イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

どろぼう鳥にご用心!(こころの鍛え方⑯)

2010-04-25 | 第七章「光と復活体」

 家のベランダで、毎年イチゴが採れる。ほんの少量であるが、家族と愛犬ノコちゃんで食べる。ところが、最近何ものかによって、果実が盗られてしまい困っていた。そして、ある日妻がベランダに飛んでくる怪しげな鳥を見つけ、どうやら犯人は鳥だということに。

 それで、袋をかぶせたりしたが、どうも蒸れるようで良くない。そこで、果実が鳥から見えないように、鉢を回転させ防御している。その成果もあり、今日は収穫を得て、ほんの少しだが家族で食べることに。

 都会に、のほほんと住んでいると自然の多様な捕食サイクルに触れることはない。動物の天敵の関係など、殆ど見ることはない。

 ただ、動物とは違うが人どうしにも敵対関係があるようだ。人間の感情で、好き嫌いは、原初的な感情といわれている。人は誰かに出会うと、瞬時に好きか嫌いかを深層で判断するそうである。

 生育史の中で経験してきたことも、好き嫌いに影響を与えている。私の好き嫌いも何か傾向があるようだ。さらに、好きな人でも、その人のある動作や表現が嫌いということもある。自分なりの理想(自己概念)があるからだ。

 好き嫌いなどの感情を、倫理道徳を離れ、いったん受け入れ、表現してみると面白い。1日の感情をノートに書いてみたり、自問自答したりすると意外な発見がある。あるいは、のんびりと感情的に混乱しているときのこと思い出す。自分は、どのような苦手があるのか。それはどんな感情なのかと。昔に同じような経験はあったかなど。

 生育史の中で作られてきた、自分の様々な苦手パターンは不思議なものである。個性とも密接に繋がっている。自分の生まれてからの歴史だけでなく、祖先からの歴史も引きずっているかもしれない。あるいは、宇宙開闢以来の137億年の歴史も。

 そんな風に楽しみながら、自分のこと、場合によれば苦手な人のことを考えると、何か愛おしくなるような視点が得られるようだ。

 さあ、イチゴを食べに行こう。

(こころを鍛える⑯(1億2千万人のための生き甲斐の心理学) 37/60)

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「1Q84 BOOK3」のゲットのしかた!(こころの鍛え方⑮)

2010-04-24 | 第七章「光と復活体」

  村上春樹の1Q84ブック3.アマゾンで予約購読すれば良かったのに、それを怠り17日に本屋さんに出向いてもすべて売り切れ。その後5-6件回ったのだが、ブック1、ブック2は店頭に置いてあったり、あるいはポスターを大々的に置いてはあるのに、ブック3は影も形もなかった。

 そして、最後にK書店に行ったが、そこの書店は「ブック3は売り切れですが、予約できます。お声をお掛けください」の表示があった。書店で予約という方法があるのかと、早速声を掛けると、入荷後電話をしますとのこと、私は不在が多いので留守の時は、留守番電話に入れてくださいとお願いしたら、良いですよとの優しい応対。

 その後、ちょっと遠くの書店なのでもし他で見つけたら買ってしまおうかなど、むくむくと雑念が起こったが、こころまちに電話を待っていた。昨晩帰宅すると、電話が点滅しており、書店から留守番電話が入っていた。嬉しい!早速今日は書店に直行である。

 K書店は、2年前に某事件があって、大変な思いをした書店である。私も身近なところに仕事場があり他人事でなかった。何かほっとする優しさは、そういう経験の中からにじみ出してくるものなのだろうか。

 暮らしの中のカウンセラーは人を信頼しなければ成り立たない、ふらふらする自分のこころの軌跡。修行がまだまだ足りないと反省した。

(こころを鍛える⑮(1億2千万人のための生き甲斐の心理学) 36/60)

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祈りのパターン!(こころを鍛える⑭)

2010-04-23 | 第七章「光と復活体」

 昨日の仕事や役割の悩みもそうだが、自分の思い通りに行かないで途方に暮れることがある。壁の前でどうにもならない状態・苦悩の時である。

 こうした時は、祈るしかない。そして、全てを、神仏にゆだねる。

 さて、今日の朝、NHKの番組で奈良時代の呪術の話があり、井上内親王の話があったりで、とても興味深く拝見させていただいた。祈りの負の側面があるとすると、呪術のように(他者否定も認めるような)なるのだろうか。

