自分の生きがいは何かな、と最近ずっと考えた。
自分の生きがいをどう考えるか、どのように考えるかは、以外と難問で学校などでも教えてくれない。50代の今となっては、今更人に訊くことはあまりない。勿論、人から訊かれることもない。
昔コンピュータ業界で働いていたころ、今更訊けないコンピュータの基本知識の勉強会というのがあり、40代を過ぎた当時の私は、時々その勉強会に行った。中高年の方が真面目に参加されていることに、ちょっと驚いたりした。
確かに、新しい分野は進歩が激しく、基本的な知識ですら、日新月歩であるのだ。
遺伝子関係をはじめ、世界には最先端の分野があり、その知識が無ければ、伝統的な学問でも変化に対応できないと言われる。先端分野でも基本知識があり、それを知らなければ、その影響下にある分野では話にならない。
生きがいはとは何か?恐らく、今更訊けない分野の問題かもしれない。恐らく、非常に重要かつ深い研究領域であり、最先端の領域かもしれない。私の学ぶ心理学は、この100年程度で急速に進歩した領域でもある。
自分の生きがいとは何だろうかと考える。通常、私のようにサラリーマンを長くやった方などは、夢とか、それを実現するための事業計画を自分の人生になぞらえ考えることが多いと思う。
巷のライフデザイン等でも、経済的必要条件、人脈、キャリアパス・・・が重視されているようである。でも、本当はどうであろうか?
私が10年以上前に受けたある企業研修の中で、不思議な研修があった。あなたの葬儀をイメージせよというものであった。
その時は、ちょっとショックであった。
死ぬ時は、自分が死に行く『今』ということになるだろう。感情が渦巻き、思考や行動が交差する今という、『今』という現場なのである。そのことに思いを馳せるとき、夢とか人生の目標というのは、非常に一面的なように思われた。
名誉やお金、地位そんなものは、死の瞬間にどれだけの意味をもつだろうか?自分は名誉やお金、地位と同じではなく、死んでしまえば名誉やお金、地位は虚しい。家族や同志ともお別れせざるを得ない。
では、本当の自分の生きがいは何だろうか?恐らく、人から与えられたものではなく、自分が意識するかどうかは判らないが、純粋に自分が回答すべき問題だと思う。
そして、単なる夢や目的、哲学だけの問題ではなく、自分の体感や五感といった、『今』ここを検知し、そこから考える視点が重要な働きをするようにも思う。生きがいは、『今』ここから永遠につながる、一つのプロセスの研究の旅といってよいかもしれない。生きがいの心理学の意義をもう一度考えてみたい・・・
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