 休学検討するという声、理解できます。在学していても就職活動に直結するインターンシップや企業訪問などは著しく制約され、しかも現状では来年度新卒採用が非常に限られる上に再来年度の状況も未知数、面接一つとって相当専門性を重視する企業を除けばオンライン講義だけでは学生がアピールできるものが少なく、休学し資格試験を進める方がまだ。

 留学を視野に大学は救済措置を考えるべきではないか。現状のリモート授業について大学側はもう少し踏み込んだ救済措置を考えるべきだと痛感するところです。そこで検討してもらいたいのはアメリカの大学を中心にCOVID-19感染拡大を受け、全ての講義をオンラインにて実施する大学が増えている現状です。言い換えればこれを活用すべきではないか。

 日本国内の大学では提携大学として、日本国内の大学に籍を置いたまま数カ月短期留学を行う制度はあります、すると全ての講義をオンラインで実施している大学と日本国内の大学が単位認定を結ぶことで、いわば日本国内からオンラインでアメリカなど海外の大学に留学し単位認定する制度を、遅いとはいえ今からでも整備するべきではないでしょうか。

 大学間だからこそ交渉できる枠組みがあるものでして、なにもオンライン授業を行うならば午前中に京都市内の大学講義を受けて夜からアメリカの大学のオンライン講義を受講する、という選択肢、対面講義ならば極超音速旅客機が必要となりますが、オンラインならば不可能ではありません。オンライン留学の構築を大学当局は真剣に検討すべきでしょう。

 コロナ禍下でどのような経験を積んだか、現実問題としてこれから数年間、大学での研究内容よりも学生生活での経験を重視する日本国内の企業の多くではこう面接で問われるでしょう、その際に世界Xヶ国の大学にオンライン留学しアメリカのS大学やH大学とイギリスのL大学等で単位を修得した、と強調できれば、これは学生の強みとなるでしょう。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・今週末の行事なし

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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大水害時代にLAV-25とBvS.10が必要だ【3】水陸両用車と全地形車両阻む国内関連法規の壁

2020-08-20 20:11:04 | 防災・災害派遣
■道交法と海上衝突予防法
 水陸両用車、消防ではブロンコ全地形車両実績に基づきアメリカ製ハイドラトレックが全国に少数配備され成果を上げているという。

 水陸両用車両を大量配備するには、実は面倒な法的手続きがあります、これは94式水際地雷敷設車の実例なのですが、水陸両用車両というものは船舶なのか自動車なのか、という法律上の問題です。自動車学校では水上バイクが道路上を走る際の問題を指摘しません、なぜならば通常、水上バイクは道路上を走らない為なのです。この法律の問題とはなにか。

 94式水際地雷敷設車の場合は、船舶でもあり自動車でもある、という玉虫色の法的区分となっています、嘘だと思ったらばどの中隊の車両でもよいのですが、94式水際地雷敷設車の写真を見ていただければわかります、車体には車両ナンバーが装着されていますが、側面には船舶登録番号が明記されているのですね、法律上自動車でもあり船でもあるのです。

 水陸両用バスというようなものも神戸市や東京などで観光用に運用されていまして、あれももともとは米軍余剰の水陸両用輸送車を払い下げ取得し転用したものなのですけれども、あの車両も船舶登録がある、そして船舶は自動車免許では運転できないのですね、船舶免許がなければ操縦できません、みなさまお手元免許証をみますとこの点は明白でしょう。

 船舶免許。特殊船舶免許で運航できるかと問われますと、LAV-25軽装甲車もBvS.10全地形車両も水上バイクよりも大型で当然重さもありますので、二級小型船舶操縦士の免許が必要です。二級小型船舶免許は20t未満乃至全長24m、免許取得すればAAV-7両用強襲車でも重量は26tですが全長は8.16mですので海上航行は可能となります。この点について。

 BvS.10,こちらについてはただし、船舶なのか、という素朴な疑問がないでもありません、スクリューが無く要するに自動車が水上でも水没しないまま進んでいるものであり、船舶の定義を満たしていないためです、自動車も水没するまで車内空気で浮力を有していますが、水害で浮いた車がタイヤで水を掻いても海上保安庁には摘発されることは、ない。

 ただ、LAV-25については推進装置を有していますので、船舶とみられるのではないでしょうか、逆に73式装甲車などは浮航キットが無ければ、特に波切り板、推進できませんので、船舶としての登録や免許は不要であったようにも思います。実際、船検でも航行能力のないものを対象とした検査は、そもそもで船定義になく、検査も無かったようにも思います。

 二級小型船舶操縦士。取得は面倒ではあるのですが、しかし、自衛隊に入れば免許が取れる、として一昔は機甲科や輸送科と施設科隊員は全員、ほぼすべての職種で陸曹までに大型免許が国費で取得できることが一つの魅力として広報されていました、敢えてこの気候変動と水害の時代なのです、自衛隊で取得できる免許種類をもう一つ加えては、と思う。

 陸上自衛隊に入れば二級小型船舶操縦士資格が取れるよ、大型免許も取れるよ、と追加して広報することは、一つの自衛隊という職域の魅力度合いを高める一つの選択肢になるのかな、とも考えるのですね。しかし免許以外、自動車をお持ちの方はきになるでしょう、その通りです、水陸両用車は自動車の車検だけでは、維持することはできないのですね。

 船検。船舶安全法において定期検査が義務づけられています。これは面倒なものでして、航行灯や錨設備と救命浮環の整備状態も検査されます、つまり水陸両用車両としてLAV-25を導入する際はカラフルな浮き輪や砲塔に航行灯、面倒でもアンカーを設置しなければなりません、車検を担う方面後方支援隊には即ち、船検という新しい負担がのしかかります。

 BBCの人気番組トップギア、あの番組でトヨタピックアップトラックを水陸両用車に改造する企画がありましたが、この船舶操縦士や船検の負担まで考えますと、それよりは手軽に改造車で対応してみたくなるほどに手続きは煩雑ではありますが、もう一つ必要であると考えるのは法整備です、水没した道路の法律は道交法か海上衝突予防法か、というもの。

 水没の定義が問題ですので、安易にはいえないのですが道路交通法と海上衝突予防法では右側通行と左側通行という違いがありまして、この部分を災害救助法などで水陸両用車両の位置を定義し、そもそも上掲の命題、水陸両用車は船舶であり車両であるという不思議な制度を含めて、定義しておかなければ、通行帯で重複する部分が生じてくるのですよね。

 法整備が必要であるといえるのは、水陸両用車が水没地域に隣接した沿岸部を航行する場合、小型船舶と水陸両用車がともに海上衝突予防法と道路交通法を守った場合、衝突してしまう、という問題が生じるのです。すると、水陸両用特殊車両交通規則というようなものを再定義する必要もあるのかもしれません。そしてその時期を迎えているとも思います。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都発幕間旅情】八幡城址,滋賀近江を安土城に代わり守った豊臣秀次城主の遺構と瑞龍寺

2020-08-19 20:10:55 | 旅行記
■近江八幡の美しい俯瞰風景
 歴史街道散策の深みは歴史の遺構と遺功が思いもしない旅先にてふと巡りあう瞬間でしょうか。

 滋賀県近江八幡市、新快速で東海道本線を疾走していますと琵琶湖を湛える滋賀県の美しい緑と山々が眩しいですが、その中で近江八幡駅が近づいて参りますと、峰の頂上までロープウェーが結ぶ風景に気付かされます。その頂は八幡山城の城址公園となっている。

 瑞龍寺はその城址に在る日蓮宗門跡寺院、遠く湖南と琵琶湖を望む山頂の寺院は、京都の墨染寺再興等で知られる豊臣秀吉の同父姉で豊臣秀次の母、日秀尼により建立されました。桜花の季節は過ぎ、拝観の刻限を過ぎていましたが、桜寺の墨染寺を思い出させる桜花が。

 東海道本線近江八幡駅から山麓まで実に3kmを隔てていますが、ロープウェー山頂駅からもう少しだけ歩みを進めて出会う俯瞰風景はその道中の町々を一望の内に収めており、恰も安土桃山時代都市計画の先進性を良く区画整備された街並みから読み取れる印象ですね。

 城郭の遺構というよりは展望台的な観光地として整備されていますが、城郭遺構は石垣などに見出す事が出来、文禄年間1595年に行われた破却の後に実に四百年以上を経ても遺構が自然に帰っていない保存状態は、近江八幡の城下町が破却後も維持された為といえます。

