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北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【防衛情報】米陸軍海兵,AH-64&V-22量産とAAV-7沈没,BvS.10導入とストライカー改良

2020-08-11 20:01:08 | インポート
■週報:世界の防衛,最新の論点
 防衛情報の週報としまして日本の防衛に参考となる幾つかの話題を幾つか列挙してゆきます。まずは先日も紹介したNATOの続報を。

 ドイツ駐留米軍大規模縮小はアジア転進計画を改め欧州域内への再配置に切替える、エスパー国防長官が発表した。事の始まりはアメリカトランプ大統領がドイツ政府の国防努力不足を大統領就任前から問題視しており、6月にドイツ駐留米軍3万5000名のうち1万2000名を削減すると発表したが、当初は1万2000名をアジア地域に転地するとしていた。

 ドイツ連邦軍は陸軍6万6000名と戦車225両、海軍はフリゲイト10隻と潜水艦6隻で揚陸艦などは無し、空軍はユーロファイター戦闘機141機とトーネード攻撃機68機などを装備している。冷戦時代は西ドイツだけでも陸軍36万名と戦車3800両を配備しており、大幅な減少だが、新戦闘機F/A-18E選定に装輪装甲車やトラック調達等一応の近代化は進む。

 在欧米軍司令部は現在ドイツシュトゥッツガルドに置かれているが、ベルギーブリュッセルに移動するとし、ドイツから転地する1万2000名の内5400名はイタリアなどに移駐する。なお移駐には数年間を要する見込み。残る6600名の動静は発表されていないが、欧州域外へ転地するという方針は変っておらず、米本土再配置かアジア転地等が考えられよう。
■アパッチ二五〇〇号機完成
 AH-64の話題。旅客機事業が737MAX問題とコロナ航空不況で苦境のボーイングに少し明るい話題です。

 ボーイング社は同社が生産するAH-64戦闘ヘリコプターの2500号機を完成させたとのこと。2500号機は2020年7月に完成、最新のAH-64Eとのこと。AH-64Aとして最初のアパッチヘリコプターが完成したのは1983年、当時はボーイングとは別会社であったマクダネルダグラス社により完成、1991年湾岸戦争において別格の戦闘能力を発揮しました。

 アパッチガーディアンとして生産されるAH-64Eは、AH-64Dアパッチロングボウに無人機管制能力と空対空戦闘能力を追加したもので、自衛隊仕様のAH-64D-Jモデルに無人機管制能力を付与したもの。日本ではミサイル防衛など優先事業や錯綜地形でのロングボウレーダー性能に難点が指摘されますが、統合型ミサイル開発など本家では進化が続きます。
■オスプレイ四〇〇号機
 ボーイング社にもう一つ明るい話題。アメリカ軍と共に自衛隊へも配備開始となったオスプレイも思えば数が多くなりましたね。

 七月、ベル社と共同生産するV-22オスプレイティルトローター機の400号機を完成させたとのこと。記念すべき第400号機はアメリカ空軍特殊作戦軍団配備の機体とボーイング社により発表されている。V-22はアメリカ海軍及び空軍と海兵隊に加え陸上自衛隊でも運用されている機体で陸上自衛隊配備の機体は六月より木更津駐屯地で訓練を実施中となっている。

 V-22、その最大の特色はティルトローター構造として回転翼航空機と固定翼航空機の双方の特性を持つ点で極めて高い巡航速度と戦闘行動半径を有するが、ティルト機構の制御で実に21年間と開発が難航した事で知られます。現在は安全性が確保され高性能機として運用が続くが取得費用が高い点が難点、しかし現在もインドネシア等が導入を希望している。
■米海兵隊AAV-7事故
 水陸両用作戦の代名詞的装備で世界各国で運用されるとともに自衛隊にも配備されたAAV-7の気になる話題です。

 残念なニュース。AAV-7両用強襲車サンクレメンテ島沖で沈没、15MEU-第15海兵遠征群所属車輛が訓練中に沈没したとのこと。事故は7月30日に発生、沈没時点でAAV-7には16名が乗車しており、8名が行方不明という、沈没から100時間、生存は絶望的と思われる。サンクレメンテ島はカリフォルニア州のキャンプペンドルトンから沖合100kmに位置する離島である。

 15MEU訓練は揚陸艦から発進し戻る最中の事故という、事故現場の水深は1000m以上。事故発生とともに当該車輛からは浸水が始まったと救助を求める通信が入っており、近傍で訓練中のAAV-7が2両、また海軍の高速艇も救助に当たった。これにより脱出した8名は救助されたが、内1名は搬送先の病院で死亡し更に2名が集中治療室で加療中とのこと。

 AAV-7は水陸両用の両用強襲車であり、24名の海兵を乗せ洋上を17km/hで航行するが上陸後は地上を72km/hで機動し内陸部へ進攻可能、海岸橋頭堡を確保する為の性能だが2003年のイラク戦争では第2海兵師団が内陸600kmのバクダッド攻略に参加しており、大型装甲車としても活躍する。アルミ合金製だが浸水した場合には沈没の危険などもある。
■海底の沈没AAV-7
 アメリカ海兵隊ではAAV-7の沈没原因究明を進めているとのことで自衛隊でも運用の装備故にその去就に注目も。

 AAV-7,沈没した車両について、8月3日、行方不明となっていた海軍水兵と海兵隊員のご遺体が回収されたとのことです、ご遺体はデラウェア州のドーバー空軍基地へ移送されご家族と対面、19歳から23歳という若者でした。これは米海軍のチャーター船ドミネーターによりサルベージされたとのことで、AAV-7は110mの海底に沈んでいたと発表しました。

 アメリカ海兵隊ではAAV-7の沈没原因究明を進めている最中であり、一時的に外洋での航行訓練も中断していますが、AAV-7は原型車の開発から絶え間ない改良が進められており、防弾性能は強化されパワーパックもブラッドレー装甲戦闘車のものと同型に改められ、その分重くなっている。この原因調査の支援へドック型揚陸艦サマセットも協力しています。
■CATV計画BvS.10導入
 連載記事にて特集中の自衛隊にも導入すべきと考えているBvS.10、写真はイギリス海兵隊のものですがあの国も導入へ。

 BvS10,アメリカ陸軍が遂に全地形車両を導入へ。アメリカ陸軍は7月19日、CATV 計画としてイギリスのBAE社よりBvS10全地形車両の非装甲型であるベーオウルフを導入するとのこと。このCATV計画というのはCold Weather All-Terrain Vehicleを示しまして、要するに雪上車として導入されるようです。当面は試験用にまず2両を取得するとのこと。

 ベーオウルフはイギリス文学最古の英雄譚叙事詩における主人公を示し、紅蓮の焔を操るグレンデルのドラゴンを破ったという。ただ、アメリカ陸軍のCATV計画はドラゴンを退治するのではなく、近年ロシア軍が急速に進める北極圏での全地形車両部隊による戦闘団編成へ対抗の意味合いがある。従来アメリカ軍は極地戦をヘリボーンに依存していました。
■ストライカーにジャベリン
 ストライカー装甲車、日本ではやたら人気です。七年ほど前に初の国内日米合同演習に参加した際に工兵型がいきなりスタックして私はちょっと一歩引いてみていますが。

 ストライカー装甲車の話題です。写真は96式で代用。ジャベリンウェポンシステム、アメリカ陸軍が本格試験を開始。これはストライカー装甲車に装備するコングルベルク社製遠隔操作銃搭RWSに歩兵携帯式のジャベリン対戦車ミサイルを一体化させるもので、RWS操作端末画面上に目標となる戦車等の装甲車両や航空機と照準カーソルを合わせる事でRWSに連装されたミサイルの射撃を可能とするもの。

 ジャベリン対戦車ミサイルは射程2000m、タンデム弾頭により爆発反応走行を備えた戦車を破壊し、トップアタック弾道により戦車上面を狙えます。画像認識した目標へ飛翔し命中する完全撃ち放し式のミサイルです。ジャベリンウェポンシステムの試験へは2023年8月末日までが見込まれており、初期のフル生産へアメリカ陸軍は4724万ドルを支出します。