 お願いの祈りは、最も基本的な祈りだと思うが、他者肯定・自己肯定的な健全な祈りが本当は良いと思う。

 私は、あるきっかけで真剣になって祈ることを覚えた(呪術ではなく、私の場合はカトリックの信仰を深めたのだが)。そして、それから不思議なことに、感謝の祈り、賛美の祈り・・・・いろいろな明るい祈りがはっきり見えてきた。時空を超え、あたかも、この世に天国が到来したような祈りである。

 キリスト教の祈りも素晴らしいが、仏教の声明、祈りも素晴らしい。宗教の違いはあっても、自己肯定・他者肯定的な祈りは普遍的なものではないだろうか。そして、普遍的な祈りは健全な社会の基盤として、もっと盛んであるべきだと思う。

 今日は、「こころの鍛え方」からちょっと離れてしまったが、宗教を信じて、見えるもの見えなくなるものを研究する心理学もあるのでお許し願いたい。また、心理学の分野ではなく、宗教や哲学の世界も心理学には切っても切れない関係があることをご理解いただきたい。

(こころを鍛える⑭(1億2千万人のための生き甲斐の心理学) 35/60)

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~らしい人達!(こころの鍛え方⑬)

2010-04-22 | 第七章「光と復活体」

 幼いころ、子供のころを思い出すと、~らしい人が沢山いたように思う。お豆腐屋さん。酒屋さん。お肉屋さん。八百屋さん。・・・当時は、見ただけで何となく職業が分かることが多かった。今では、外見で判る職業など少なくなったようだ。

 一生を通じて、同じ仕事で通すことも、技術革新の世の中でもあり大変だ。私はかつて営業の仕事をしたが、今では機能的に別れ分業化し、重要顧客担当、コールセンター、その他に別れたりしている。その中で、営業のアイデンティティも随分変わってしまった。勿論お客様側も同様に変わる。

 とはいえ、今の世の中にも、ほれぼれするような~らしい人がいることも確かである。医師、看護師、ソーシャルワーカー、教師、芸術家、宗教家・・・心理療法家、カウンセラーもある。対人的な職業は健在だと思う。勿論~らしい。というのは主観的なもので、自分でも刻々イメージが変わっていく。

 さて、自分の仕事とか役割を考えてみた。父親、夫、息子、NPOの同志、弟子、ボランティアの同志、仕事場の・・・・いろいろあるものだ。数えてみると軽く10以上ある。そして、その一つずつを振り返っても面白い。古い殻を脱ぎ棄て、新しくなる役割もある。

 石にかじりついても、同じ仕事を3年続けた方が良いということも聞くが。それが良いかどうかの判断を保留にしても、3年くらい続けるといろいろその役割の解釈が変わってくることに驚くものだ。

 そして、今、ちょっと辛くなっている役割は、何か新しくなるための過程のように感じる。生みの苦しさは常にあるのだ。

(こころを鍛える⑬(1億2千万人のための生き甲斐の心理学) 34/60)

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最良なこと、最悪なことを思案する!(こころを鍛える⑫)

2010-04-21 | 第七章「光と復活体」

 20歳台のころ、営業の仕事につき、いろいろ苦労したときに、上司が言った一言は忘れられない。「営業の仕事はいろいろあるが、お客さんに殺されることはない」。なるほどと思った。

 嫌な話に巻き込まれ、ウツの感情で悶々としている時、意外とこの最悪の事態を考えることは役にたつ。漆黒の奈落の世界をみるより、暗いなりにも底が見える方が良い。意外にも気分がすっきりする。

 最悪の事態を考えることのほか、最良の事態も考えるとよい。嫌な話がうまくいくことを、意外にも深く考えないものである。何か、こころの重しがあって、良いことを避けてしまうようである(これは私だけだろうか)。

 そして、事態が最悪から最良の間にだいたい落ち着くだろうと想定できれば、さらに楽になれるものである。ここから先は個性で対処の仕方が異なるのだろう。

 最良を追求する人。最悪を回避することに全力を挙げる人。事態を静観する人。状況や個性で変わってくるのだろう。

 最良なこと、最悪のことを思案すること。これは個人の問題だけにとどまらない。経営や事業などにも応用できる。さらに、いろいろ考えると、生命に与えられた、何か根源的なプレゼントのような気もしてくる。

(こころを鍛える⑪(1億2千万人のための生き甲斐の心理学) 32/60)

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