イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

戦争を知っている世代をリアルに想う!

2008-01-30 | 第二章「五感と体感」

 学生のころ、フォークソングの「戦争を知らない子供たち」をよく口ずさんだものであった。当時は、大人と言えばだいたい戦争経験者であった。戦場に出かけた方はもちろん大変であるが、空襲にあったり、戦後の厳しい食糧難を経験した方も多い。

 父母も、直接戦争に出かけはしなかったが、父は終戦の時(1945年8月15日)が20歳、母は16歳であった。終戦の時に父母が何歳であったか今まで知らなかったが、今日このブログのために計算し、妙にリアルに戦争を実感した。

 皆さんも、大事な方の終戦の時の年齢を計算し、昔話などから当時を想像すると思わぬ発見がある。

 もちろん、若い父母が存在しなければ、私は存在しなかったことになるので不思議でもある。

 エリクソンの人格形成理論で父母たちのことを考えたり、最近、書店で様々な自分史年表関係の書籍で当時の環境を読み進めると、さらに、リアルに父母のことを感じるようになれる。

 父母たちの世代も高齢者となり、おばさん、おじさんの訃報をよく聴くようになってきた。

 父はずいぶん前に亡くなったが、亡くなる前の1年の記憶は、今でも意外とはっきりしている。入院したころの父、酒好きであったが止められていたので、良くノンアルコールビールを買って行ったこと。一時退院して、家族で父の郷里に戻り楽しい夏休みを送ったこと。

 後から、日記で夏休みの時点ですでに父は死を覚悟していたことが判った。そんな夏休みに、父と私でほんの30分くらい、二人だけで岬の上にある、もう誰も行かない荒れ果てた神社にお参りした。父が行こうというのであった。そこは、父によれば、同級生たちが出征するときに必ずお詣りにいった神社だった。

 戦争にも運よく行かず、一方で多くの友達を戦争で亡くした父は、死を前にして当時のことで心残りがあったのだろう。そんな夏を過ごし、秋になり、無理をして仕事に出かけ、それが元だったか急に亡くなった。

 高齢者に接することが多い最近であるが、戦争のインパクトは大きいようだ。ただ、戦争の様々な傷を、逆にばねにして、亡くなる直前まで考え方、感じ方がしっかりし、悠然と死を迎えられる方もいる。

 戦争を知らない私は、どのように人生の最後を迎えるのであろうか?

<父母の世代3/3>

人気blogランキングへ <- 1クリック是非とも応援お願いします!