 現在、ストライカー装輪装甲車にはTOW対戦車ミサイル搭載型や105mm機動砲型が存在しますが、歩兵機動用のストライカーには12.7mm機銃か40mm自動擲弾銃のみ、戦車と不期遭遇の際には対戦車特技兵にジャベリン対戦車ミサイルを携行させ下車戦闘を行う以外打つ手なしという状況がありましたが、今後は、自衛隊戦車戦闘が可能となるでしょう。
■ストライカードラグーン
 ストライカー装甲車にドラグーン砲塔を搭載する計画が。105mm機動砲型はありますが諸兵科連合大隊での運用でも各車の火力は重要なのでしょうね。

 ストライカー装甲車用XM-813/30mm機関砲新型弾薬開発進む。ストライカー装甲車は2004年に配備開始となり、ミディアム旅団構想として軽歩兵主体の軽旅団戦闘団と戦車や装甲戦闘車を備えた重旅団戦闘団の中間を担う旅団体系として具現化しましたが、いざ、運用してみますと、イラク等での警戒任務以外では、特に火力不足が痛感されています。

 そこでM-1296ストライカードラグーン、30mm機関砲を搭載する改造が。重量は2t増大し、同時に大量配備される予定であった105mm砲搭載型のストライカーMGS機動砲の配備縮小を補う施策でもあり、これは明らかに泥縄的配備ではありますが、実用性は高いとされた。構想は2014年より開始されていますが、部隊配備は2022年からとされています。

 XM-813/30mm機関砲新型弾薬は空中炸裂信管を採用したものでレーザーレンジファインダーでの測距とともに、任意距離で作動、塹壕や射撃陣地の制圧に用いる他、戦闘ヘリコプターや小型無人機に対しても威力を発揮する。M-1296ストライカードラグーンは試験配備として81両がドイツ駐留の第2騎兵連隊ストライカー旅団戦闘団へ配備されています。
■米軍XM-913/50mm機関砲
 アメリカ陸軍ALAS-MC計画,昔は装甲戦闘車用火力として89式の35mmが世界最大口径でしたが、最近は更に大口径化の流れが。戦車砲でもこの頃この流れも。

 装甲戦闘車用XM-913/50mm機関砲の実証砲が7月に完成したとのこと。ALAS-MCは高精度中口径機関砲システムを示し、現在M-2ブラッドレー装甲戦闘車に搭載されているブッシュマスター25mm機関砲の後継を想定しているとのこと。ロシア新型装甲戦闘車に57mm機関砲が搭載され各国では対抗する機関砲開発が進む。

 XM-913機関砲の開発はジェネラルダイナミクスオーディナンス社が主契約企業で、砲架部分の開発はノースロップグラマンが担当、弾薬としてXM-1203-APFSDS-T装弾筒付安定徹甲弾とXM-1204-HEAB-T多目的空中炸裂榴弾の開発も並行する。HEAB-Tは現在の装甲戦闘車用HE多目的榴弾の後継として、歩兵制圧や陣地攻撃に多用される構想ともいう。

 50mmは第三世代戦車側面も貫徹し得る大口径機砲であるが、ブラッドレー装甲戦闘車のM-242ブッシュマスター機関砲と同程度の規模に設定され、火器管制システムは目標自動追尾能力に加え対人や対人地と対車両を射撃管制機能の一環として識別し有効弾幕や制圧射撃を行う計画であり、空中炸裂は近年課題となる小型無人機制圧にも威力を発揮しよう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【映画講評】日本沈没2020(2020)【2】未完の”第一部完”と謎解きの鍵は”歴史と文明の旅”

2020-08-10 20:01:45 | 映画
■日本沈没,本日NHK-BSで放送
 原作に登場した護衛艦はるな既に除籍後十年であり完結編登場の護衛艦くらま、その除籍からも久しい2020年代の日本沈没リメイクです。

 1973年版映画“日本沈没”が本日NHKBSプレミアムにて放映されまして、原作発表の同年に映像化、東宝が本作にかける情熱が垣間見えるところです。日中国交正常化翌年であり沖縄本土復帰翌年、そして映画公開の年は永い高度経済成長が第四次中東戦争に伴う石油危機により終焉を迎え戦後初の経済での敗北感を感じた、1973年というのはそんな年で。

 映画と違い原作ではどのように一億以上の国民を退避させるのかという難題で、自衛隊と米軍が保有するLST戦車揚陸艦が大量に投入されたり、各国空母が集まったり世界の旅客機の30%を日本国内に集中させ、伊丹空港が“大阪万博以来の狂気じみた突貫工事”により滑走路四本体制となったりで移住先を探すと共に脱出する物理的な苦悩も描かれてゆく。

 戦後の南方からの引き上げという一千万規模の人口移動、この経験を活かせないか、という視点に、中国は大量の邦人を受け入れたいが当時は中国も食糧難の時代であり受け容れようにも食料が無く日本の農民移住を希望する、また豪州は大陸横断鉄道に日本で建設不能となったリニア新幹線の資材と建設要員を受け入れる等、時代を反映する原作でした。

 映画では脱出できた国民は3400万とのことですが、原作では7000万の大台に乗せていまして、考えてみるとこの原作で生き残った人口というのは第二次世界大戦終戦時の日本本土人口がこの規模だったのですね。蛇足ながら映画の東京巨大地震での死者360万、第二次世界大戦の日本軍戦死者と日本国内死者の合計数であり、ここは意識したのでしょうか。

 日本沈没2020、インターネット配信ということで実況掲示板などを通じての世界観を共有しにくく、しかも広報が地上波も衛星放送でも全く為されておらず、関連特番も組まれていませんので反応しにくく、しかし伝わるところでは相当に出来が悪いといいますか、小松左京の世界観というよりも小松左京の名を騙る題名詐欺という悪評までは伝わってきた。

東京五輪直後に破局が、というものが日本沈没2020の舞台といいますので、東京五輪が延期となった世界では少々説得力に欠けるといいますか、その上で田所博士も小野寺さんも玲子さんも摩耶子さんも片岡氏も邦枝氏も中田さんも出てこないのであれば、確かにタイトル詐欺となってしまうのですが、まあ、敢えてここでは評価しなせん、それより原作だ。

 日本沈没。第一部完。小松左京は日本沈没を最終的に日本列島を失った後の日本民族の行く末までを網羅する超大作とする構想はあったようです。しかし、出版社としては執筆十年、これ以上待てない事情もあった。実際、第一部完、直後にジャンボ機で世界中飛び回りその世界の風土や民族習慣価値観を、歴史と文明の旅、上中下三巻にまとめています。

 もはや戦後ではない。この言葉は1956年に経済企画庁が経済白書に記した言葉ですが、流行語ともなりまして、ここへの一つの違和感、高度経済成長とともに経済戦争という単語、経済戦争には勝利した、という空気、この空気に、やぶれかぶれ青春記、ここで記されているような、それではあの戦争のことをどう考えるかへの放棄を感じたのではないか、と。

 歴史と文明の旅。エッセイ本へ世界を回る方は多いですが、それこそソ連からブラジルまで世界一周して一人の価値観から、1970年代に一気にまとめた、というのは大きな価値があります。そして明らかに、日本沈没後の日本人、原作では七千万しか脱出できませんでした、行く末を未成の、日本沈没第二部、ここに記す為の綿密な下調べだったのでしょう。

 高度経済成長、もはや戦後ではない。ここでいう戦後とは敗戦とともに主要都市は京都以外全て焼かれ、配給も遅配、ヤミ物資で命を繋ぐという状況から、一応は自分たちの生活が成り立つようには経済力が回復した、という意味も含む程度のことなのでしょう。しかし流行語となった時点で、経済戦争への勝利、と空気が変わっていったように回顧できる。

 世界第二位の経済大国。日本のGNP,今風に言えばGNIは1968年に西ドイツを抜き世界第二位となります、ここまで毎年10%の経済成長、つまり10%というと七年でGDPが倍増するのですが、ここでアメリカに次ぐ経済大国としての地位を培うとともに、なにか、太平洋戦争というものを再考する機会、その散逸が日本沈没に反映されているのでは、と。

 牙の時代、短編ですが空気というか価値観というか、その急変というものを描いています。夢からの脱走、これは今風に言えば異世界ファンタジーなのか。猫の首、ここでも戦争というか闘争、人間の正気と良心の基盤となる価値観の変容を扱っています。なにかあの八月十五日、そこで切り替わった空気のようなものの違和感を残そうとしているように思う。