 八幡山城、豊臣秀次の城郭でした。豊臣秀次は豊臣秀吉世継ぎ問題に翻弄された戦国乱世末期悲劇の武将であり、実はこの八幡山城の廃城もその悲劇と密接に関わりがあります、豊臣秀吉は、豊臣秀次へ切腹を命じると共に重ねて所縁ある城郭の破却を命じたのですね。

 日牟禮八幡宮、近江八幡の愛称で知られる八幡宮が見上げる峰が八幡山城祉です。標高は283mあり、ただこの当たりは山麓の標高もありますがそれでも比高で100mという一際高い立地です。山頂の八幡山城祉は、しかし前述のロープウェーにより結ばれていまして。

 安土城址に近い立地で、実際新快速停車駅である近江八幡駅、指呼の距離に新快速が通過する安土駅があります。八幡山城址は安土城址と距離と共に所縁も近しい関係にありまして、豊臣秀吉が天正年間1585年、この地の城郭造営背景には安土城の焼失が挙げられます。

 本能寺の変、1582年の織田信長戦死に伴う明智光秀による安土城破壊、その後の後継者争い、所謂清州会議にて戦国の主導権を握った豊臣秀吉は新たに北陸の虎柴田勝家への牽制を含め、近江という要衝の地に消滅した安土城に代わる新たな城郭造営を必要としました。

 八幡山は安土城と並び琵琶湖を天然の防衛に用い、城下町を広く構築した策源地として造営されています。ただ、惜しむべき難点は安土城が安土山を全て城郭構造とした点に対し、八幡山は峻険な地形故に城塞化が難しく、頂に天守を頂く象徴的といえるものだった、と。

 八幡堀、近江八幡は水路の街、とはよく言われるところですけれども、元々この八幡堀は豊臣秀次による城下町整備の際に琵琶湖水運最大限の活用を期して構築したものであり、城下町の規模こそが策源地として、有事の際の戦力集結を支えると考えた故の物でした。

 瑞龍寺は豊臣秀次を悼み建立された寺院です。元々は京都市内に永くあり、その始まりは嵯峨野、江戸初期に西陣へ遷座しています。しかし、1961年に八幡山への遷座を当時の日浄尼が決意、京都の建築物を滋賀へ移設する一大事業を始めます。虎口跡等はその一つ。

 大規模土砂災害、八幡山は1967年の集中豪雨により大規模土砂災害に見舞われ、特に山頂部の崩落が八幡城居館跡を直撃する等大きな被害がありましたが、日浄尼から法主を継いだ日凰尼によりその再興は進められ、移築成った本堂等が恰も城郭の賑わいを伝えるようです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【防衛情報】航空:F-18後継悩むカナダ-スイス-フィンランドとラファール挑戦,E-2D決定

2020-08-18 20:16:31 | インポート
■週報:世界の防衛,最新の論点
 今回の防衛情報備忘録についての週報は航空防衛関連に焦点を当ててみましょう、各国の状況は進むのですが先ずは日本に掛かる中国の脅威が度を越している話題から。

 NATOの欧州全域における2019年の緊急発進回数は430回となったとのこと。これは冷戦終結後最大との事でNATOでは高まるロシアからの航空脅威を前に次期戦闘機開発や既存戦闘機改良などの防空体制立て直しを迫られているようですが、参考までに航空自衛隊の2019年の緊急発進回数は947回といいまして、この内七割が南西空域での実施です。

 緊急発進回数欧州NATO全域合計430回と航空自衛隊単独実施947回、つまり自衛隊一つで欧州NATO全域の倍以上という膨大な回数を緊急発進し対応している事となります。NATOの緊張状態もなる程小さくはないのかもしれませんが、それ以上に倍の任務に臨む航空自衛隊に掛かる重責と重圧の大きさを端的に示している、といえるのかもしれません。
■ダッソーのラファール生産
 新型コロナウィルスCOVID-19は戦闘機の生産にも影響しているようです、ビジネスマンが販売に行けないというありがちな理由で。写真はF-2で代用だ。

 ダッソー社は新型コロナ感染拡大影響でラファール戦闘機生産維持へ新規顧客開拓に難渋しているとのこと。ダッソー航空機製造の2020上半期決算に併せて同社のエリックトラピア最高経営責任者は同社が量産に尽力しているラファール戦闘機について国際航空見本市の実施や各国空軍への飛行実証試験がCOVID-19により停滞している事を発表している。

 ラファール戦闘機は後述しますが、つい先日にインド空軍への納入が開始され最初の5機が納入、最終的に36機が順次納入という話題があったばかり。決して販路も不調ではなく、ここ5年間に限定した場合でもインド空軍の他エジプト空軍やカタール空軍へ採用は決定した。しかしラファール戦闘機生産ライン維持に十分とは云い難く、難航している契約成立が望まれる。

 ダッソー社によればインド空軍との間での36機に続く114機のオプション契約を現在交渉中であるとともに、マレーシア空軍とアラブ首長国連邦への輸出を実現したいとしており、また、かつて同社製ミラージュⅢを運用したスイス空軍への輸出などにも望みを繋いでいるとのこと。交渉難航と同時に各国がCOVID-19により受けた経済的損害も影響しよう。
■CF-18後継カナダF-X選定
 カナダ空軍はF/A-18のカナダ仕様CF-18の後継機に悩んでいるようですね。

 カナダ統合軍次期戦闘機選定へカナダ政府が三社へRFP提案依頼書を7月31日に正式交付したとのこと。カナダ統合軍は2010年代から旧式化が進むCF-18戦闘機後継機として88機の次期戦闘機導入を計画していましたが2017年に導入を計画していたF/A-18E戦闘機が費用面で折り合わず撤回していましたが代替案が見つからず再度RFPを交付した。

 ボーイングF/A-18F戦闘攻撃機、ロッキードF-35A戦闘機、サーブJAS-39NG戦闘機、カナダ統合軍が想定するのはこの三機種のいずれか。カナダ統合軍は2022年に選定を完了し2025年から導入開始を計画しています。しかし、上記F/A-18Eの白紙撤回よりも前にカナダ政府は65機のF-35を2020年から導入計画を示し撤回、今度は三度目の正直を期す。
■F-X,スイス&フィンランド
 ヨーロッパでF/A-18を採用した二か国でもそろそろ更新の時期が訪れたようです。ドイツではスーパーホーネットがトーネード後継になりますがこちらは。

 スイス空軍は老朽化が進むF-5軽戦闘機とF/A-18C戦闘攻撃機の後継を選定中ですが、このほど次期戦闘機としてユーロファイタータイフーン36機の導入へ最終的調整を行うとのこと。この調整はRFP-2/第二次提案依頼書であり、ユーロファイター合弁会社により8月19日に提出されるこれは事実上のBAFO最終提案書として正式契約を目指すとのこと。

 ユーロファイター36機の導入へスイス政府は60億スイスフランを予定しており、この導入に加えて追加で更に4機の取得も検討している。このまま成約となった場合には2025年からF-5戦闘機の代替として導入を開始し2030年までに配備完了を目指す。ユーロファイターについてはスイス空軍の他、フィンランド空軍もF-18後継機として検討しているという。
■ラファール遂にインド到着
 ラファールの時代がやってきた、というべきでしょうかインド空軍に遂にラファール配備が開始されました。

 ラファール戦闘機インド空軍向け最初の五機がインド到着,インド空軍が次世代戦闘機として採用を決定した36機のラファール戦闘機のうち、最初の5機が29日、インドに到着、この引き渡し式にはインドのシン国防相も出席したとの事。残る31機も2022年までに納入されるとのことで、教育支援や予備部品等を含め50億ユーロに上る巨大契約が一段落へ。

 ラファールの写真が無いのでファントムで代用という乱暴をお許しください。インド空軍のラファール導入、これはかなり前に締結されていた契約ですが、インド空軍の装備契約は政権交代や国防政策の変化により白紙撤回される事も多く、今回のラファール36機も納入までその動静に注目していました。インド空軍は750機のMiG-21戦闘機後継機を選定する際、F-16かいや国産テジャス、無理だからMiG-29と二転三転しています。
■インド空軍Su-30等33機増強
 巨大な中国の軍事脅威に立ち向かうにはラファールだけでは不足であり安価なロシア製戦闘機を導入するもよう。

