イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

似て非なるもの!

2008-01-04 | 第一章「意識と知覚」

 先日行った、八王子市のある公園で不思議な光景を見た。

 東京の四谷見附橋がその公園に移築されていたのだ。大正8年に建設された、四谷見附の橋は、この元旦にも四谷で見た橋であり、私が生まれてからも恐らく何千回も見てきた橋である。

 快晴で、美しい風景であったが、私にとってはいつもの感動がない、何とも不思議な時であった。思えばこの一か月、こうした似て非なるものに何回か遭遇した。感情ウォッチングをしているとこうした時に、不思議な体験をする。

 話は変わるが、先日U先生から、意識を3種類に分けて楽しんでいたB先生のお話を伺った。人間は、身体、心(成育史からくるもの)、魂(死んだ時に身体から離れる知的生命体。)からなりたち、日々人間は知覚し意識化される時にこの身体、心、魂のほとばしりといったものが意識されるのではないか。という仮説であった。

 四谷見附橋の実物は、自分の成育史の心からの感動のほとばしりを感じる。あるいは、近くのイグナチオ教会に繋がるのか、魂からの感動を受けているかもしれない。それが、移築された身体に感じる橋からでは、感動が今一つなのだと仮説に従えば考えられる。

 これから4回、感動について、身体、心、魂から考察していきたい。

<感動について1/4>

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(感動は個人的なものです。この移築事業とこの公園の美しさは素晴らしいと思います。)