 2020年。しかし、小松左京が存命であったならば、2020年に日本沈没をリメイクするならばどう描くのでしょうか。いや、先行する作品に基づいて小松左京氏が兆円を描く事があるのですね、物体O、アメリカの壁、この二つの作品が長編で映画化もされた“首都消失”へと繋がってゆくのですし、日本沈没に似たような、日本漂流、なんてのがありますから。

 阪神大震災。1995年に発生した巨大災害に小松左京氏は大阪の箕面で被災し、自宅倒壊は免れますが日本沈没発表の際に土木工学者から日本の高架が倒壊する様な描写は有り得ないので民心を惑わすべきではない、と抗議を受けた事を思い出し、もう一度聞きに行ったらば、いやあれば地震が想定外だったからですよ、と開き直られ唖然とした事があるとも。

 日本沈没1999。松竹映画と共に再度映画化の話題が出た際には、実は阪神大震災の頃に出始めていたインターネット、当時未だパソコン通信といった頃か、この行方不明者問い合わせにテレビ中継と連携させよう、という試みが技術的と倫理的問題から頓挫したと氏がエッセイにて述べていますが、日本沈没1999にてそうした描写を描こうとしたと伝わる。

 未来からのウインク。小松左京氏の著書に至る様々な視点を回顧したエッセイなのですけれども、ここに阪神大震災を契機とした認識の転換が含まれているのですね。要するに日本沈没の時代に在ったような、日本の空気、第二次世界大戦へ進んだ際の空気の様なものが払拭された、しかし、という視点で未来に問い明ける意味でのSFへ昇華したといえます。

 3.11東日本大震災。2011年の東日本大震災。考えさせられるのは、小松左京氏が健在であれば、日本沈没の再映像化を前に東日本大震災に打ちひしがれた日本、続いて存在が現実視される南海トラフ連動地震、この脅威の前に敢えて日本沈没をそのまま映像化することをどう考えるのだろうか、という視点です。実際社会も価値観も国際情勢もかわっている。

 日本沈没。全てを示している作品ではあるのですが、上下巻の最後に明示されている“第一部完”というもの、虚無回廊や敢えて完結を避けたこちらニッポン、見知らぬ明日もその終章は読者にゆだねているのですが、第一部完、と明示した日本沈没、ここを敢えて触るのは、なかなかに度胸の要るもの、といえるのかもしれません。ある種愉しみではある。

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ニッポン終戦七十五年【2】七十五年目の長崎原爆祈念日,核の原則宣言と国際規範を超えて

2020-08-09 20:09:26 | 国際・政治
■戦後核軍縮秩序の危険な変容
 本日は八月九日、長崎原爆の日です。第二の原爆は当初の攻撃目標が悪天候により確認できず急遽核攻撃された納得できない悲劇があります。

 長崎が核攻撃されたのは今から75年前となります。広島核攻撃が人類史上最初の核攻撃ではありましたが、長崎への核攻撃は現在のところ最後の核攻撃となっています。現在のところ核兵器は戦略核兵器とその運搬手段を大威力で精度を補い標的としていると理解されていますが、精密誘導兵器等代替兵器が開発された後にも核兵器は廃止されていません。

 戦後世界政治システムにおいて第三次世界大戦が勃発しなかった最大の背景に東西冷戦という勢力均衡、特に核兵器による相互確証破壊の狂った秩序があります。そして東西冷戦とともに日本は戦後の平和憲法制定により明治憲法を改正した事で事実上、防衛力整備に自ら多大な制約を課すこととなり、憲法を含む主権を維持するには均衡に視多く必要が。

 アメリカの核の傘。この均衡とは、第二次世界大戦後をフィンランドのように国民皆兵による武装中立という選択肢を得る事無く事実上の無条件降伏と道を選んだ我が国には東西両陣営の一方に所属し安定を得るか、朝鮮半島のように代理戦場となるか、選択肢が事実上無かったというものがあり、アメリカと同盟関係を結ぶ上で核の選択肢も狭まりました。

 核拡散防止条約締結前には、1950年代の岸内閣時代には核武装は専守防衛の範囲内でも憲法違反とは確証できない旨の発言があり、1960年代には結論として核武装は日本の安全保障において悪影響の方が大きいと結論付けられるも、政府外郭団体を通じて国際政治の観点からの政治研究課題としては存在していました。日本以外を視ればもう少し話は複雑に。

 2020年代に入り間もないですがドイツ空軍は次期戦闘機としてF/A-18Eを選定、この理由が有事の際に米軍から供与される戦術核運用能力でした。そして与党内ではありませんが、ロシア脅威の再燃を背景にドイツ国内では独自の核開発を求める政党も存在しており、核開発とは、令和時代の日本ほど禁忌として現代においても共有されていないともいえます。

 核軍縮は自然醸成型の世界政治の帰結ではなく、結局のところ核軍縮の重要性と核戦争の脅威を目の前とした場合、我が持たず核攻撃を受ける可能性を突き付けられたならば、核抑止という政策を選択肢として禁忌から省く、という現実も不自然ではないのですね。核廃絶は必然でない、故に核軍縮を核廃絶に昇華させる努力を含めて、参画する必要はある。

 核兵器を現実の脅威として価値観を共有する中での、こうした枠組み、それも厳しい拘束力とともに、しかし国際政治の現実を直視するべく核兵器国を認めつつ軍縮義務を突きつけた。他方で、この厳しい拘束力は、いうなれば上記危機感の反映であるためであり、現在では、これは軍縮に限らず国際法全般にいえるのですがソフトロー化が進んでいます。

 原則宣言など規範を明示することにより、国家間の履行慣行の成文化という従来の国際法に留まらず、国際慣習法の強行規範化、いわゆるユスコーゲンスの仕組みを、不文律として規範のみ明示し、参加しない第三国に対しても規範機能の遵守を求める、これがソフトローの考え方です。厳しすぎる規制を盛り込まず入りやすい宣言で対応する、という。

 原則宣言の拘束力は規範理論として説明されるもの、これにより確かに国際法の機能は成立しやすくなり、また拘束力を低くする、しかし規範であるために拘束力は存在する、こうした曖昧さ、日本的な合意に近いもの、その上で問題領域を国際政治というよりは世界政治と理解するような非国家主体や国際機構の参画が法の領域を広げることに寄与する。

 ただし、これでは核開発という視点に限れば、いかなる制裁も覚悟して核開発に臨む国を阻止できなくなります。何故なら制裁枠組みを欠くことを意味しますからね。そして前述の2003年イラク戦争を見るとおり、核開発疑惑を払拭できないまま軍事行動を行ったことでの失敗が、強い制裁への大きな頸木となり、核開発停止を勧告以上できないものとした。

 イラク戦争の難しさは法的拘束力を有すると国際慣習法化している安保理決議、この理念は1989年ニカラグア事件以降の概念ですが、少なくともこの正当性と正統性を以て実施した軍事行動であるとともに、もう一つ、自衛権の先制行使という、不明確ではあるが国連憲章上の自衛権、その空隙を突いて実施され、これが真逆の結果に終わったということ。

 新しい枠組みが必要だ。しかしこれがソフトローであった場合には、充分な効力を期待できないのですね。その最たるものが核兵器禁止条約です、北朝鮮も2016年までは賛成していました。ご承知の通り北朝鮮は2006年に核実験を実施、この時点ですでに核拡散防止条約からは離脱を通告し離脱期限後も復帰していません、しかし核兵器禁止条約には限界が。

 ソフトローの視点から核兵器禁止条約を見ますと、核拡散防止条約のような査察や制裁枠組みを有していない、核兵器って良くないよね有志連合、という枠組みであり、核兵器の保有を明示していなければ核開発を進める国であっても参加は可能ですし、締約国であっても核兵器を突如保有することは不可能ではありません。従って制裁機能は必要と思う。

 核兵器禁止条約の枠組み強化への難しさは、査察機能が無いからこそ、入りやすい、北朝鮮の事例をみる限り離脱しても制裁はない、いや締約国が核開発と核実験を行ったとしても、そもそもその枠組みに制裁というものが盛り込まれていませんので、あの国は卑怯な国だ、と連想させる以上の効果はありません、これでは核兵器保有を逆に拡散させないか。