 インド空軍はロシア製戦闘機33機調達と既存戦闘機59機近代化改修を24億ドルでロシアと合意に至ったとのこと。この契約は7月に締約され、インド国防省が正式に発表した。新規導入される33機の内訳はスホーイSu-30MKI戦闘機12機とMiG-29戦闘機21機、そして近代化改修は既に納入されているMiG-29戦闘機59機に対して行われるとのこと。MiG-21の写真が無いので映画”北極の基地-潜航大作戦”の如くF-4で代用を。

 Su-30MKI戦闘機も既にインド空軍では多数が運用されており、増強のかたち。インド空軍は同じ7月にフランスよりラファール戦闘機の受領を開始しており近代化が著しい、その背景には6月16日に発生の中国人民解放軍によるインド軍兵士多数撲殺事件を受け中国との軍事緊張が高まる為で、ロシアとは地対空ミサイルライセンス生産交渉も進んでいる。
■ロシアIl-76MD-90A難航
 Il-76の写真はいろいろなところで撮影できたのですが直ぐに出てこないのが不思議なところだ。

 ロシア航空宇宙軍向けIl-76MD-90Aの開発が難航している。ロシア国防省はアヴィアスタル社との開発に関する再度の仕様変更を6月に実施したとのこと。Il-76MD-90Aは2015年に試作機が完成したものの、仕様変更を国防省より求められたことで納入は2019年となっており、当初は2021年から運用開始の計画であったが、未だ評価試験が終わっていない。

 Il-76MD-90Aは旧ソ連時代の1971年に開発された傑作輸送機イリューシンIl-76の改良型で、最大の改良点はペイロードが48tから60tへと大きく向上した点にある。アヴィアスタル社によればIl-76MD-90Aは52tの貨物を搭載し5000kmの航続距離を有する、従来のIl-76Mでは40tを搭載し4500kmの航続距離であった。なお開発は中止されず継続される。写真は申し訳ないがC-1で代用です。
■フランス海軍E-2D導入
 フランス海軍が空母艦載用であるE-2C早期警戒機の後継機を決定したもようです。

 フランス海軍が導入を予定するE-2D艦上早期警戒機について、アメリカ政府は七月、輸出を承認したとのこと。フランス海軍は原子力空母シャルルドゴール艦載機として現在のE-2C早期警戒機後継として3機のE-2D供与を要請していました。E-2D早期警戒機はアメリカ海軍に続いて2015年に航空自衛隊が4機を、続いて2018年に9機を導入している。

 3機のE-2Dは20億ドルとのことで、この費用には初度費用と予備のT-56エンジン4機、また機体に取り付けられたものとは別にAN / ALQ-217電子測定装置1機、やMIDS-JTRS通信システム2基、そして整備や乗員訓練の関連整備器材等を含めています。このフランス海軍への導入により、フランスはアメリカと日本に続く第三のE-2D運用国になります。

 シャルルドゴールでの艦上試験は行われていませんが、フランス海軍は自国の空母が整備中であった2018年に米空母ジョージブッシュ艦上にラファール飛行隊を丸ごと展開させ米仏合同訓練を実施し、ラファールM艦上戦闘機とアメリカ海軍E-2DとのデータリンクやE-2Dで繋いでのアメリカ海軍F/A-18E/F戦闘攻撃機との情報共有などを演練しています。
■MSDM自衛用小型誘導弾
 納豆ミサイルが実用化されるようで、ようやく空の戦いというものがSFというか21世紀らしくなってきたという。

 MSDM自衛用小型誘導弾。テレビアニメマクロスでは戦闘機から無数のミサイルが白煙を曳いて飛翔する“納豆ミサイル”という描写が有名となりました、これが近い将来に現実の物となるのかもしれません、MSDM自衛用小型誘導弾によって。なおマクロスですが別に納豆が飛ぶわけではないのですが白煙曳く様子が納豆を伸ばしたようにみえるため。

 レイセオンが開発を開始したMSDM自衛用小型誘導弾は全長1mでしかなく、これは定番のAIM-120-AMRAAMの全長3.5mはもちろん、AIM-9Xサイドワインダーの全長3mよりもかなり短く軽量なものとなっていまして、F-35戦闘機のウェポンベイにもAIM-9X一発を降ろして代わりに搭載する事でかなりの数を搭載する事が出来ます。用途は自衛用だ。

 MSDM自衛用小型誘導弾は戦闘機等を狙う敵の空対空ミサイルや、母艦への対艦ミサイル攻撃を迎撃するもので、この種の装備としては機体自衛用レーザー砲の開発が行われています。MSDM、射程は現段階で不明、開発を3億7500万ドルで受注した段階、2023年までに完了する。ただ残念ながら無煙モータが使用され納豆ミサイルとはならないもよう。
■アメリカCV-22精密航法装置
 オスプレイがますます強力になってゆくようで自衛隊もV-22の一部をCV-22に切替える検討がありましたね。

 アメリカ空軍は6月、CV-22可動翼機用地形追随夜間精密航法装置AN/APQ-187-SKR試験を開始した。AN/APQ-187-SKRは空軍特殊作戦用CV-22に高度な夜間飛行を可能とする。現在は暗視装置を装着し夜間飛行や計器飛行を実施しているが、AN/APQ-187-SKRはHUD式表示装置に疑似的な3D画像を投影し無視界状態での低空飛行等を可能とさせる。

 CV-22可動翼機による実験はフロリダ州エグリン空軍基地の第96実験航空団第413飛行開発飛行隊により実施されている。CV-22はV-22の空軍仕様だ。エグリン基地にはF-35飛行隊なども展開しているが、30km圏内にデュークフィールド補助飛行場が置かれており、ここには第919特殊作戦航空群が展開している。この評価試験は2022年まで継続される。写真は空軍のCV-22ではなく海兵隊のMV-22です。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【G3X撮影速報】ひゅうが-あたご-みょうこう,終戦七十五年目の舞鶴基地(2020-08-15)

2020-08-17 20:00:08 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■終戦,弔意へ半旗の自衛艦旗
 終戦七十五年目の舞鶴、終戦記念日という事でひとつ日本海守りの要衝は舞鶴へと行って参りました。

 あたご、ましゅう、ひゅうが艦橋も望見できます。海上自衛隊舞鶴基地に停泊する護衛艦と補給艦です、ここは京都府北部の舞鶴基地、海上自衛隊唯一の日本海側における護衛艦の基地であり哨戒ヘリコプター部隊の展開する日本海防衛の要衝、撮影は15日です。

 七十五年目の終戦記念日。COVID-19新型コロナウィルス感染症の猛威は留まるところを知らず、日本国内の感染者数は5万を超え、しかし太平洋の対岸アメリカでは死者数が17万に達し、インドとブラジルに南アフリカにて爆発的感染が続く中での終戦記念日でした。

 あたご、ひゅうが。ご覧いただきますと分かります通り艦首旗が半旗となっています、あの膨大な死者数を出しました太平洋戦争、海上自衛隊は旧海軍の海上防衛任務を継ぐ所縁から半旗で弔意を示しています、時は正に正午、七五年前に陛下の玉音放送がありました。

 うみたか。はやぶさ型ミサイル艇の一隻で艦首旗とともに自衛艦旗も半旗になっているのがご覧いただけるでしょうか。旧海軍に空母海鷹という艦がありましたが、かいよう、と読みまして旧海軍艦名の継承ではありません、しかし背景の赤煉瓦建造物は旧海軍のもの。

 舞鶴警備隊も半旗を掲げ弔意を示しています。舞鶴といいますと大規模なクラスターこそありませんが、しかし、この撮影をしましたのは新日本海フェリーターミナルのある前島埠頭、結構な釣り人が居まして西舞鶴はとれとれ市場が満車状態、嗚呼成程、とおもった。

 あたご、ましゅう、ひゅうが、ふゆづき、みょうこう、せとぎり、まつゆき。舞鶴基地にこれだけの護衛艦が入港している様子は中々貴重です。停泊していますのは母港は舞鶴の護衛艦と補給艦でして、終戦記念日であると共に盆休み、帰港出来るだけ昨今は平和です。

 ひうち、ジャパンマリンユナイテッド舞鶴工場に定期整備中、報道によればここは今治造船に合併されるとの事ですが業務再編により造船所としての役割を終え、艦艇整備施設に一本化されるという。造船不況と同時に旧海軍舞鶴工廠の伝統が絶たれるのはさびしい。

