イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

愛の感情(2)

2009-05-27 | 第七章「光と復活体」

ご聖体を口に入れた時、眩暈のような感じを受けた。自分の心が過去か未来か判らないが、何となくふらふらとしていたのが、現実の「今ここ」に引き戻されるような感覚である。何の準備もしていない、場違いと思われるような自分が、そのままで何か(Something Great)と対峙する不思議。

想像するに、ご聖体を頂くことで、五感が研ぎ澄まされたことも一因かもしれない。眼をつぶると青い光のようなものが見え、そしてそれまでの人生で味わったことのない統合された明るい感情を感じ嬉しくなった。

思わず、「声を掛けてください」と祈ったが、何も聞こえず、かつ見えなかった。ただ、その時、これからの人生の方向性(信徒として等)が定まったように思った。

想いだしてみれば、その数か月前にNHKの教育テレビで、遠藤周作氏の思い出を井上洋二神父が語っていたが、その時、聖霊の話をされていた。それがとても印象的であったように記憶している。その聖霊の話が、その場で無意識の中で繋がったのかもしれなかった。

全体の流れの中で、プロセススケールから見ても、全体的に低の状態から高に短時間で変化し、合理化や知性化で固まっていた防衛機制も解放された。アイデンティティも聖霊の話などが統合され、現実吟味力も正常に働き、自分の自己実現の方向が見えたともいえる。

現代心理学の「生き甲斐の心理学」から考えると、以上のような経緯になると思うが、何故そのような出来事が、そのタイミングでおこったかは科学の領域ではなく、宗教や哲学の領域になるのだろう。

宇宙ができて137億年。生命が地球に生まれて40億年、現世人類がアフリカを旅立ち世界に散らばったのが5万年前。様々な不思議の中で、自分が今ここに存在する。こうした不思議が存在しても、少しもおかしくないのかもしれない。

深い感謝の念が湧いてくる。

<愛と感情 3/4>

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