 日本の核兵器禁止条約批准を求める声は国内の識者や研究者に市民団体などからも存在しますが、日本にとっての使命は核兵器禁止条約と核不拡散条約のレジームクラスター化を進めることにあるように思う、具体的には核兵器禁止条約への核拡散防止条約並の査察を現在の核不保持自己申告に代えて導入し、拘束力と制裁措置機能を持たせる、ということ。

 このためには安易に参加することでの核不拡散条約の空文化という実状を鑑み、もう少し核不拡散条約の核兵器国軍縮義務を再確認する形で、この場合は唯一核軍拡を行っているのが中国であるために中国を孤立化させない枠組みの模索も必要となる、この核不拡散条約の再検討会議を改めて日本が主導権を以て進め、二つのレジームを結ぶことが肝要だ。

 無論、これには多くの課題を含みます。アメリカの同盟国で核兵器反対を明確に示しているのはニュージーランドくらい、オーストラリア大陸に守られオゾンホール以外に脅威の存在しないニュージーランドの事例は、日本列島を移動させるか、ロシアと中国が完全民主化し制度が定着、アメリカの恒久的な同盟国とでもならない限り現実的ではありません。

 スイスのように悲壮な覚悟と共に全国民を核シェルターに収容でき、食糧自給の態勢を整えると共に防衛力を近代化し、自主防衛の枠組を確立するという選択肢もありますが、一国平和主義は世界政治からの孤立も意味し、簡単ではありません。しかし、中間を往く同盟国との関係と核軍縮を両立する、第三の道、というものを模索する努力は必要でしょう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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八月八日は八八艦隊の日!戦後七十五年目の我が国周辺情勢,中国海洋進出で高まる軍事圧力

2020-08-08 20:20:40 | 北大路機関特別企画
■戦後七十五年目の防衛論争
 本年は戦後75年という一つの節目ではあるのですが、我が国取り巻く情勢も大きな転換期を迎えています。

 八月八日は八八艦隊の日。海上自衛隊の護衛艦隊にヘリコプター搭載護衛艦8隻とミサイル護衛艦8隻を揃え、護衛艦隊隷下の護衛隊群、その基幹部隊である護衛隊の編成をヘリコプター搭載護衛艦、イージス艦、そして2隻の汎用護衛艦、と編成を共通化させるべきだ、との提案です。SH-60KにMCH-101、間もなくMV-22と将来的にはF-35Bも積める。

 中国の海洋進出が南西海域は勿論、南方海域へも広がると共に建造されたばかりの国産空母を東南アジア諸国への軍事恫喝に投入し、また平和目的として周辺国から武力奪取した環礁を埋立て学術調査目的に限るとした埋立地にミサイル部隊を展開、飛行場を増設した上で周辺国への恫喝に用いている現状、我が国も平和を再構築する必要に迫られています。

 F-35Bを搭載したヘリコプター搭載護衛艦、搭載数は必要に応じ増強できるのが航空機の強みですが、その存在こそが、中国海軍による空母による周辺地域恫喝、特に第二次世界大戦後の国際公序となった“海洋自由原則”への挑戦を阻止できる装備と云えます。しかし問題は数、ヘリコプター搭載護衛艦は充分なのか。その為の新しい八八艦隊の提案です。

 八八艦隊とは、旧海軍が構想した最新鋭の高速戦艦八隻と巡洋戦艦八隻を基幹とし、各種補助艦艇などからなる一大建艦計画です。ただ、当時の日本の国力からは余りに巨大過ぎ、ワシントン海軍軍縮条約を契機として中止されています。今に喩えれば自衛隊が毎年ニミッツ級原子力空母を2隻建造するような規模と云えましょう。昔の日本は大胆でしたね。

 大日本帝国、その海軍力は強大でしたが、最新鋭の高速戦艦と巡洋戦艦を16隻、最新鋭の戦艦の定義が竣工から8年未満というものでしたので、毎年長門型戦艦と加賀型戦艦とを合計2隻建造するのです、つまり艦齢いっぱいを運用するのですから48隻の巨大戦艦を維持し且つ造船所では6隻が建造を行う状況、これでは当時の国力では到底実現できません。

 しかし、長門型戦艦ではなくイージス艦こんごう型程度の、加賀型戦艦ではなくヘリコプター搭載護衛艦かが程度の、こうした護衛艦を48隻とまでは行かずとも、8隻と8隻、整備するのでしたらば、日本の経済力や造船能力、此処が重要なのですが、建造できない訳ではありません。即ちこうした、新しい八八艦隊という規模なら現実的にば実現可能だ。

 八八艦隊、偶然といえるのかもしれませんが、“8”の数字が現在の4個護衛隊群編成と合致していまして、そして4個護衛隊群という数字は、景気後退や低成長期においても日本が維持し得る数字でもあるのです、何故ならば4個護衛隊群体制が完結した第4護衛隊群の新編は1974年、石油危機により日本が高度経済成長の終焉を迎えた翌年であるため。

 7個護衛隊群体制への移行が必要だ、とは1980年代に防衛力整備に関する政府諮問会議が提示した意見にも盛り込まれていました、しかし現実問題として4個護衛隊群体制を維持したことで、1990年代からのバブル崩壊に伴う経済低成長期においても護衛艦隊の水準は維持し得ています。そして付け加えれば増勢すべきとする護衛艦は、決して高価ではない。

 経済力の規模から考えますと、1915年国家予算は6億0200万円となっていましたが、同年建造が開始された最新鋭の戦艦伊勢ではその建造費は4000万円となっています。そして、今年度予算は102兆6580億円となっていますが、護衛艦かが建造費は1170億円です。大正時代に毎年二隻の主力艦の負担、対して現代であれば二年に一隻、負担の度合いが違う。

 日本造船業。実のところこのヘリコプター搭載護衛艦を比較的低い費用で量産出来ている背景には、民間船舶を中心とした日本の巨大な造船業の影響が大きいのです。如何な先端技術を有していても、これを具現化し製品として量産させる工業力に余裕が無ければ意味がありません、欧州や北米は造船業の多くをアジアとの競争で喪失しましたが、日本は。

 日本造船業は、この中でも建造費を安い人件費により抑えている中国と、官民加え必要ならば補助金をも投じる韓国の造船業に、現実問題として後塵を拝している事は事実です。世界最大の建造大手は韓国の現代大宇造船海洋が世界シェア21%、中国国営CSS-CSICが17%、そして日本勢は世界第三位に漸く今治造船が8%、JMUと川重も各4%でしかない。

 ただ、言い換えれば伝統的な寡占防止と企業文化から、統廃合こそ遅れているが日本では主要三社が世界シェアの16%は維持している構図で、この技術と規模が有する造船能力を駆使するならば、ヘリコプター搭載護衛艦の増勢というものはそれほど難しくありません。もっとも、官需による産業規模維持、という程の政策とはなりえないのですけれども、ね。

 日本の造船産業は高性能艦艇を現実的な建造費用により調達する事が出来る、これは一つの重要な防衛力だ、と考えるべき、上記視点から導き出される持論はここです。高性能艦艇を安価に量産できる点“日本の強み”なのですから、この能力を最大限活かすことで、表現の妥当性に議論があるでしょうが、限られた予算で費用対効果を大きくできましょう。

 新しい八八艦隊が必要だ。海上自衛隊は1980年代から護衛艦隊隷下の護衛隊群を8隻8機体制という、護衛艦8隻と哨戒ヘリコプター8機からなる作戦単位への防衛力整備を進め、この護衛隊群はヘリコプター搭載護衛艦を直轄艦とし、ミサイル護衛艦2隻と汎用護衛艦5隻を基幹とする建造計画を推進、1995年の護衛艦みょうこう就役を以て完成しました。

 88艦隊、旧海軍の八八艦隊と区別しつつ、だが着実に防衛力として整備された海上自衛隊の88艦隊は、冷戦時代やポスト冷戦において同盟国アメリカの航空母艦を協力に援護し、または一方面の巨大な船団護衛を行うには十分な能力を有していたといえます。しかしポスト冷戦の国際公序維持は必ずしも安定化に進んでいないことは、自明といえましょう。

 全通飛行甲板型護衛艦8隻と広域防空艦8隻から成る新しい八八艦隊が必要だ。毎年八月八日に示しています視点は、ひゅうが型、いずも型といった強力な全通飛行甲板型のヘリコプター搭載護衛艦を増強し、現在の四個護衛隊群を構成する八個の護衛隊すべてに全通飛行甲板型護衛艦を配備し各護衛隊の能力を共通化する必要がある、という視点です。