 ひゅうが先代は航空戦艦として活躍し瀬戸内海にて大破状態で終戦を迎えた戦艦日向、あたご先代はレイテ沖海戦で沈んだ重巡洋艦愛宕、みょうこう先代はシンガポールで終戦を迎え戦後英海軍に海没処分となった重巡洋艦妙高、自衛隊の艦名にはそれぞれ思いが残る。

 ふゆづき先代は防空艦として期待された駆逐艦冬月で天一号作戦として大和沖縄特攻に参加し帰還の後に現在も北九州市に船体が防波堤として現存している強運艦の名前です。ただ、せとゆき、まつゆき、に関しては旧海軍艦名にはなく二隻はこちらが初代というもの。

 あたご。ファンネル部分を視ますと陽炎が出ていますのでガスタービンエンジンが運転中である事が分ります、待機状態にあるのでしょうか、あたご、イージス艦である為に万一弾道ミサイル飛来の徴候がある際には即座にミサイル防衛という重責に当る護衛艦です。

 ひゅうが。満載排水量19000tと舞鶴では最大の護衛艦となっています、海上自衛隊初の全通飛行甲板型護衛艦として、護衛艦はるな後継として建造されています。あたご自衛艦旗が半旗となっている所が明瞭だ。戦後75年を経ても、我が国への脅威は存在、平和は儚い。

 みょうこう、手前が、ふゆづき。舞鶴では赤煉瓦倉庫群の一般開放や軍港めぐり遊覧船の運航など、ウィズコロナ時代の模索が続いています、こうした中ですが当方一行は象徴的な七十五年目の終戦記念日正午に静かな黙祷ささげ、前島埠頭を後にする事としました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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八月八日は八八艦隊の日!戦後七十五年目の我が国周辺情勢,覚悟求められる平和継承の努力

2020-08-16 20:20:47 | 北大路機関特別企画
■イージス艦-F35-V22をむすぶ
 いまの日本と国際公序を共有するこの世界には新しい88艦隊が必要だ。88艦隊の日特集は今年について二段構成としました。

 88艦隊の日、一週間と少しを経て今年は終戦75周年という事もあり二部構成としました、前回の八月八日が前篇であり本日はこの後篇について。88艦隊、実のところ東西冷戦が終焉を迎え、中国がゆっくりではあっても着実な民主化と地域大国への道を歩むならば、この必要はなかったのかもしれません、少なくとも全通飛行甲板型艦の考えは変っていた。

 ヘリコプター搭載護衛艦、全通飛行甲板型護衛艦を本稿では示しています。ただ、上掲の通り平和の時代であれば全通飛行甲板型艦艇であっても水上戦闘よりは多目的ヘリコプター運用艦というものを志向して必要性を説いていたのかも知れませんが、現実的に中国が進める拡張政策は確実に七十五年前の日本が達した道を踏襲しているよう見えるのですね。

 祈るような平和主義から平和創造へ。結局のところ中国の試作への憧れを周辺国は感じられないようになっています、言論統制や政府の恣意的逮捕の連続と国際政治の対立を自国内滞在の対立国民間人へ連続して死刑判決という恐怖政治に百万単位の強制収容所建設や外国人人種差別、これを憧れるならば暗黒の帝国主義時代再来を期しているに他ならない。

 全通飛行甲板型護衛艦にF-35Bを搭載しイージス艦1隻を広域防空艦とした上で直衛に汎用護衛艦2隻を配置する一つの戦闘部隊、こうした護衛隊に航空隊規模の哨戒ヘリコプターや戦闘機を艦上展開する事で護衛隊と航空隊の二つの隊を合せた任務群を、護衛艦隊隷下に8個配置し、海からの中国による強烈な圧力に凛と対抗する必要が生じている訳です。

 F-35B戦闘機の導入とMV-22可動翼機の配備開始、まや型イージス艦配備開始にともなうイージス艦8隻体制の実現、実のところこの三点は、ともすれば中途半端とも揶揄されかねないヘリコプター搭載護衛艦の能力を、少なくとも我が国領土及びシーレーンが敵航空母艦やミサイル爆撃機の脅威圏内に含まれた際にも主権を通す鍵となりうるものです。

 意義という視点では、F-35B戦闘機です。F-35B戦闘機は航空自衛隊へ配備され、離島などを前線飛行場として運用するとの説明により現在の防衛大綱へ42機の導入が決定され、B型は国産機ではありませんがアメリカ国務省によりF-35Bの転用が6月に許可されています。F-35Aと比較しF-35Bは垂直離着陸が可能なSTOVLで、そして第五世代戦闘機だ。

 第五世代戦闘機を運用できる意義は大きいものがあります、Su-30等の第四世代戦闘機を圧倒できるとともにSu-57などの第五世代戦闘機に対しても充分圧倒できる性能を有しています。そのセンサーはイージス艦のスタンダードミサイルを誘導でき、レーダーは弾道ミサイルさえも追尾できるほか、水上目標などへのスタンドオフミサイルも運用可能です。

 F-35Bを搭載した護衛艦、F-35Bは護衛艦ひゅうが型規模の艦艇であっても搭載可能です、そして第五世代戦闘機であるF-35Bは中国が開発中の機種を含めて保有する戦闘機で対抗できないものは在りません、Su-30規模の戦闘機が相手でもF-35Bはステルス性を活かし一方的に防空戦闘を展開できる。これがF/A-18Eのような機体であればこうは参りません。

 F/A-18Eであれば、カタパルトでの発着が必要となり、ひゅうが型規模の艦艇では搭載不可能で、いずも型でも不可能、エセックス級空母の規模でも搭載は制限され、最小限度でも満載排水量4万2000t規模のフランス海軍シャルルドゴール級空母が必要となります、膨大な人員を必要、何隻も保有できない、1個護衛隊群に1隻を配備する事さえ難しい。

 AV-8Bのような垂直離着陸が可能な機体ではSu-30に対抗が難しい、APG-65レーダーを搭載していますのでAMRAAM空対空ミサイルにて戦闘可能ですがレーダー出力でSu-30戦闘機に劣勢ですし超音速飛行が出来ません、するとSu-30の機動遷移に対し追随する前に突破される可能性が高く、何故世界の戦闘機が超音速を必要とするか痛感する事になる。

 F-35Bは全通飛行甲板さえ有していれば母艦を選ばず、そして第五世代戦闘機であり将来第六世代戦闘機の時代が到来した場合でもF-35Bには拡張性と冗長性が設計余裕に含まれ、第5.5世代に進化する事で優位性は簡単に崩れません。その先に第七世代戦闘機として例えば成層圏の上の熱圏でも飛行する時代が到来したらば、話は別ですが遠い先の事でしょう。

 MV-22,もう一つの重要な要素はこの新型航空機の配備開始です。既に木更津駐屯地へ配備が開始されている。ヘリコプター搭載護衛艦をコマンドー空母的な母艦として運用できる点は強みですが、F-35Bの必要とする膨大な弾薬などを長大な航続距離と搭載能力に進出速度の高さは洋上へ迅速に補給しえるもので、いわばこの二機種が鍵となるものです。

 新しい八八艦隊、このヘリコプター搭載護衛艦を増勢する必要性について、自衛隊が新たに導入する、そして配備が開始された二機種の航空機が全通飛行甲板型護衛艦の能力を大きく高めたため、という視点を前回提示しました。第五世代戦闘機F-35B,そして長大な航続距離と速度を有するMV-22可動翼機です。そしてもう一つ、イージス艦を挙げたい。

 スタンダードSM-6艦対空ミサイル、目標高度により迎撃距離が左右されるようですが、最大で370km先の航空目標を迎撃できる新時代のミサイルであるとともに改良型が弾道ミサイル迎撃、中間段階を迎撃するスタンダードSM-3系統に対し着弾へ落下する終末段階の迎撃が可能とさせる構想です。これにより幾つか画期的といえる転換点が生まれるのですね。

 まや型ミサイル護衛艦、現在はぐろ公試中であり来年3月に竣工予定です。これにより海上自衛隊は1993年のイージス艦こんごう竣工以来悲願であったイージス艦8隻体制、各護衛隊群へのイージス艦2隻の配備が完了するのです。イージス艦の各護衛隊群2隻体制、これは単純に旧式のターターシステム搭載の護衛艦が置き換えられるだけに留まりません。

