イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

妻としたしむシクラメン!

2007-11-22 | 第十章「今ここでの恩寵」

 3週間前に、ブログに記した石川啄木の短歌について。いろいろコメントを頂いた。その中のTさんのコメントに感動し、妻にそのうち花を一輪買ってプレゼントしたいと話していた。

 その後、花屋さんで適当な花が無かったこともあり、だらだらと時間が過ぎ、プレゼントのことは忘れかけていた。

 そして、妻がシクラメンの花を、突然夕方買ってきた。

 友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
 花を買ひ来て
 妻としたしむ

 と呟きながら、さりげなく。

 翌朝、そのシクラメンは朝日の当たるベランダで、美しく可憐に咲いていた。

 共に親しめば良いのだろうか??

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(るり玉あざみ も綺麗でした。)


真実を知ること!

2007-11-22 | 第十章「今ここでの恩寵」

 人生いろいろ楽しいこともあるが、嫌なこともある。嫌なことの一つに、疑われることがある。真実はひとつのはずなのに、その真実が伝わらず疑われる。

 冤罪は実にいやなものである。ところが、確たる証拠もないのに、人を疑ったりすることは多い。集団で、疑ったりする苛めもある。心の防衛機制から、疑ったりすることもある。逆に疑われた時の屈辱感や、混乱感を忘れて・・・

 最近7-9世紀の日本の歴史関係の本をよく読んでいるが、井上内親王をはじめ、藤原氏から葬られた怨霊、さらに蘇我氏関係の怨霊などを勉強していくと恐ろしくなる。

 小さな苛めから、大きな冤罪事件まで、人類の歴史は実にこの問題で溢れている。人間のこころの仕組みも絡む、この忌まわしい大問題に対し、人類はいろいろ試行錯誤をしてきた。

 昨日、友人といっしょに高幡不動尊に行き、紅葉を楽しみ、菊を楽しんだ。爽やかな一日であった。

 ふと、立ち寄った書店で「列島創世記」(松木武彦著 小学館)を購入した。日本列島の4万年の歴史を考古学の立場から記述した本である。

 私の祖である現世人類の真実を知りたい。秋の夜長に寝不足になるかもしれないが、しばらく歴史や考古学を勉強したい。人間の真実の探究は、頼りがえのある光のようである。

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生きるときの柱!

2007-11-21 | 第十章「今ここでの恩寵」

 生きがいのことを考えるようになると、生活の中で、無償に求めたくなることがある。

 『真善美』である。それぞれ学問、道徳、芸術の追求目標であるが、専門家では勿論ないが、自ずと自然に希求してしまう。

 ちょっと難しく言い過ぎたが、大自然の中に潜む何かといったほうが良いかもしれない。亡き父が、私が幼いころ、雪が降ったお庭を見ながら、建築の話をする中で、人間は自然から学ぶことほど大きいものはない、としみじみ語っていたことを思い出す。

 美しい神社仏閣に行きたい。大自然に触れたい。最高の芸術作品に触れてみたい。良い本や映画を見たい。良い人たちと交流したい。・・・

 そして、『真善美』の追求は人生にとって、大事な柱に繋がるように思う。

 これから、6回『真善美』について考えて行きたい。

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今更訊けない、生きがいの問題?

2007-11-19 | 第十章「今ここでの恩寵」

 自分の生きがいは何かな、と最近ずっと考えた。

 自分の生きがいをどう考えるか、どのように考えるかは、以外と難問で学校などでも教えてくれない。50代の今となっては、今更人に訊くことはあまりない。勿論、人から訊かれることもない。

 昔コンピュータ業界で働いていたころ、今更訊けないコンピュータの基本知識の勉強会というのがあり、40代を過ぎた当時の私は、時々その勉強会に行った。中高年の方が真面目に参加されていることに、ちょっと驚いたりした。

 確かに、新しい分野は進歩が激しく、基本的な知識ですら、日新月歩であるのだ。

 遺伝子関係をはじめ、世界には最先端の分野があり、その知識が無ければ、伝統的な学問でも変化に対応できないと言われる。先端分野でも基本知識があり、それを知らなければ、その影響下にある分野では話にならない。

 生きがいはとは何か?恐らく、今更訊けない分野の問題かもしれない。恐らく、非常に重要かつ深い研究領域であり、最先端の領域かもしれない。私の学ぶ心理学は、この100年程度で急速に進歩した領域でもある。

 自分の生きがいとは何だろうかと考える。通常、私のようにサラリーマンを長くやった方などは、夢とか、それを実現するための事業計画を自分の人生になぞらえ考えることが多いと思う。

 巷のライフデザイン等でも、経済的必要条件、人脈、キャリアパス・・・が重視されているようである。でも、本当はどうであろうか?

 私が10年以上前に受けたある企業研修の中で、不思議な研修があった。あなたの葬儀をイメージせよというものであった。

 その時は、ちょっとショックであった。

 死ぬ時は、自分が死に行く『今』ということになるだろう。感情が渦巻き、思考や行動が交差する今という、『今』という現場なのである。そのことに思いを馳せるとき、夢とか人生の目標というのは、非常に一面的なように思われた。

 名誉やお金、地位そんなものは、死の瞬間にどれだけの意味をもつだろうか?自分は名誉やお金、地位と同じではなく、死んでしまえば名誉やお金、地位は虚しい。家族や同志ともお別れせざるを得ない。

 では、本当の自分の生きがいは何だろうか?恐らく、人から与えられたものではなく、自分が意識するかどうかは判らないが、純粋に自分が回答すべき問題だと思う。

 そして、単なる夢や目的、哲学だけの問題ではなく、自分の体感や五感といった、『今』ここを検知し、そこから考える視点が重要な働きをするようにも思う。生きがいは、『今』ここから永遠につながる、一つのプロセスの研究の旅といってよいかもしれない。生きがいの心理学の意義をもう一度考えてみたい・・・

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こころに響くこと!

2007-11-16 | 第十章「今ここでの恩寵」

 この数日、まとまりのない日々を過ごしてきたように感じている。

 新しい知識に感動したり、不思議なタイミングで、人から助けられたりした。ただ、過去の出来事からの自己嫌悪感、将来に対する不安感、閉塞感が何処となく漂う感じである。

 もう少し、将来ビジョンと当面の行動計画を明確にしていかねばと思いつつも、それを延ばしてきているのが原因の一つである。何か重要なことが見えていないのだとも思う。

 丁度良いタイミングで、今日から3日間、カウンセリング勉強会がある。U先生を始め、懐かしい人たちや、初めてお会いする方々と3日間を過ごす。

 この中で、もう一度、こころに響くことを探してみたい。

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