 横須賀の第1護衛隊群に第1護衛隊と第5護衛隊、佐世保の第2護衛隊群に第2護衛隊と第6護衛隊、舞鶴の第3護衛隊群に第3護衛隊と第7護衛隊、呉の第4護衛隊群に第4護衛隊と第8護衛隊、これらが一桁護衛隊ともよばれる第一線の部隊で、加えて旧型汎用護衛艦や古い沿岸用小型護衛艦からなる近海用の二桁護衛隊が自衛艦隊には配備されている。

 護衛隊群を構成する護衛隊、全ての護衛隊にヘリコプター搭載護衛艦を配備するとともに、編成を共通化するという運用は幾つかの大きな意味があります。そして十年前、護衛艦ひゅうが竣工の頃から比較すると、行う意義について、またその実現のための能力は大きく高まっているのです。そのためには更に4隻のヘリコプター搭載護衛艦は必要ということです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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令和二年度八月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2020.08.08-08.09)

2020-08-07 20:15:04 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 COVID-19の新規感染者が過去最大という報道を毎日並べられ見出しが代わり映えしない今日この頃ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 今週末も自衛隊関連行事は実施されません。東京ではCOVID-19新規感染者は462名、大阪での新規感染者は255名、共に過去最大という。初春の段階で疾病専門家はコロナウィルス全般の特性として夏には感染拡大が抑えられるとの分析がありましたが、夏で此れなのだから冬はどうなるのか、新規感染者が日本国内毎日数万という事もあり得るのですね。

 岐阜基地航空祭は中止、今週岐阜基地公式により正式発表されました。Weblog北大路機関が創設以来毎年撮影出来ている行事は、岐阜基地航空祭と第10師団創設記念守山駐屯地祭に練習艦隊近海練習航海、この三つとなっていますので、残念ながらこの一端がWeblog北大路機関創設15年目にして崩れる事となります。残念ではありますが、これは致し方ない。

 オックスフォード大学とアストラゼネカが開発しているワクチンが日本国内において来年一月から供給が始まる。これは本日NHKが報道した内容ですが、明るい話題といえるのかもしれません。先ず3000万回分を供給するとの事で、これによりCOVID-19のワクチンによる集団免疫形成に目処が就き始める事を意味します。来年一月、これは朗報ですね。

 さて、北大路機関15周年の話題。掲載が停滞している“日記”カテゴリ記事の再開を先日7月29日に発表しましたが、北大路機関ではこのほど、“インポート”カテゴリ記事の再開を正式に決定しました。主として第二北大路機関にて扱いました記事を逆輸入のかたちで掲載する方針で、草創期Weblog北大路機関のような話題を提供する予定です。お楽しみに。

 それではカメラの話題を。一眼レフは二眼カメラの末尾を踏襲するのか。カメラに関しての話題で少し気になるのは、ミラーレス一眼カメラが今後正当進化した場合、かつて二眼カメラがとった最期を一眼レフも辿ることになるのではないか、という可能性です。二眼カメラ、昨今は雑誌付録にもつくほどで驚かされますが、一頃はレンジファインダー機と並ぶ主流でした。しかし。

 二眼カメラは二つのレンズを有するものの、従来の一眼レフカメラが撮影に際してミラー部分を稼働させシャッターをきる構造ですので、撮影の瞬間にどうしても視野はなくなります、この部分でポートレートや風景写真やスナップ写真にて二眼カメラは大きな勢力を、少なくとも一眼レフ普及前のレンジファインダー機種混合時代に有していたのですが今は。

 カメラに入る光の総量は不変ですので、はいった画像を正確に撮影できる点、そしてファインダーの光学画像を本体正面から撮影しやすく、これは特にオートフォーカス普及前にはピントを合致させやすい、として非常に重要な機能といえました。しかし、レンズ交換の利便性等を前に一眼レフに淘汰された構図で、使いやすい便利なものが生き残りました。

 さてミラーレス一眼と一眼レフの構図です。ミラーレスの利点は、撮影される画像そのものがファインダーに表示されるため、一眼レフのミラーでは可動中の場合にどのような画像が映像センサーに記録されているかは確認するまでわかりません、いわば、見ている画像の瞬間を切取れない、二眼カメラと同じという根本的な問題を一眼レフは有しています。

 戦車の発砲焔などは一眼レフではファインダー越しに発砲焔の、ようするに光る一閃が見えてしまうとその瞬間にセンサーは閉じているため写っていない、という、戦車射撃残念集として知られる状況ですが、ミラーレス機種ならば、この部分は払拭しうるのですね。ただ、一眼レフのように電源を入れず望遠の光学機器として長時間使用はできませんが。

 一方で、ファインダー性能が、ミラーを通しているとはいえ光学情報を肉眼に表示するのが一眼レフ、ミラーレス一眼は光学情報を電子光学情報に変換して肉眼に表示していますので、いわば写真と肉眼どちらが正確か、という一種哲学的な問題にも発展してしまいます、が、これももう一段、液晶表示技術など技術革新を挟むことで解決できるでしょう。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・今週末の行事なし

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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ニッポン終戦七十五年【1】七十五年目の広島原爆祈念日,日本には世界へ大きな役割がある

2020-08-06 20:20:25 | 国際・政治
■核廃絶は必然ではない
 核廃絶は必然ではない、核に関する禁忌意識は世界政治の地域差があり核軍縮には努力と覚悟が必要だ。

 七十五年目の広島原爆祈念日。七十五年は長い月日ではありましたが、広島、そして長崎の原爆投下を経ての七十五年、しかしその後一度も戦争に核兵器が用いられなかったことは僥倖といえるでしょう。ただ、核兵器はその後洗練され数こそ冷戦時代の総数よりも減じたものの、安全保障の根幹に張り付くことで今なお世界に存在しているのも事実です。

 北朝鮮核兵器の弾道ミサイル搭載用への小型化が既に実現している可能性、これは8月3日にロイター通信が国連報告書として独自報道したもので、核兵器を増産へ高濃縮ウランの生成を続けるとともに弾道ミサイル搭載用に小型化成功と複数の国が指摘している旨を国連専門家パネルが作成し、安全保障理事会北朝鮮制裁委員会へ、提出されたものでした。

 ミニットマンⅢ大陸間弾道弾発射実験成功。こちらは8月5日にAFP通信が報じたもので、カリフォルニア州バンデンバーグ空軍基地から発射された大陸間弾道弾ICBMは6700kmを飛翔し南太平洋マーシャル諸島近海に着弾したとのこと。AFP通信はミニットマンⅢを核兵器搭載の地対空ミサイルと説明していますが、大陸間弾道弾は戦略核運搬手段です。

 広島慰霊の日を前に、なんといいますかいきりな印象ですが、忘れては成らない課題は戦略核は敵の戦略核に対して向けられると基本的に理解される一方、政経中枢への打撃手段として用いられない確証はなく、また冷戦時代に核兵器が実戦で用いられなかったメカニズム、核兵器不使用の保証にあたるようなものは充分分析されきっていません。重要です。

 核兵器が冷戦時代に使われなかった国際政治上のメカニズムを理解し、その延長線上の核軍縮を検討しなければ、実のところ次にも核兵器は使われないという確証の延長線上に核廃絶を実現する事は難しいように思われます。時間がかかっても核兵器を使われない核廃絶を模索しなければ、全部使った結果の核廃絶より余程人道に資する帰結といえましょう。

 マクロのミクロの混同と批判されるかもしれませんが、ダム環境破壊や脱原発と似たもので、ダムを急いで排除する為に濃尾平野の輪中のような治水事業を省き撤去すれば下流は鉄砲水に襲われ更地となります、原発を無くすことも吹飛ばしてしまえば即日全廃できますが、放射性降下物で北半球が更地同然となります、故に手順の模索が最も肝要と考える。

 日本に大きな役割がある、こう考えるのは核兵器国以外では最大の経済大国が日本です、そして唯一の被曝国であり核廃絶を求める為の正統性と正当性を有していると共に、核不拡散条約即ち核拡散防止条約の構築に尽力し、また現実的な核攻撃の脅威に曝されているのは上掲の通りです。ただ、祈るような平和祈念ではなく平和構築への参画は必要と思う。