 イージス艦は広域防空艦として艦隊防空を主管するとともに、弾道ミサイル防衛任務ではほぼ唯一、国家戦略ミサイル防衛システムとしての選択肢となっています。北朝鮮核開発による日本本土への水爆攻撃脅威の顕在化は、従来であれば在日米軍への核戦力配備要請か日本独自の核開発が迫られた事となるでしょうが、ミサイル防衛がこの大前提をかえた。

 SPY-1レーダー、こんごう代艦となるDDG-Xなどはより最新鋭のSPY-6を搭載することとなるのでしょうが、電波は直進するため、水平線以遠の航空機や誘導弾は探知できません、この部分について、ヘリコプター搭載護衛艦の艦載機、特に搭載が計画されるF-35B戦闘機は対応しうる、実際、既に2017年よりアメリカ海兵隊が試験を実施しています。

 ヘリコプター搭載護衛艦の船体規模では残念ながら航空機の発進と着艦を同時に行えない、こうした難点を指摘する向きはあるようです、発着を同時に行えないならば戦闘空中詳解等の任務を実施できない、とも。しかし、ここでは敢えてその必要性は無い、と強調したい、何故ならば新しい88艦隊は4個護衛隊群に配備する、という前提で示しているため。

 護衛隊群は2個護衛隊で構成する、これが前提です。勿論脅威がそれほど大きくないのであれば護衛隊だけで対応する事も可能です、しかし、空母などに対抗する場合には護衛隊群一個を丸ごと、必要ならば複数の護衛隊を更に集めれば良い、護衛艦は移動できない飛行場ではなく自由に行動できるのですから。すると艦載機、発着の問題は解決しましょう。

 発着を一隻で行わずとも護衛隊群に2隻のヘリコプター搭載護衛艦を配置する前提なのですから、発進する護衛艦と着艦する護衛艦を分けて運用すればよい、難しそうに見えますが指揮統制能力は確実に進化しています、同時に着艦する為に戦闘不能、という程通信と指揮能力は陳腐なものではありません。母艦も状況に応じ即座に且つ適宜に選択しうる。

 艦載機が自由に母艦を選べるという特性は、ヘリコプター搭載護衛艦に平時には哨戒ヘリコプター数機を搭載しておき、必要に応じF-35Bを増強し航空優勢確保や水上打撃戦へ、掃海任務やMCH-101掃海輸送ヘリコプターとMQ-8無人ヘリコプターを、邦人救出任務にはMV-22可動翼機を、水陸機動作戦にはAH-64DとUH-60JAを加えれば良い、即座に。

 海の三種の神器。イージス艦とF-35BにMV-22,この三要素をヘリコプター搭載護衛艦の艦上で連接する事が現在の自衛隊には可能です。まさに海上自衛隊のイージス艦と陸上自衛隊のMV-22に航空自衛隊F-35Bという陸海空統合運用ではありますが、これが海洋の自由、そして最近の中国による人としての尊厳へも挑戦する圧力に対抗する盾となるでしょう。

 新しい88艦隊が必要だ、これは一つの覚悟の例示でもあります。旧海軍が八八艦隊を揃えたほどの経済負担は無い、とは前述していますが、それでも覚悟は必要です。しかし戦後75年、世界は、特に北東アジア情勢は、祈るような平和主義ではなく平和を維持する努力を重ねなければ維持できないよう変容しているのですね。故に新しい88艦隊が、必要です。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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ニッポン終戦七十五年【4】七十五年目の終戦記念日-八月十五日,戦争経験の継承が平和の鍵

2020-08-15 20:00:38 | 国際・政治
■あの大戦,唯一の遺産は平和
 七十五年前の今日この日に日本史は大きく転換点を迎えた事はおおくの方が同意される事でしょう。

 終戦七五年。本日は太平洋戦争が終戦してから七五年目の終戦記念日となります。死者実に350万、膨大な戦死者と空襲や地上戦被害とともに太平洋戦争は終戦となりました。しかし大平洋戦争は終戦が平和をもたらした、との認識が戦争放棄とともに実のところ旧日本軍の奮戦によりあらわれ、ここから得られた平和を享受できた僥倖はあります。

 平和憲法により日本は戦争を、とはよく憲法に関する理解として示されるものではありますが、永世中立国や軍隊を持たない国などは、祈念するだけの平和ではなく中立を守るために並ならぬ努力を続けています。スイスや中立政策を緩めたとはいえ継続するスウェーデン、オーストリア、これらは未だ徴兵制を持続しています、国民皆兵国家なのですね。

 NATO諸国を見ますと徴兵制はトルコとギリシャで継続されていますが、アメリカはもちろん、イギリスやイタリア、スペインまでもが徴兵制を志願制に切り替えており、市民の中の軍隊として軍部を復活させないために徴兵制を維持していたドイツも志願制に切り替わりました。フランスはマクロン政権が一ヶ月間の徴兵制を検討したが実現はしていない。

 日本が戦後平和を享受できた背景には、自衛隊の存在と日米安保条約の存在は大きいですが、なにより日米安保条約は2000年代初頭まで"瓶の蓋理論"として日本に過度な防衛力を持たせないようアメリカが負担するという理論が大真面目に議論されていました、自由化するならば強大な日本軍が復活する、アメリカでは一部でも永らく真剣に考えられていた。

 旧日本軍の遺産、というべきでしょうか、日本を追いつめると過去の歴史を繰り返しかねない、だからこそ日本に対する軍事攻撃は自制しよう、実際のところ戦後日本の平和は努力はもちろん存在するのですが、再度日本に軍事脅威を突きつけることで、かえって眠れる獅子を起こしかねない、という認識があったようにも思うのです。この平和が遺産だ。

 日本軍は強かった。実際問題、マレー半島電撃戦では1000kmを踏破、インパール作戦は杜撰な兵站計画により山間部を300km前進する作戦で三個師団をすりつぶしビルマ戦線崩壊の一因を作りましたが、翌年には大陸打通作戦として1000km以遠の飛行場を占領し中国大陸を南方資源地帯と陸路で結ぶ、どう考えても成功しない作戦を一応成功させている。

 航空母艦同士の海戦は歴史上行われたもの全てに日本が参加している、アメリカは日英の南雲艦隊とハーミーズの海戦に参加していないため、全ての空母間の海戦に参加しているのは日本だけ、地中海や大西洋では空母が参加した海戦は多くとも、双方が空母を展開させる海戦は生起していないし戦後もない。これも日本軍を示す一例といえるでしょう。

 ハワイ海戦真珠湾攻撃、珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、これは日本にとって特に後半は悪夢の連続ではありましたが、アメリカ海軍も簡単に勝利を得られたわけではなく、特にミッドウェーでは飛行隊指揮官の戦死が続出し、悪夢の中の勝利でしかない、これも変な話、戦後に繋がる。

 平和の遺産。現実問題として国力では軍事力への比重を経済力への比重に置き換え、その存在感を高めるとともに徐々に経済力と元々の軍事力により錬成されていた技術力が高まり、結果的に日本という国家の存在感は国力を投入する比重の偏差はあったものの、戦時中と戦後で大きく変わることはなかったように思う。偏差、そうこれは偏差、なのですね。

 国力を経済力と技術力に偏差し、防衛力は経済発展を阻害しない程度に抑える、一方で周辺国もソ連はアフガニスタンや中欧諸国に掛けたような軍事圧力を日本に掛けることはなく一種の緊張感とともに推移し、北朝鮮も韓国に対するような武装工作員の浸透はせず、中国も沖縄トラフのこちら側までは進出しませんでした、少なくとも2000年代までは。

 平和は双方の同意か合意によってのみ存続する。一方だけが平和を望んでも、善隣条約の締結を迫られ特定国家の陣営に寄与することを求められた際に断れない、一方が侵略の意志を持っていた際に平和を目的ではなく手段として用いれば単純に占領されるだけです。この点で、距離を置こうという、社会的距離、最近はやりの概念はあったのでしょう。

 戦後七五年。痛感するのは旧日本軍の遺産というべき、お互いが距離を置いて共存する、伝統的な地政学に依拠すればハートランドを不可侵としつつリムランド同士も接近しすぎない、緩衝地帯を置くのではなくリムランドの距離を敢えて置く曖昧な緊張関係の背景、軍事力強化の口実を与えない環境が、大陸のリムランド膨張により破綻しつつある現状が。

