目指していた目標が無理で挫折したり、強く信じていたのに裏切られたり、突然、大切なものを失ったり・・・こうした時に自分を酷く責めはじめ、孤独の中に追い込まれることもある。自己否定のとても辛い世界を経験したことのある方は少なく無いようだ。
しかし、その中でも私たちは希望を持ち、再生の物語を歩むことができる。現代の伝統宗教や哲学などはそれを語っているが、10000年以上続いた縄文文化にも、その死と再生の文化が深く根づいているようで、学べば学ぶほどその深さに驚く。
8世紀の記紀には何故か月神(ツキヨミ)の神話は削られているが、縄文文化が月神の信仰を一つの中心として育まれてきたとする学者達もこの数年発言力を増している。月の満ち欠け、それは再生のシンボルでもある。大地の土の塵からアダムが創られたように、縄文時代の祖先は土から土器や土偶を物語を込めて果てしなく長い期間創り続けた、その中には再生の奥義が秘められているに違いが無い。三日月から月は生まれ、満ち、そして下弦の月から、細くなり消えていく。そして、月は不思議なリズムを奏でる。新月と満月の時は海も高潮になる。子孫を具体的に残す女性の生理も29.5日の月のリズムを持っている。土偶や土器の不思議な図像は月の隠喩として読み解く人もでてきている。
月だけでなく太陽も、縄文文化の背景には、やはり季節の生と死の繰り返しが息づいているように思う。縄文時代を通じてストーンサークルのある聖地では太陽の日の出日の入りの変曲点(冬至、夏至、春分、秋分)を強く意識しているようだ。飛騨の金山巨石群が暦(グレゴリオ歴以上の精度)を創るための観測所であったとする天文学の学者も現われている。今と違って、自然と本当に共生してきた縄文の祖先達は、動物でも植物でも今と比べると、桁外れの種類の動植物を食べていたので、暦に対する関心は今以上であってもおかしくない。
強烈な自然災害があったりするなか、太陽と月を中心にした暦の世界というのだろうか、太陽と月を中心とした安定したシステムに、私たちの祖先は希望を見いだたのかもしれない。そのあたりは私の前作・縄文小説にも書いてきた。
こころの世界でも、挫折などの衝撃は理想と現実のギャップから生じるものと考えると納得できる。なぜ急に落ち込むかというと、それは理想と現実の把握の仕方、バランスにあるのであって、例えば身体は衝撃が走る前も後も同じようにケナゲに生きつづけている。辛い時もあれば楽しい時もある、日常の中でやたらに高い理想を持つことも無く自然体で生きる。これは暦の思想にどこか通じている知恵のようだ。自分の理想と現実の仕方をうまくコントロールすることが感情生活の要点でもあるのだろう。
富士山も近くで見るのも良いが、遠くで山々の中の一つの景色として見るのも良いものだ。
大人になって知る防衛機制⑤ 8/10
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森 裕行 | |
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