 核拡散防止条約。1970年にはじまった核兵器拡散防止の取り組みは、冷戦時代には大きく機能しており、スイスやスウェーデンの核論争に終止符を打つとともに南アフリカやイスラエルの核開発を大きく制約するとともに一時的ではありますがインドの核兵器を廃止、またポスト冷戦初期にあってもウクライナの核武装解除という大きな成果を残しています。

 しかし、ポスト冷戦時代の核開発は、インドの核兵器再実験とパキスタン核実験、続く北朝鮮の核実験とともに水爆実験の強行と、実のところ核兵器拡散防止の枠組みは大きく停滞していることも否めません。査察制度も雅楽へ行き禁止条約のようなチャレンジ査察は枠組みとして定着せず、そして2003年にはこの制度の大きな限界が枠組みを無力化した。

 イラク戦争、2003年の米英有志連合によるイラク進攻では、イラクの核関連査察拒否に対して核開発を確実に行っていない確証を得られないことが結果的に大規模な地上軍進攻、それまでの限定空爆に留まらずイラク政権瓦解までを含めた軍事作戦に発展しましたが、結果として核開発が現実的な核兵器に至るまでの進捗証拠を発見するに至っていません。

 核拡散防止条約は1968年の時点で公然と核兵器を開発し保有していた国と例外的に核兵器国とした上で、これ以外の新しい核開発国家による核保有国を認めない、という一種の不平等条約ではあるのですが、この枠組みには核兵器国の核軍縮義務を盛り込んでいます。しかしこの核軍縮義務は、米英仏ロでは履行されるも、中国だけはこの流れに反している。

 中国は核弾頭がもともと多数保有せず、特に最小核抑止という毛沢東時代の核戦略を2000年代まで維持しており、最小限の核弾頭であっても大都市を狙うという姿勢により多数の核兵器に対する抑止力を構成するという視点から、アメリカ本土や欧州を射程とする核戦力を30発程度に留めてきましたが、これが戦略転換により現在増強に転じているのです。

 新しい枠組み構築が必要だ。こうかんがえるのですが、そもそも核不拡散条約の枠組み自体が、東西冷戦の極めて死活的な緊張状態、実際に核不拡散条約が成立した1968年までに1956年スエズ危機では英仏軍のスエズ進攻に対してソ連が真剣に限定的な核攻撃を検討し、1962年キューバ危機でもアメリカは核兵器を限定的に使用する一歩手前にありました。

 核不拡散条約を成立させた背景の劇的な緊張、特にそれまで使用されなかったのが奇跡的という極度の緊張、限定核は使う側の言い分であり、容易に戦略核の限定使用を経て全面核戦争に拡大する狂気の理論、これに対する各国世論の嫌核感というべきものの共有があって初めて成り立ったものであり、だからこそ各国は正当性を賭け参画したという事情が。

 ソ連の反核兵器運動を思い浮かべれば度を超した核開発が嫌核感を醸成した好例といえるかもしれません、ツアーリボンバと称された世界最大の核爆弾、AN-602核爆弾の核実験が1961年10月30日に北極圏のノヴァヤゼムリャにて実施され、これがソ連反核運動の文字通り火付けとなっています。AN-602は100メガトン、実験は半分に爆発を抑えている。

 AN-602の核爆発は米ソがともに強力な核爆発を誇示し抑止力とする思惑の最中にあった威力ですが、核爆発の火球が1000km以遠でも目視できるほど威力が大きく、遙か遠いモスクワへも爆音が轟き核実験をモスクワ市民が知るところとなります。すると、核物理学者や経済学者、文学者や芸術家を巻き込む反核運動が自然発生的にソ連で巻き起こります。

 100メガトンの核兵器、こうしたものを相互に応酬する世界では勝者はあり得ず、第三次世界大戦の次に文明は何も残らない、と危機感が醸成した運動ではあるのですが、要するに誇示ではなく国を越えた危機感の連帯が萌芽するのですね。もっともその時点を顧みれば唯一の被曝国である日本では原水禁と原水協が共産圏の核兵器正当性巡り分裂中でしたが。

 日本における核兵器をかかわる問題は、核兵器反対を広範に訴える原水爆禁止日本協議会、日米安保反対と共産圏の中国とソ連核兵器は必要という論点を掲げ協議会を離脱した原水爆禁止日本国民会議、ここに単純な核兵器廃絶では各論反対で分れるという一種イデオロギー的な対立が見い出せますが、戦後日本の核軍縮政策にもこの部分は大きな影が、ある。

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【京都幕間旅情】祇園祭山鉾巡行回想録(1)古富士噴火と南海トラフ地震に千年前東日本震災

2020-08-05 20:15:07 | 写真
■貞観時代,京都に天然痘襲来
 COVID-19世界的流行禍により祇園祭は大幅縮小されましたがこの祭事は疾病祓祈願、そこでかつての山鉾巡行写真を掲載し疾病平癒を祈りましょう。

 祇園祭、東山区は八坂神社の祭事です。新型コロナウィルスCOVID-19感染症の世界的流行禍により我が国も感染者数が二万名を越え気付けば四万、本年は八坂神社と御霊会が祇園祭の最も慣習集まる山鉾巡行と宵山、そして神幸祭や還幸祭などが全て中止となった次第です。

 疾病祓いの伝統行事、祇園祭は疾病退散を期して執り行われました行事ですので、応仁の乱等で一時中断しましたが、今回も山鉾巡行などの監修が集まる大きな祭事は中止となりましたが、八坂神社と祇園會では今年は特にコロナ退散を念じて執り行われているという。

 懐かしい過去の祇園祭の写真を掲載しますが、実は山鉾巡行に代えまして京都では祇園會保存会が40名、山鉾巡行に代えて榊を建て、四条烏丸より市内を巡幸し、八坂神社からも神霊の依代となります榊を建てて、四条寺町の御旅所まで神幸の行列を、執り行いました。

 祇園御霊会、この祇園祭が始りましたのは1151年前、平安遷都がようやく落ち着きました時代でして、さて現代の祭事の活況を見ますと遷都基盤も安定し、いよいよ遊興の祭事を、と誤解されるところではあります、しかし、その始まった時代を見ますと真逆だと気付く。

 貞観年間。祇園祭が始りました1151年前の日本は貞観年間という、巨大災害が日本史上最も頻発した時代です。筆頭は“千年前の東日本大震災”として2011年の3.11以降注目される事となった貞観三陸地震です。その津波遡上高は明治三陸地震よりも高かったという。

 貞観富士噴火、これは小説“日本沈没”において“古富士噴火”として例示された富士山が地質学上引き起こした最大の噴火であり、溶岩流は一つの湖であった富士湖を富士五湖に切り裂き、日本の政治文書に初めて明記された火山災害でもありました。そして近くは。

 南海トラフ連動地震が貞観時代に発生していまして、富士山の最大規模の噴火、南海トラフ連動巨大地震、最大規模の三陸地震津波災害、いやこのひとつをとっても現代に再来するならば国家危機に繋がる災厄となりますが、これが短期間で集中したのが貞観時代です。

 天然痘流行。もうここまで続くのでしたらば国家崩壊も秒読みというところでしょうが、貞観年間は全国各地から災害の悲報と急報が届く最中、平安遷都間もない洛中は天然痘の流行に見舞われています。天然痘は現在のCOVID-19と異なり数百m先へ空気感染する。

 洛中での天然痘、平安遷都の時代には今の二条城が水源となっていまして、早い話が西洞院あたりの下っている地形等はまさに湿地帯となっていまして、しかも下町は今でいう“集近閉”や“三密”の状態、感染拡大の下地があり、これは豊臣秀吉の京都大改造まで続く。

 牛頭天王の神霊を祀り災厄を祓いたい、祇園祭は此処から始まりまして、先ず、御旅所に神霊を請い、この御旅所から創建待つ八坂神社までの神幸行列に町衆が幟を建てついてきてしまいまして、これこそが祇園祭が壮大行列の祭事として始まった減点だったという。

 元祇園社、祇園祭始まりの地は阪急大宮駅近くに今も鎮座していまして。しかし疾病祓いの伝統行事、今見れば祇園祭はじめ祭事は不要不急の会合と三密に他ならないものではあるのですが、楽しげな祭事は疾病を祓う気力と胆力を培う意味もあったのかもしれません。