 七五年というものは平和という旧日本軍の遺産でさえも食いつぶしてしまうものなのでしょうか、確かに、視点を1945年に転じれば75年前といえば普仏戦争開戦、当時のフランスはナチスドイツ許すまじ、と団結していても、ナポレオン三世廃位の恨みでプロイセン許すまじ、とはなっていません、75年間というのはいつの世でも、本当に長いのですね。

 歴史認識と歴史事実を継承する必要があると思う、特に日中間で。歴史認識と歴史事実は表裏一体で乖離すればそれはプロパガンダとなります。もちろん難しさはあるでしょう、一例を挙げれば南京事件、当時の市内人口の三倍を虐殺できるわけはないのですが、プロパガンダとして定着している、それだけに歴史事実の共有は簡単ではない、のではないか。

 しかし、大陸打通作戦や上海渡洋爆撃に武漢作戦、黄河決壊作戦や長沙作戦に拉孟戦、慰霊祭を同じ日に行うことは可能な筈です。もちろん、ラングーン攻略やイナンジョン攻防戦、シンガポール攻略やアキャブ作戦、インパール作戦、フィリピンではコレヒドール要塞攻略にマニラ市街戦やレイテの戦い、もう少し公式の場で慰霊祭をやるべきだとおもう。

 旧軍の遺産としての平和、反論はあるでしょうが、要するに危険な国、という認識を共有してこその戦争経験が、周辺国との摩擦を回避する、これをもって平和という遺産を享受できるのであれば、この風化が、今日の中国海洋進出や西日本沖までミサイル爆撃機が飛来する緊張状態を現出しているといえる。賛美ではなく慰霊を通じた継承が要るのですね。

 慰霊祭を行えば、大陸としては例えば大陸打通作戦一つとっても無謀ではあるがしかし内陸部へ1000kmを短期間で占領したという事実は継承できます、すると慰霊するとともに、こうした災厄を再発させないために、距離を置く、という認識を日中間で維持することができるかもしれません。復仇とさせず、そのためにも慰霊祭を通じたその継承が必要だ。

 自衛隊が旧軍の慰霊式、違和感を受け留めるかもしれませんが海上自衛隊は日本海海戦やミッドウェー海戦、マリアナ沖海戦などの慰霊式を毎年実施しています。練習艦隊や護衛艦隊の訓練を通じてかつての戦跡ちかくを航行する際には慰霊式を甲板で開き弔砲を放ち花束を投じる。こうした慰霊を広めて行く、そうでなければ風化は避けられないでしょう。

 また、継承を行う事で過去の歴史を周辺国と、これは戦争となれば日本軍の存在感とともに継承できるように思うのです。戦争の記憶が風化する、これは平和な時代が長く続いた証左、こういいかえる事も出来なくはないのですが、あれだけの規模の戦争から勝ち得た平和です、旧軍の記憶を継承する事で持続できるならば平和の継承を努力すべきでしょう。

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ニッポン終戦七十五年【3】七十五年目の終戦前夜,あの戦争-慰霊碑と戦跡と記憶を継ぐ課題

2020-08-14 20:05:56 | 国際・政治
■城郭,記憶の社会化として
 日本のいちばん長い日、日本が終戦を決断した日から75年が経ちまして宮城事件の混乱を経て明日終戦の詔勅放送から75年、終戦記念日を迎えます。

 戦後七五年。戦争の記憶は個々人が継承するにはそろそろ限界を迎えているのかもしれません。しかしこのまま風化させるには、太平洋戦争であり大東亜戦争として広く展開した戦争の犠牲、これは規格外の大きさがある事も無視できません。なにしろ戦死者と戦災犠牲者、邦人も隣国の諸国民も規格外の規模であり、将来この規模の通常戦争は有得ません。

 社会化が必要でしょう。ひとには寿命があります。護衛艦の艦名などは旧海軍の艦名を継承している艦艇も多く、成程なと感心するのは護衛艦の艦艇広報における展示を拝見しますと先代もその先々代の艦についても紹介されている点で、もちろん乗員に第二次大戦従軍経験者は一人も居ませんが、部隊と艦艇の記憶を、社会化により継承しているのですね。

 2020年。戦後七五年。本邦を一望しますと、しかし慰霊碑や祈念碑というものが年々維持できなくなり、戦跡というものも消えてゆく実情があるようです。戦争の記憶の継承が必要である、という事ですが申し訳ないですか、そんなに安易に継承できるのか、という素朴な疑問へ明るい答えはありません。記憶、継承できるものならば世界はもっと平和です。

 七五年。実のところ危惧するのはこの七五年というものでして、昨年に第一次世界大戦に従軍された最後の兵士のかたが旅立たれたとイギリスから訃報が届き、この継承を現実的に考えなければ実現できなくなる最後の一線が近づいているように思うのですね。継承、全国を見ますと語り部の継承は進められているようですが、これには大きな難しさがある。

 終戦記念日の行事、長く存続するには社会化、つまり個人の経験や体験に依存するのではなく社会的な風習に昇華させて存続をはかるほか内容に思うのですね。慰霊祭、これは一例ですが祭事というかたちで、もちろん八月の暑い時期、近年は熱いという表現が当てはまるところですが、この気温に配慮しつつ、しかし参画できる本当の祭事が必要とも思う。

 日本は好むと好まざるとに関わらず世代交代してゆきますし、世代とともに日本がこれから存続してゆくためにはどこかの段階で多くの移民や外国人季節労働力に依存する必要が出てきます、すると社会化していなければ、第二次大戦中の国籍のルーツに頼った結果で国が極度の右傾化、民族主義ではなく普通に収斂してゆく可能性も否定できません。ここ。

 戦争の記憶を継承する意義は数多く、この継承を紡ぐ事は歴史事実の検証へも関心を集める事となり、言換えれば第二次世界大戦の敗戦と共に周辺国では独裁政治正当化のイデオロギーへ戦勝というだけの事実を利用する流れも存在し、こうした国との対話を行うには、やはり国民全体として、第二次世界大戦というものを継承し考え続ける必要もあります。

 アイディンティティ形成に影響を及ぼしている、これは日本に限らず中国、韓国と北朝鮮にロシアとその友好国、この内政について第二次世界大戦の印象は深く根ざしています。もちろん平和という、これは戦争しないという安易な発想ではなく国家間が地政学上の社会的距離、といえるものを保つことで衝突を回避する、現状維持の原則が前提となります。

 原爆被曝者の語り部、人類には貴重な核戦争への警鐘の語り部ではあると考えますが、警鐘運動は難しい、継承には人間には限界があります、どうしても第三者の目線が入る、戦後史を生きた者には常識の尺度が違う、例えばシリア内戦生存者やリビア内戦生存者で似た経験を持つ方に、戦争全般の認識を語り部として継ぐならば別ですが本旨がずれますね。

 第三者がどのように継承しても限界がある、そしてその継承、語り部の継承の継承も昔話のように、むかしむかしあるところに原爆が、と次の五十年その先の百年をふまえて継承するにも限界があります。AI語り部のように故人をAIで再現する技術も開発されていますが、これで伝わることには限度がある、どこかで継承を個人ではなく社会化する必要が。

 社会化による継承。考えるのは受け手の存在です。批判はあるかもしれませんが、戦争経験を受け継ぐことを社会として考えるのであれば、日本が棚上げした、旧軍を継ぐのは自衛隊か、旧軍を含めた経験の継承を断念するか、ということです。全国ではこの担い手であった戦友会が高齢化により解散が相次いでいます、当事者は時間を超えられないのです。

 日露戦争の語り部。考えてみますとお会いしたことがありません、大平洋戦争の語り部とは、やはりこうした道を辿ることとなるのでしょうか、やがて語り部は歴史となって行くのでしょう。しかし悲壮感というか違和感はありません、例えば舞鶴には広瀬中佐の敬承展示が、横須賀には記念艦三笠が現役です。こういうかたちでの継承はあり得ると思う。

 戦争資料館や慰霊碑の撤去が相次いでいる、こうした論点がNHK特集にて放映されました。云われてみますと個人運営の戦争博物館、収支状況などは推して知るべしという状況にコロナ禍が重なり、そして運営者が従軍経験者である場合は高齢化が進んでいます。ただ、NHKが特集するほど実感がわかなかったのですね、私の行くところは整備されている。

 資料館。自衛隊駐屯地や基地を探訪する機会がありましたらば是非歩みを進められては、と思います。第二次世界大戦や日露戦争における展示が意外と豊富でして、進軍と激戦そして玉砕、この部隊のと云うよりはこの地を衛戍地としていた部隊は、というように展示されています。部隊の限られた予算でも清掃は行き届き、建物は老朽化しつつ保持される。

