家のベランダで、毎年イチゴが採れる。ほんの少量であるが、家族と愛犬ノコちゃんで食べる。ところが、最近何ものかによって、果実が盗られてしまい困っていた。そして、ある日妻がベランダに飛んでくる怪しげな鳥を見つけ、どうやら犯人は鳥だということに。
それで、袋をかぶせたりしたが、どうも蒸れるようで良くない。そこで、果実が鳥から見えないように、鉢を回転させ防御している。その成果もあり、今日は収穫を得て、ほんの少しだが家族で食べることに。
都会に、のほほんと住んでいると自然の多様な捕食サイクルに触れることはない。動物の天敵の関係など、殆ど見ることはない。
ただ、動物とは違うが人どうしにも敵対関係があるようだ。人間の感情で、好き嫌いは、原初的な感情といわれている。人は誰かに出会うと、瞬時に好きか嫌いかを深層で判断するそうである。
生育史の中で経験してきたことも、好き嫌いに影響を与えている。私の好き嫌いも何か傾向があるようだ。さらに、好きな人でも、その人のある動作や表現が嫌いということもある。自分なりの理想(自己概念)があるからだ。
好き嫌いなどの感情を、倫理道徳を離れ、いったん受け入れ、表現してみると面白い。1日の感情をノートに書いてみたり、自問自答したりすると意外な発見がある。あるいは、のんびりと感情的に混乱しているときのこと思い出す。自分は、どのような苦手があるのか。それはどんな感情なのかと。昔に同じような経験はあったかなど。
生育史の中で作られてきた、自分の様々な苦手パターンは不思議なものである。個性とも密接に繋がっている。自分の生まれてからの歴史だけでなく、祖先からの歴史も引きずっているかもしれない。あるいは、宇宙開闢以来の137億年の歴史も。
そんな風に楽しみながら、自分のこと、場合によれば苦手な人のことを考えると、何か愛おしくなるような視点が得られるようだ。
さあ、イチゴを食べに行こう。
(こころを鍛える⑯(1億2千万人のための生き甲斐の心理学) 37/60)
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