イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

セルフ・ウォッチングを楽しむ!(こころの鍛え方⑥)

2010-04-15 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 人間のこころは身体と同じように、決して強靭ではないと思う。ちょっとしたことで病理に向かう。また、人生はいろいろなことがある。今日まで良くても、明日になったら何が起こるか判らない。波乱万丈が当たり前である。

 そんな中で、ちょっと不謹慎かもしれないが、敢えてセルフ・ウォッチングを楽しんでいる。<特に、自分がどういう時に動揺したりするか。その時どんな感情が起こるか、思考はどうか、行動はどうかを、興味深くウォッチングするのだ。>。

 10年前に「生き甲斐の心理学」を学び始めてから、家族の変化、仕事も変わったり、職種も変わったり、経済的にも変化があった。そんな過去を想っても、興味が尽きない。

 例えば、仕事という切り口から考えてどうだったか。大企業の管理職、職業訓練の生徒、当事者団体での介助職、福祉車両ドライバー、運行責任者、老人ホーム介護職、NPO法人の仕事など・・・

 本当にいろいろな方々と出会い、助けられ感謝しているが、先の<自分がどういう時に動揺したりするか。その時どんな感情が起こるか、思考はどうか、行動はどうか>を考えてみると、自分の姿があぶり出されてくるような気がする。

 恐らく、自分の意識の世界だけでなく、幼いころなどの人格形成時期の影響もものすごいのだと思う。

 動揺というと範囲が狭くなってしまうが、苦手な人と接するときのこと。嫌な仕事をしているときなどに広げても興味が尽きない。無意識の意識化などで楽になれなくても、自分のこころの傾向を知ることは、結構楽しいものだ。特に笑い飛ばすように考えていく(親しい人と笑い転げるような失敗例)のは良いかもしれない(こころの世界は無理は禁物、苦しくなったらやめるのが鉄則)。

(こころを鍛える⑥(1億2千万人のための生き甲斐の心理学) 27/60)

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いろいろな考えが、世界を豊かにする!(こころを鍛える⑤)

2010-04-14 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 Cさんが亡くなられ、Cさんと懇意にされていた方々が、寄稿された文集を読んでいると、Cさん自身の思い出もこころを打つが、それぞれの方のCさんの解釈のしかたも興味深い。

 確かに言われてみればという一面にスポットを当てる人。自分が気にも留めなかった一面を、思い出深く語る人。・・・恐らく、人それぞれ、一番思い出深いところを書いているのだろうが。

 知覚・解釈というのは、本当に人それぞれ、個性の反映なのだ・・・と、あらためて想う。

 人は生まれてから死ぬまで、独自の生育史を築いていく。先日カウンセリング勉強会で、Dさんが、人はフィルターそのもの、という名言を言われていたが、本当にそうだ。

 私は、以前勉強会で一枚の写真を示し、好きか嫌いか、何故そうなのかを語ってもらったことがある。参加者の方々のお話をじっくり傾聴しながら、その多様な・解釈のしかたをお聴きしていると、それだけで、なにか豊かな気持ちになった。

 知覚・解釈はひとそれぞれ違うが、自分自身の知覚・解釈も変わるものだ。固定概念でこれしかないと解釈し、暗い生活を送っていたのに、ある日突然解釈が変わり、世界が明るく変わる。そういう強烈な思い出もあった。

 写真は府中の森公園の桜並木のところの眼のようなオブジェ。いつも何か不思議な気持ちにさせられるオブジェ。皆さまはどう感じ、どう思いますか?

(こころを鍛える⑤(1億2千万人のための生き甲斐の心理学) 26/60)

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嫌な感情とスマートにお付き合い!(こころを鍛える④)

2010-04-13 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 日々、目まぐるしく変わる感情にお付き合いしている私であるが、感情そのものについては昔は余り考えなかった。図書館や本屋さんにいっても、感情のことを正面から扱った本は極めて少ない。一般に感情そのものについての関心は少ないのだろう。

 ところが、心理療法やカウンセリングの世界では、この日の当らない感情が主役になる。「生き甲斐の心理学」を知って驚いたもである。ほんの一例であるが、先日のプロセススケールでも真っ先に、「感情と個人的意味づけ」が出てくる。

 さて、ちょっと試しに感情の問題をださせていただく。私も似た経験があるが、よくある悩みのパターンである。このストーリー、何かちょっと変なのであるが。少しお考えください。

<AさんはBさんを大切にしている(夫婦とか親友とか親子など・・・)。しかしある日、ちょっとしたことで喧嘩をしてしまった。Aさんは感情的にBさんを憎んでいる自分自身に気付く。そして、私はなんていう人間なのか・・・と自己嫌悪に陥っていく。そして、だんだん他人も自分も信頼できない感じに陥っていく。>