 平和祈念かと問われますと、歴史博物館的な、なにがあったのか、という部分と歴史の継承を実物の展示とともに行って要るもので、もちろん防衛という任務から反戦だけを延々と説くようなものではないのですけれども、少なくとももう一度南方で玉砕しよう、というような好戦的な展示はありません。この部分は多分に受け手の価値観にもよるのですが。

 衛戍地。自衛隊の部隊で警備隊区と旧軍の衛戍地が重なる地域では、部隊の歴史と伝統とともに衛戍地の連隊史は部隊が引き継いでいます、旧軍との連続性を曖昧としている自衛隊ですが、国土防衛という任務では同じ軍事機構という繋がりはあるのですから。同業者、というには齟齬があるかもしれませんが、同業者という一種の受け止め方もあるもよう。

 戦争記憶の継承。従軍した兵士たちの記憶は自衛隊が受継ぎ得る、こう考えます。しかしこれは戦友会の歴史を部分的に隊友会が任務を受け継ぐ、変な話同業者、としまして継承できるでしょう。しかし総力戦であったのですかた、あわせて戦争の記憶を社会全体で継承するには、つまり記憶を特殊ではない方法で社会全体が共有する模索も必要でしょう。

 復興天守閣をできる限り建設するべきと思う。これは明治維新の後に旧陸軍により破壊された城郭を含めて、です。もちろん追悼の場に神社という者はあると思います、護国神社などはまさにこれにあたります、しかし、憲法上政教分離が明示されているため、護国神社を国が支援することは憲法上できませんし、政教分離原則も改憲すべきでもありません。

 慰霊碑と慰霊広場を建設する、こうした選択肢もありかもしれません。しかし、これが永続的に維持できるかは懐疑的です、護国神社、もちろん総鎮守社でもよいのですが、こういった神社には氏子衆が保全に当たれますが、慰霊広場では氏子衆は育ちません。しかし城郭であればどうか。城郭は明治建軍の際にかなり破壊され、後には戦災でも破壊された。

 城郭を再建するべきではないか。終戦の記憶と戦争の記録の継承という動きがありまして、最近驚いたのはAI語り部として人工知能に戦争経験者の記憶を継承させ、平和教育をはじめ平和創造に寄与させようという動きがある点です。もちろんセンソウハヨクナイヒサンデシタデスと無機質にAIが音声を流すものではなく本人の高精細画像を残す、というものではあるのですが。

 AI語り部、苦肉の策なのかもしれませんがこれには危機感を覚えます、こういうのもAI語り部には学習機能はあってもそれは本物ではないからなのですね、AIの仕様によっては疑義の体験や架空の戦争経験も流布しかねず、なにが本物なのか、ここを曖昧とする懸念があるとともに、しかし戦争というものは紛れもない現実、これを無視しているのでは。

 応仁の乱。AI技術が発達するならば歴史上の人物の日記や様々な情報を元に仮想現実を組立、京都で云えば応仁の乱の語り部を現出させることもできるでしょう。しかし、それが心に響くかと問われれば難しいものがある、戦争を醸成するパワーバランスが政治学や軍事理論だけで導き出せず社会学や文化論が介在する点と似ている様に単純なものではない。

 城郭。これを再建するべきだ、と考えるのは、戦争の記憶を共有する為に、これから日本では数多くの方を移民で迎える事となるでしょうし、少子高齢化といっても多くの子供たちへ世代を受け継いでゆく事でしょう。すると戦争の記憶を継承するには無宗教のもので無ければ受け入れられない可能性があります。すると受け入れられ、定着するものは何か。

 城郭というものは明治維新と共に反乱軍等に悪用されないように旧陸軍は積極的に破却という形で破壊しましたし、残ったものものも少なくはないですが、これも少なくない数が戦災、特に空襲で破壊されています。そして復興天守として、戦後草創期に再建されたものはあるのですが、戦災からの復興天守閣には戦争の記録なども展示されているのですね。

 復興天守閣。丁度今は令和時代となりましたし、城郭を再建するには一つの時機ともいえます。そして城郭は軍事施設、と考えるのは料簡の狭いものでして確かに江戸時代以前の城郭には軍事施設としての色彩が濃かったのですが、一国一城令の後の城郭は藩庁としての行政中枢という位置づけにあったのです。そして城郭の風景は社会に受け入れられ得る。

 戦争遺構。城郭が適当であると考えるのは、城郭が明治時代に破却された背景に反乱軍の占拠防止という大前提がある、いわば明治維新と動乱期の日本という、これは一種の戦災が背景にありましたし、第二次世界大戦における空襲での焼失はまさに戦災というもの、そして宗教施設である神社は公金を投じられませんが、城郭ならば文化財と言い切れる。

 平和公園、こういうかたちで戦争遺構を保存するという選択肢はあり得ますが、公園を散策して第二次世界大戦を連想できるのか、という問題はあります。たとえば空襲の激甚被害地域を広大な公園として思いを馳せる選択肢はあるでしょうが、空襲は都市部におこなわれ、その都市部は75年を経て再整備が完了、中心部の公園用地取得は非現実的です。

 慰霊碑を市役所の前に、という選択肢もあり得るのかもしれませんが、慰霊碑というものに広く関心を引きつけるポテンシャルがあるのかは疑問があります、なんの慰霊碑か、ということにも成るでしょうし、なにより慰霊碑も永遠ではありません、老朽化する。すると建て替える際に縮小はありえますし、再開発でこれらは移転の可能性も否定できません。

 城郭であれば観光地となりえますし、なにより前述の通り戦災に見舞われた正統性があるわけです。結局慰霊施設や戦争施設と局限してしまいますと、慰霊祭など限られた機会でしか衆知の幸いに恵まれないことを意味しますし、なにより人が集う機会のない場所には存続や整備の機会をも逸することを意味します、この点で城郭は観光地ともなりうる。

 衛戍地として、全国に鎮台と連隊区が設置された際にも城郭はその本営として用いられたのですから、ここには重ね重ね正統性と正当性は見いだせるのですね。そして城郭は全国にいくつかあります空襲被害を免れた地域でも存在したという、地域偏差のない普遍性があります。軍隊が居た、そして空襲があった、その郷土史として社会化ができれば、と。

 城郭ならば日本らしい風景として情景の一部として継承されますし、郷土史の資料館を併設した場合でも不自然ではありません、老朽化した場合に補修する事でも反対は起きにくいでしょうし、郷土史を受け継ぐならば戦争というものもその地に戦災が在ったならば、郷土史の一部として継承され得ます。この長く継承される、という事こそが重要と思う。

 もちろん、他に選択肢があれば採るべきでしょう。城郭というものは北大路機関が考えた社会科の一つの思索の結果でしかありません。しかし現状の博物館に依存する戦争の歴史の継承には限界がありますし、慰霊碑というものを公金が継承するにも限界があります、いやあと十年や二十年ではなく次の七十五年というものを考えた場合の選択肢、という。

 転用石として、慰霊碑を城郭の再建に供するということも選択肢の一つなのかもしれません。転用石とは城郭の石垣などに墓碑などを転用するというもので、心は痛む選択肢ではありますが、城郭と一体化することで、工法の巧みさもあるのですが、数百年を経て読み取れる墓碑もあり、こうする事で第二次世界大戦も数百年、継承できるかもしれません。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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令和二年度八月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2020.08.15-08.16)

2020-08-13 20:08:30 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 お盆休みという事で例年元々行事の無い季節ではありますが皆様いかがお過ごしでしょうか。

 今週末の自衛隊関連行事はありません。終戦記念日が今週末にいよいよ訪れるのですが、その終戦記念日は戦後七十五年という一つの区切りでもあるのですけれども、やはり新型コロナウィルスCOVID-19感染症により終戦記念日の行事もなかなか思うように参らない模様です。実際、COVID-19との戦いは戦時下に近い厳しいものが世界でつづいています。

 COVID-19新型コロナウィルスとの戦いは、しかし戦時下と表現し得る厳しい状況ではあるのですが、戦後七十五年で出会う戦時下というものが、戦いの相手が人間ではないということに少し安堵するとともに戦時法も非戦闘員の区別も無く感染し、しかも驚くべき水準の感染者と少なくない規模の致死率を叩き出している状況に、やはり不安を感じるもの。

