罪悪感によりこの社会はいろいろ進歩してきたそうだ。小学生のころ、風呂に水をためているのを忘れて水道水を出しっぱなしにして注意されたり、校舎の地下を探検して注意されたり、いろいろなことで罪悪感を感じたりしたものだが、現代では技術の進歩や安全管理体制の充実などで、当時のような心配や罪悪感を持つ子供は少なくなっているだろう。原発事故なども大きな動揺の後、世界的に原子炉の廃止、代外エネルギーの活用が主流になりつつあるようだ。
一般論はさておき、自分の日常感じている罪悪感も、その意味を意識的に考えると、自分を支配している社会やコミュニティなどの存在に意外に気づくことがある。いつの間にか自分を支配している何か。自分の考えをきちっともっているならともかく、いつの間にかへんに支配されてしまう。その支配でも良いこともあるが、一方今の激動する時代では、昨日の常識が今は大きな問題になっているケースも多い。悔いの無い人生を考えるときに、これは重要なことだと思う。自分で地に着いた思考をし行動していくためにも、罪悪感は貴重なセンサーになるようだ。
ところで、自分をある方向に追い立てる罪悪感のことを今日は考えている。小学校の時にアラスカに行ったこともあり、自分にはいじめや差別に対する違和感や罪悪感がある。あるいは日本では珍しいカトリック信徒ということで、感じる何かもある。それらは、どうも自分をしっかりとした真理・倫理へと向かわせる力となっているようだ。ガラパゴス状態から普遍性のある世界へというのか。
さて、昨日は千葉県の市川まで星野道夫展を見に行った。恐らく地球最後の自然豊かな世界。この弥生化され文明化された時代では見えなくなった世界がそこに広がってた。私は7歳の時に南西アラスカの帝政ロシア時代はアラスカの首都だったシトカに暮らした経験があるのだが、星野道夫さんの本をパラパラめくっていたら、帝政ロシアの時代はシトカは太平洋のパリと呼ばれるくらいに憧れの町だったそうだ。もちろんサンフランシスコは単なる漁村だった。そして、星野道夫さんもいつか暮らしてみたいと書かれていた。私も多摩もよいが(笑)シトカにもう一度尋ねてみたいと思った。
そのシトカは太古の森を抱える町であり、縄文世界とどこか通底するように思えてならない。私はカトリックの信仰のありようを小説を書く中でもとめていく中で、15世紀以降の日本の宗教弾圧、あるいは7世紀の仏教受容のころのシルクロードの時代ではなく、5000年前以上前の世界の人達が等しく、ドングリを食べたり、女神の信仰をもっていた厳しくも平和な時代に興味をもってしまった。日本は歴史的に朝鮮半島からの人々やアイヌなどの人達とも同祖といって良いくらい深い関係があるのに、変に違和感をもったりする。縄文時代や古代日本を研究したり、関東だったら高麗神社にいってみたらどうか。遺伝子の研究でも良いかもしれない。そこにはもっと普遍的で、これからの社会の方向を示唆する何かがあるように思う。
自発性を考える 5/10
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