イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

働くことは善?

2007-11-27 | 第十章「今ここでの恩寵」

 父は67歳で亡くなる直前まで会社の仕事をしていた。まじめで親分肌で、義を大事にしていた。欠点もあったが、私にとっては偉大な父であった。

 4年前に私が会社を辞める時、一番心理的に揺れた原因は、まじめに会社や家庭に尽くしてきた父のことであったと思う。

 父が決めたわけではないが、自分のアイデンティティは、幼いころからのサラリーマンとしての父との同一化がベースであったと思う。そして経済的、社会的に安定している路線からの逸脱は、予想外に揺れた。

 それまでの仕事のし甲斐、遊びのし甲斐等・・、をある意味で捨てて、地味な生きがい追及の旅に出たようだ。そんな旅を思い立ち実行した理由はいくつかあるが、6-8年前に起こった私的ないくつかの事件中で、「人生は紙一重!生きているのではなく、生かされている。」、そんな思いが一つのばねになったと思う。

 もうひとつは、父の老後のビジョンに触れていたことがあったと思う。父は会社を退職して、生まれ故郷で社会貢献しようと考えていた。それは、郷里や実家を離れて暮らした父の贖罪意識のようなものに繋がるように、今は思う。今となっては儚い夢であるが、そんな父をめぐる解釈が、自分を解放させてくれた。

 自分にとっての生きがい。これは、決して抽象的な会社や家族や共同体ではない。我と汝といった関係性から生まれる何かのようである。同志と私、妻と私、子供と私、友人と私、そして神と私といったように・・・

 今ここを生きながら、生きがいの旅は、直線的に真の善に向かうのではなく、らせん状に少しずつ善に向かって行くようである。防衛機制は人を守り安定させるが、成長を妨げることもある。ちょっと寂しいが、より良く生きるための真理なのかもしれない。

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