イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

人の道を教える前にちょっと!

2007-11-25 | 第十章「今ここでの恩寵」

 1951年生まれの私は、学校で倫理道徳をきっちり教えてもらったことはなかった。ただ、両親や祖父母をはじめとする親戚、学校や地域やカトリック教会の中で、何となく倫理道徳を学んできたように思う。

 子供を育てるようになり、そして子供が難しい時期に差し掛かった時、一度昔からの孔子や東洋思想を読み返したことがあった。今考えると、反動形成などの防衛機制でいっぱいだった。

 二宮金次郎が薪を背負い読んだ大学も読んだ。

 今、その頃に買った大学を取り出し、パラパラめくると、「・・心ここに在らざれば、視れども、見えず、聴けども、聞こえず、食えども、その味わいを知らず。これを身に修るは、その心を正すに在りという。・・」の一説が目に留まる。

 その時は気がつかなかった一節であるが、ハッとした。若い時は、この修身の一節のとおり、私自身が心ここに在らざれば・・の心境であり、憤怒の情などに包まれていた。

 身が修まっていなかった自分は、子供にうまく教育できるわけは無かった。

 数千年前の昔に、このような知恵があったことに驚くが、「生きがいの心理学」にも通じることだと思う。「今ここ」を大切にしている中で、自分の本音が見えてきたときに、すべては始まる。

 子供は既に成人したが、今自分は身を修めているだろうか?今日はゆったりと考えてみたい。

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