先日、気楽な会話を楽しんでいたら、生け花で水仙を生けるのは難しいという話題が出た。私も水仙の写真を撮るとき、他の花と違い撮るのが難しいという話をした。
水仙は何気なく咲いていても、個性が強く、今の時期であれば、強い南天が合うとのことであった。写真を撮るにしても背景が難しい。確かに強い花である。
水仙と言えば、ギリシャ神話の有名なナルキッソスの話を思い出す。最後には水辺で自分の姿を見詰め、水仙となってしまうが、その前にはナルキッソスに恋する美しい女性エコーを冷たく振ってしまうことがあった。
恋するナルキッソスに冷たくされエコーは悲しみの余り、身体が無くなりこだま(エコー)になってしまう。
自己愛の強いナルキッソスを象徴する水仙。昔の人は、それを見事にとらえたのだろう。ギリシャ神話の叡智に驚く。
さて、「愛とゆるし」もこれで最終となった。約一か月前に巻頭で、司馬遷の描いた復讐の鬼、子胥(ゴシショ)の話をした。死体に鞭を打つまでの人間の業は凄いと書いたが。生き甲斐の心理学を学べば学ぶほど、心底自分をゆるしたり、他人をゆるすことの難しさを感じてしまう。
魂は愛そのものとしても、生育史に根ざしたこころはそうはいかない。偽善的に、ゆるすと思っても(昇華して)、無意識の世界を含め、そうは簡単でない。感情に蓋をしてゆるしては、こころの健康にも大変悪い。
ただ、幸運なことに人は哲学や宗教を通じて、理性的に行動することができる。憎しみなど暗い感情が湧き起こっても、それが自他への暴力的な行動に繋げないで、一息継いで、それを肯定的に解釈・行動することができる。暗い感情は自分への貴重なシグナルなのだ。
「今は逃げよう。」とか「問題はナルキッソスの側にある」とか。
その時、身についた思想や人間観は重要である。例えば、「ゆるしの思想」は私にとって重要だ。
エコーのように消えてなくなるのは、余りに悲しい。自己肯定・他者肯定の世界で、行きたいものだ。
<まとめ 1/1>
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