自分自身を受け入れることも、重要だがなかなか難しい。
親や兄弟親戚、友人、学校関係等の関係の中で、いつの間にか、私は~すべきだ、~であるはずだ、の世界ができる。自己概念というものである。そして、それが叶わない部分があると、劣等感などが生じたりする、またそれを防衛機制でどこかに押し込んでしまうと、心の健康にも良くない。
青年期は、若さで乗り切っても、中年期になり、それなりの社会的立場ができると、より厳しい倫理道徳・基準に縛られるようになる。
とても認めたくない、自分の醜さや欠点。
私の場合、こうした自分を受け入れてこられたのは、カトリックとの思わぬ出会い、再会が大きかったと思う。どこまでも受け入れてくれる優しいキリストの存在に気づいて、幸福感でいっぱいになったことを思い出す。
自分自身の真実を、優しく受け入れていく受容。そして受容の中から、自分の道がだんだん見えてくる。
ただ、自己概念の壁は大きい。壁を壊しつつ進んでいくには、with you! と言ってくれる存在が有難い。「人の身体は神の神殿」といった聖パウロの言葉は、自問自答プロセスの要だと思う。
<自問自答論4/4>
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