 COVID-19感染拡大防止、しかし、しかしですが、知識と理性では理解しつつ感性と意識では、やはり祇園祭を感じる事が出来ないのは寂しいものです。あの第二次世界大戦では終戦の年こそ戦局悪化で中止されて以降、あとは阪急延伸くらいしか、ないのですからね。

 千年以上つづく祭事、京都という大都市を一ヶ月間祭事で覆うのは平安朝が数多い水害により疾病をまきちらし、ここから洛中の平安を守るために行ったのが祇園祭の神事という。山鉾、七月になりますと組立が始まるとともに、これは八坂神社の祭事でもあります。

 八坂神社の祭事ということで巡行は一つに過ぎません。山鉾町の町衆による鉾建や曳初めといった、祇園祭の山鉾は一つの代表する風景故にともすればあの順光こそが祭事と錯覚してしまいそうですけれども、祇園祭では、平行して神事が八坂神社でははじまります。

 貞観5年こと西暦863年、平安の都たる京都は相次ぐ水害と疫病に悩まされていました、疫病の中でも天然痘は時として日本を蹂躙し、聖武天皇の御世には長岡京を廃都ならしめ、かの弘法大師空海が病魔平癒の行脚を行った。しかし貞観時代、既に世に空海もいない。

 朝廷は勅令を以てこの貞観5年、神泉苑、京都を平安京とした洛中唯一の水源にいまも鎮座する神泉苑において疫病平癒の祈祷、御霊会、執り行いました。顕微鏡も無い当時には疫病は死の旋風であり、ひれ伏してその去るのを待つ事しか出来なかった実情であった、故に祭事で鎮撫を願ったのですね。

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最新戦車M-1A2C-SEP-V3配備開始,改良続く米陸軍エイブラムス戦車と陸上自衛隊90式戦車

2020-08-04 20:20:00 | 先端軍事テクノロジー
■進化するM-1と交代の90式
 最新戦車M-1A2C-SEP-V3の話題です。最強の戦車を開発する事は簡単ですが各国が新型を発表し続ける中に最強であり続ける事は難しい。

 M-1A2C-SEP-V3戦車、M-1エイブラムス主力戦車の最新型が第1騎兵師団へ配備開始されたとのこと。が第1騎兵師団は最近映画で話題です、BS放送でグラントリノが放映されクリントイーストウッドが元第一騎兵師団の退役兵を演じプラトーンでエリアスさんが元第一騎兵師団でイア-ドランの戦いに参加した事が明かされた、その第1騎兵師団です。

 戦車の近代化改修、アメリカの事例を見ますと、日本のように改修は最小限度にとどめ、さっさと次の戦車を開発する日本の90式戦車と10式戦車の関係とは対照的であるようにおもえます。ただ、注目する視点が多いものでして、手元につかえるM-1A2C-SEP-V3戦車の写真はありませんが、90式戦車の写真で代用しつつ、同盟国戦車情勢を視てみます。

 90式戦車とM-1A1戦車を比較した場合はどちらが強いか、こう一時期関心が集まった事がありました。90式戦車は自動装填装置と目標自動追尾装置の採用による高い打撃力と車長用独立外部視察装置の採用など、M-1A1よりは優れた戦車といえました、が、M-1A2では車長用外部視察装置が追加、車体間データリンク装置が追加され90式戦車を凌駕します。

 最新戦車M-1A2C-SEP-V3は師団の第3旅団戦闘団3/8大隊のB中隊へ配備となったもよう。グレイウルフ旅団の愛称で知られるこの重旅団戦闘団、現在は機甲旅団戦闘団と称される旅団にあって3/8大隊は第8騎兵連隊第3大隊を示す。機甲旅団戦闘団は三個の諸兵科連合大隊を基幹としており、これは2個戦車中隊と2個機械化歩兵中隊を基幹とします。

 M-1A2C-SEP-V3、最大の識別点はRWS遠隔操作銃搭を搭載し、近接した歩兵制圧や敵脅威下での外部視察にも資する。またC4I系統の電子機器も新型に置換えており、車両状況管理システムVHMSによる自己診断能力による整備の自動化とLRMライン交換可能モジュール採用による野外整備の迅速化、またこの為の車体発電能力の強化と配電網更新など。

 M-1戦車は元々高い防御力を誇りますが、M-1A2C-SEP-V3はトロフィアクティヴ防御システムを車体側面に追加しました、これは戦車用ミサイル迎撃システムというべきもので、ミリ波レーダーによりミサイルの接近を感知すると迎撃用擲弾を発射し撃墜します。攻撃力も強化され、ADL弾薬データリンクが搭載、主砲弾の空中炸裂が可能となりました。

 ただ、M-1A2C-SEP-V3は工場で新造されたのではなく既存の戦車を再度組み立てた際に最新の部品を組み込みました、鉄道でいうタネ車だ。M-1戦車は大量に生産されましたが普段はオハイオ州のデポに分解された状況で保管されています。米軍は戦車を部品単位で分解保管するのです。第一線の戦車も定期的に分解し、また組み立てて配備してゆくもの。

 米軍がM-1戦車を連綿と改良できるのはデポに大量の戦車が部品単位で保管され、例えば戦闘情報装置や暗視装置に装甲材で新型が開発されると、組み立てに際しその部位だけを最新型とし素早く完成させられる故です。これは輸出に際しても、2007年にオーストラリアへ輸出されたM-1A1-AIMもこの手法で再生、2016年よりM-1A2Cへ改修されています。

 進化する戦車、これがM-1戦車の特色といえるのかもしれません。しかし、安易に近代化改修を行っている努力を評価するのではなく、車体そのものを分解して近代化改修をさせるという、つまり第一線が必要とする戦車よりも遥かに多い戦車を配備する事で、第一線部隊が使わない戦車を敢えて確保し、車輛を中心に改良する独特の手法を評価すべきやも。

 M1A2D-SEP-V4。M-1戦車の改良計画は当然ですがM-1A2C-SEP-V3では終わりません、2021年よりM1A2D-SEP-V4として最新型の改良が開始される計画で、主砲照準器及び車長独立潜望鏡への第三世代FLIRが採用され、画面がカラー化され識別性が向上します。また主砲をXM-1147多目的戦車砲への換装も予定され、2030年代を担う戦車となるもよう。

 大量生産できるからこそ、また十分な余裕を持って配備したからこそ、こうした近代化改修の手法もあるのですね。もっとも、こうした視点からまだ新型とせずとも改良で対応できるとして、例えばM-1戦車の同世代ソ連戦車はT-80でしたが、これがT-90と設計が全く一新したT-14と進む中で、アメリカがなかなか次の戦車を開発できない背景でもある。

 ただ、日本も戦車600両体制の時点で、教育所要と更に別に補給処管理の戦車を含め800両程度量産し、第一線部隊が使っていない戦車を対象に装甲強化や火器管制装置改良に動力系統の刷新等を続けていれば、費用面で抑えられたのでしょうか、それともこうした施策を採れば戦車量産は停止し産業喪失は必至で、問題の方が大きかったのでしょうか、ね。

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ボノムリシャール火災は対岸の火事か?造船所入渠乗員不在はダメージコントロールの盲点

2020-08-03 20:14:32 | 防衛・安全保障
■全通飛行甲板構造の課題
 強襲揚陸艦ボノムリシャール火災鎮火後の艦内を見ますとどうしても心が痛みます。保管中のペリリュー復帰か電装品移植での修理は不可能でしょうか。

 日本の造船所での整備では大丈夫なのか。ボノムリシャール、火災はウェルデッキではなくその真下の艦艇燃料区画から発したようで、サンディエゴ消防へ第一報が届いた頃には燃料区画に火が回っていたとの報道がありました。造船所での火災、しかし、全通飛行甲板構造の艦艇を複数装備する海上自衛隊にとり、これはしかし対岸の火事ではありません。

 ボノムリシャール。火災延焼により上部構造物が大きく崩れ落ち、熱せられたマストがSPGレーダーの重量に耐えられなくなったことから崩落し、艦橋に大穴、075型強襲揚陸艦、コロナ禍に世界が揺れる昨今は整備場隊や造船所での大型艦艇火災事故が相次いでいます。米中ともに全通飛行甲板型艦艇の大きな火災事故に見舞われているのですが、事故は続く。