 さて。今週末の自衛隊関連行事は執り行われないのですが。終戦から七十五年ということで、感染対策というものを最大限考えました上で、遠出しない戦跡めぐり、というものを行ってみてはどうでしょうか。戦争遺構、探してみますと意外にあるものです。もちろん見渡す限り山林が続くばかりというところでは別ですが、探してみると意外にあるのです。

 戦後七十五年。戦跡というものは急激に宅地開発や建て替えに再整備事業を通じて消えつつあるとは様々なメディア等で報じられるところですが、戦災の記憶というものは当初の復興熱が無ければ、変な話ですが、応仁の乱以降の京都が安土桃山時代末期まで復興を本格化出来なかった歴史を思い出しますと、復興というものはそう悪い様にも思いません。

 ただ、完全に消えると共に記憶と記録が乖離してゆくというものは、やはり一抹の寂しさを覚えるものです。すると、敢えて遠くの史跡や名所旧跡を散策するのも趣き深い所ですが、近場というものの歴史を広くしってみるのも良いでしょう。こういう事は時間が無ければ出来ません、そしてCOVID-19との戦いで遠出を自粛する今が、その好機とも思う。

 戦跡といいますと、艦艇基地や師団司令部庁舎の遺構等を示してまいりましたが、流石にこれほど日本中でCOVID-19の感染拡大が続く状況ですと、師団司令部庁舎となればかなり数が限られますので、遠出して集まろう、とは厳しいものがありますが、街中でも空襲の遺構というものは何かしら残っているものですし、歴史というものは残ってはいるものなのです。

 空襲の痕跡、駅舎や鉄道施設に工場地帯等を巡れば意外な程に機銃掃射の遺構というものは残っているものです。もっとも自衛隊施設一つとっても今の師団司令部が旧軍遺構だったり駐屯地にあるスロープが旧海軍の水爆訓練用だったり、不思議な形状の構造物が旧軍の戦闘機掩体だったり、多いのは任務と敷地を継承している自衛隊施設でもあるのだが。

 COVID-19の感染拡大防止が現実として第一ですので遠出は出来ません、ただ、こういう時節だからこそ地元と云いますか身近な戦跡を巡ってみるのも良いのかもしれません。そう、感染避け公共交通機関を使わずとも都市部で有れば神社等に忠魂碑が残っているものですし、地元の街の空襲の歴史を辿りますと、遺構はひっそりとでも残っているものです。

 歩いてみる、発見はあるでしょう。いや近所を歩いてみるという事は戦跡を見つける機会とともにもう一つ、防災上の発見などもあるかもしれませんし、なにかしら興味深いものは見つかるものです。もっとも、この夏は昨年もそうでしたが非常に暑い日々が、梅雨明けから続きますので、熱中症、水分補給など、というものには注意が必要ですけれどもね。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・今週末の行事なし

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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【京都幕間旅情】祇園祭山鉾巡行回想録(2)播磨国広峯の牛頭天王遷座と壬生町衆の風流傘

2020-08-12 20:03:18 | 写真
■神泉苑御霊会からの祭事
 祇園祭、疾病祓いの伝統行事故にこの新型コロナウィルスCOVID-19においてもその意味合いを考えるところですが。

 神泉苑での御霊会、疫病を引き起こす瘴気や死した人々が悪鬼怨霊とならぬよう、鎮める事を願って。しかし貞観5年の神泉苑御霊会はしかし、一説には一時的に疫病の流行を洛中から排する事が出来たともいわれるのですが定かでありません、次の騒擾が控えている。

 貞観6年こと西暦864年、富士山が突如噴火する。聖武天皇時代にも歴史的な噴火を引き起こし溶岩流が山容を変えたともされる富士山ですが、事この貞観富士噴火は富士山が二つに大きく避け噴出した溶岩流は須走、青木ヶ原、山麓の原生林を一蹴し北へと流れる。

 古富士噴火ともよばれる貞観富士噴火は、万葉集にも歌われた美しい山容は地獄の窯の如く一変させ、流れ出た溶岩はそのまま富士山麓の富士湖を多いつくし、激しく湧き上がる蒸気が晴れたころには既に湖は無く、五つに分断され富士五湖として今に至る程でした。

 貞観11年の西暦869年、今度は陸奥の国が揺れる。千年前の東日本大震災、貞観三陸地震の発生です。この記録は余り多くが残っていません、何故ならば記録を残すべき当事者の多くが津波に押し流されてしまい海の蠢動に消えたため。多賀城からは朝廷へ急報が飛ぶ。

 貞観三陸地震の被害は津波が多くをしめ、陸奥国の国府がおかれた多賀城には平成時代の調査により多賀城城下町の南北大路まで津波が押し寄せ、家屋を破壊した痕跡が発見されています。日本紀略類聚国史によれば内陸数十kmまで津波被害が及んだと記されています。

 貞観10年の868年には播磨国地震が発生し姫路付近の被害が激甚照り山陽道の連絡が一時不通となり、貞観13年こと西暦871年には鳥海山が大噴火を引き起こしています。時の清和天皇は労役と租税の免除に関する勅令を発し、しかし貞観三陸地震には弱冠20歳という。

 貞観18年の876年。朝廷は播磨国広峯の広峯神社から牛頭天王の神霊を遷座し、平安遷都後の安寧を祈る事となります。いや広峯神社には令和時代の今日も牛頭天王本宮を掲げている為に、遷座というよりは分祀といえるのかもしれませんが、牛頭天王を頼りました。

 牛頭天王は仏教と神道の神仏習合による信仰であり、仏教では釈迦が生を受けた祇園精舎の守り神であるとともに、神道では素戔嗚尊、荒ぶる神スサノオの系譜にある神であり、朝廷は祀る社を洛中守護に奉じることとしました、これこそが今日の八坂神社なのですね。

 元祇園社梛神社。祇園祭の原型は神泉苑での御霊会にあるのですが、山鉾巡行という洛中中心部を巡幸する祭事については原型が、そもそも朝廷の意図した祭事では無い転移特筆されます。元祇園社梛神社、中京区壬生梛ノ宮には八坂神社創建まで御旅所がありました。

 牛頭天王の神霊をそのまま八坂神社に直行させるのではなく、壬生梛ノ宮に御旅所を備えまして休息ののちに遷座を、という神道の習わしではあるのですが、壬生の町衆からは牛頭天王の神霊への崇敬の念が日々高くなり、八坂神社への本宮入を慕って列を為した、と。

 壬生梛ノ宮の御旅所より八坂神社へ神輿の御輿が列をなして巡行する中、壬生の町衆は花飾りの風流傘を立て、そして鉾を振って楽を奏しつつ八坂へ行列を為した、これが山鉾巡行の原型といわれます。山車こと山鉾などはなく、まさにその時の行列は自然的といえる。

 風流拍子物。山鉾巡行の原型を辿りますと花園天皇宸記、鎌倉時代の歴史書に見い出す事が出来るのですが、富裕な町衆が競って風流拍子物を並べたといいます。此処に実は定型は無かったようで、それもそのはず、祇園祭は神輿の御輿による巡幸にこそ意味が在った。

 鷺舞。この時代は朝廷が南北朝に分かれている時代故に、いわば多党政治か権力基盤薄弱という政治情勢でして、西陣舎人座が鷺舞という行列芸能を示したりで競うようになりゆくのですが、考えてみればこれは後に続く応仁の乱への下地が形成されたともいえますね。

 久世舞車。室町時代になりますと、室町将軍家が山車を調進し、鎌倉時代の自由勝手に音楽を奏で賑わうという方式から、幕府が謹製の山車を町衆が飾り立てる、という、現在の祇園祭に近い形が形成されてゆきます。神幸祭の前に巡幸し掃き清める定型が出来て行く。

 町衆。自治組織両側町として幕府から下町の自治組織が形成されるようになりますと、邪悪を打ち払う武具である竿状の鉾、そして羯鼓舞のような神楽を舞う稚児を乗せた屋台を合せた山鉾、とが形成されるようになりまして、いわば室町時代中期が転換期となる。

 洛中洛外図。室町時代中期に洛中の情景をえがいた屏風絵、その現存するものを見ますと、山鉾を曳く今日の山鉾巡行の形が形成されていることが描写から読み取れまして、この頃には官側の八坂神社による祭事と山鉾巡行が一つの祭事二つの行事、となっていました。

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