 ペルル。このほかにもフランス海軍リュビ級攻撃型原潜ペルルが造船所にて火災に見舞われ、潜水艦の中枢とさえいえる船体外殻が熱により溶け落ち、全損状態となったほどです。幸い原子炉区画からの放射性物質大量流出という事態は避けられたようですが、米中仏、今年発生した三件の艦艇火災事故、共通点は造船所や整備中、というところにあります。

 陸奥、三笠、日向。日本海軍史を紐解けば艦艇での火災事故は多数あります、もっとも有名なものは1943年6月8日の戦艦陸奥爆発事故で、当時は大和型戦艦に次ぐ強力な戦艦であった長門型戦艦、もともとの高速性能とあわせ近代化改修により1940年代に建造された所謂"新戦艦"に対抗しうる強力な戦艦が爆発事故で喪失しています。確かに過去火災は多い。

 日向、戦艦日向も砲塔爆発事故が発生していますし、爆発事故の深刻な損傷としては戦艦三笠、戦艦安芸など。戦後最大の艦艇火災としては、護衛艦しらね火災事故でCICが全焼、いや火災区画がCICだけにとどまったもののシステム艦の中枢である戦闘情報処理装置が全損、除籍艦はるな搭載の情報処理装置移植により修理し辛うじて現役にとどまりました。

 しかし、今年発生した米中仏の火災事故はこれらとは異なり、整備状態もしくは造船所にて火災が発生している点です。造船所では、海上自衛隊などは何故か当直を組みますが、世界をみれば基本的に乗員は長期休暇となっていまして、当然ですがほぼ無人の艦艇には万一の損耗に備えるダメージコントロール、ダメコン要員もこの場合は乗艦していません。

 造船所でのダメコン不備、もちろん、十分な保険が掛けられているのであれば火災事故であっても、理論上補填は就くでしょう、ペルル代替にシュフフラン級攻撃型原潜を前倒し建造する保険金があれば問題ありませんし、ボノムリシャールの場合でも海軍引き渡し後でも運用前であり、アメリカ級の建造費半額でも保険金がでればよい。ただ制度上難しい。

 075型とボノムリシャールにはもう一つ共通点があります、それは全通飛行甲板型艦艇という点で、この全通飛行甲板は航空機用であるために艦内に航空機格納庫という巨大な空間があるのですね、そしてこの二隻にはウェルデッキが備わり、全て通路で結ばれるとともに航空機格納庫と飛行甲板はエレベータでも結ばれています、まさにこれは火の通り道だ。

 もちろん、軍艦ですので火災対策は万全です、航空機格納庫は複数の防火シャッターで一区画が爆発的火災を引き起こした場合でも全体に類焼を防ぐ構造で、艦内にはスプリンクラーと泡沫消火装置が配置され、火災発生とともにダメコン操作を行うことで航空機格納庫を全て泡沫が覆い、火の通り道は即座に塞がれます、しかし操作が行われなければ、と。

 造船所での火災は、工員に火災対策訓練は当然行われているのですが、それは消火訓練よりも避難訓練に重点が置かれています、工員とは別の自衛消防隊、自衛隊の消防部隊ではなく造船所が自衛する消防隊、この要員が火災対策にあたります。また造船所では戦闘は目的ではなく整備が目的ですので、防火シャッターや消防装置は完全ではないのですね。

 ボノムリシャールでは乗員はドックから引き出され埠頭での整備中という状態であり、定員の16%しか乗艦していません、もちろん戦闘配置についているわけではありませんのでダメコン部署も機能していなかった可能性があります、航海中であれば艦長の下の副長がダメコン現場指揮を取り、防火シャッター閉鎖と消火装置作動も即座にできたでしょう。

 日本でも全通飛行甲板型艦艇は定期整備中にこうした事故はあり得ます、ただ当直が乗艦しているのが幸いです。その上で、造船所陸上にハロンガスタンクを増設し火災に備える、遠隔式火災感知装置の整備時における増設での火災検知能力の強化、造船所自衛消防隊と当直要員のダメコン対策強化、こうしたものがたとえ人手不足であっても重要と考えます。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】第33普通科連隊-久居駐屯地創設61周年祭(4)模擬戦状況開始(2013-04-21)

2020-08-02 20:20:44 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■訓練展示!第33普通科連隊
 久居駐屯地祭は式典を完了し、いよいよ訓練展示模擬戦へと戦車部隊や普通科部隊が展開を開始しました。

 偵察警戒車が25mm機関砲を向ける。74式戦車は機動力と打撃力を重視、フランスAMX-30やドイツレオパルド1、ソ連の-62と同じ。イギリスチーフテンとイスラエルのメルカヴァは防御力と打撃力を重視、スウェーデンのSタンクは防御力と機動力を重視した。

 81mm迫撃砲が高機動車により展開を開始した。よく見ていると次々と車両が展開して各種迫撃砲やミサイルなどを展開してゆく様子が。機動力を考えますと、装甲車などで側面機動や迂回攻撃し機動力で主導権を握りたいところですが、予算の壁と地形の壁が厳しい。

 FH-70の展開が始まる、高機動車などとの絡みがよい、しかし車体3Kとはなんでしょうか、高機動車の後部扉にある3Kという。高機動車と重迫牽引車は、特に迫撃砲の射撃陣地からは直ぐに離れませんと、目立つために暴露する危険があります、素早く待機位置へ。

 120mm重迫撃砲が展開を始め、偽装網も展開されてゆく。射程も威力もおおきな重迫撃砲、相手にとっても高付加価値目標であるため念入りに擬装する。射撃後は敵に標定される前に素早く陣地変換して次の射撃陣地へ向かう。現代戦は文字通り機動力と時間が制する。

 FH-70が展開を完了した。FH-70榴弾砲はイギリスオランダイタリアが国大共同開発を行った1970年代を担う新型砲、ですがこの39口径火砲を大きく上回る野砲はなかなか開発されず、砲兵は命中させる情報処理装置こそが肝要、世界第一線の性能を維持しています。

 発砲、FH-70の空包射撃だ。BB特殊装薬を用いた場合の最大射程は42kmに達する、しかし砲身を痛めるために最大射程30kmと説明さが多い。半自動装填装置により毎分6発の連続射撃が可能という。高性能だがM-109自走砲並に高価で欧州では普及しなかった。

 74式戦車2両がそろって戦闘加入へ。74式戦車は1960年代から始まった戦後第二世代戦車の最終弾、しかし弾道コンピュータを搭載し射撃能力が高く、鋳造装甲と油気圧サスペンションによる地形防御活用により能力は高く、実に873両もの多数が生産されています。

 74式戦車が航空機を背景に進み射撃準備だ。車内は狭い、と説明されますがそれはM-60A3なんかを乗り慣れた人の感想でして乗ってみると意外に空間はある、狭い故に人車一体という戦車兵の鉄則が身にしみて感じる、あの車内でまさに戦闘射撃の準備が進んでいよう。

 短停車刹那空包射撃、発砲炎は写らず。しかしFH-70の上に抜ける音響とは違い、地面を這ってくるような轟音とも衝撃ともとれる迫力が、空包なのにこちらに叩きつける。空包でこの迫力、実弾射撃ならばこの角度と距離だと、鼓膜、日常で想定外を心配してしまう。

 撃破されたBTR-82、まあ、そうなるな。今回仮設敵はT-74戦車のような74式戦車に対抗できるような強力な戦車を持っていなかったため、我が方の74式戦車の一撃で破壊されてしまった。戦車がない側は哀れだが、準備された攻撃というものはえてしてそういうもの。

 FH-70が再度空包射撃、発砲焔は写らず。M-107榴弾を曳火射撃で空中炸裂させた場合、長径45mと短径25mに渡り致命的な有効弾片を散布する。特科火力戦闘では、TOT同時弾着射撃により最初の十秒間で多数の砲弾が落下、遮蔽物へ身を隠す時間はほとんどない。

 疑爆筒が炸裂する。さすがに砲弾、実弾の迫力よりは気分だけ、というもの。この疑爆筒というものは訓練に際して砲弾落下などを再現するものですので、訓練展示にはうってつけの展示ともいえますね。落下音を擬して、直後に破裂する音は結構大きく耳に注意だ。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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