 湧きあがる感情に、自分はなんという人間かと自己嫌悪したり、抑圧したりする。過去を思い起こせば、自分とは無縁な事例ではないようだ。

 さて、何が変なのか。

 一つは、憎らしい感情を持つことに、自己嫌悪していることだ。つまり、Bさんを憎らしいと感じるが自分がダメと混同してしまう。しかし、良く考えれば、Bさんに憎いという感情を持ったということ以上の事実は本来ないのである。そして、それは、ある意味でセンサーの信号のようなものではないか。その信号をどう判断することが本来の意味で、決して自己を否定する必要はないのでは。

 しかしながら、感情の世界は扱いに難しいのも事実であり、いつの間にか感情転移の玉突き事故のようになることもある。

 しかし、感情は大切なセンサーと考えて日常生活を送ると、とても大切な気づきを得ることも確かである。以前、男なのに微かに嫉妬を感じたことがあるが、その気付きを熟考することで、とても建設的な人生の選択ができたこともある。

 何故、このような感情が湧くのか?考えると楽しいものである(感情自体は嫌であっても)。

(こころを鍛える④(1億2千万人のための生き甲斐の心理学) 25/60)

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こころの健康を測る!(こころを鍛える③)

2010-04-12 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」
 身体の健康では、体重測定、体脂肪測定、体温測定、血圧測定、健康診断での様々な検査・・・本当に多額のお金と、それに見合うだけの数値が提供される。それだけ関心が高いのだろうし、方法もあるのだ。

 ところが心の場合は、器質障害は別にして、主観的なものになってしまい、身体の健康尺度と比べると余りに少ないようだ。

 しかし、こころの健康は確かにあり、また、建設的に生きるためにもとても重要である。自分のことを振り返ってみても、確かに輝いているような時もあれば、そうでないときもあった。

 輝いていない時。

 全体的にではあるが、こころの底から感動することもなく、大きな流れの中にいるといるより、ポツリと砂漠にいるような印象。人と話していると、自分の問題の大きさに、相手がビックリするが、自分は何か他人事のように感じる。話すといっても、男は黙って・・・といった雰囲気で、あまり語ることがない。

 こころの健康は、身体の健康と別ものと思うことも多々ある。ターミナルケアを受けている方のほうが元気で、細かい気遣いをされたりして、ケアされている方が逆にケアされることも。

 大きな悩みがあっても、それを、ひょうひょうと楽しむ方もいる。解釈が柔軟で、とても謙虚であったりする。

 さて、こころの健康を測る尺度は、1950年台にカールロジャースが考案した、プロセススケールが有名だ。既に、このブログでもご説明したが、「生き甲斐の心理学」第3章に詳しい。参考までに、以下に7つのスケールと、ブログでのリンクをしているので、参考にしていただきたい。

 プロセス・スケール 2009年10月23日から30日に連載。十月のブログ

1.感情と個人的意味づけ   (10/24)

2.体験過程                         (10/25)

3.不一致                             (10/26)

4.自己の伝達                       (10/27)

5.体験の解釈                       (10/28)

6.問題に対する関係               (10/29)

7.関係の仕方                        (10/30)

 7つの尺度はそれぞれ、簡単に分けて、底、中、高があり、それが底から中、中から高に向かう場合は健康的であるが、その反対の方向は良くない。また、総合的にみて底より、中、高が良いようである。ただ、世の中さまざまなことが起こるのであり、誰でも、底になったりすることは当然ある。

 自分のこころの健康状態を知る。大切なことだと思う。

(こころを鍛える③(1億2千万人のための生き甲斐の心理学) 24/60)

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子供に興味をもつ人達!(こころを鍛える②)

2010-04-11 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 昨日は、一ヶ月に一回の東京タワーに近い某所での会合に参加した。時間があったので、東京タワーに寄ってみたが、一足早い鯉のぼりが沢山、風に靡いていた。写真は鯉のぼりと東京タワーのコラボ。なかなか爽やかであった。

 東京タワー近くの会合のメンバーは、幼いころから知っている従兄弟や、30歳台からの知人なども参加し、あっという間に時が過ぎる。そして、子供や若い人の教育に関して、今回もいろいろ話がでた。どうも教育問題に関心が高い人達の集まりだ。

 学校を出て、会社に入った私は28年同じ会社で過ごした。途中労働組合に一年関わる以外は、マーケティングを中心に仕事をしてきた。関心は、顧客(エンドユーザ、販売店等)、売上、経費はいつもだが、その時々でフレーバー(製品、教育市場、製造システム、広告・・・)が違う。しかし、今思い出すと、つくづく営利企業に勤めていたのだなぁ・・・と思う。

 会社を辞めてからは、全く異なる世界の人達とお付き合いを重ねた。

 老人介護に興味のある人たち。障がい者自立支援に興味のある人達。生き甲斐支援の心理学に興味のある人達。創造プロセスに興味のある人たち。教育に関心のある人達。信仰に関心のある人たち。地域活動・非営利活動に興味のある人たち・・・

 会社を辞めて1-2年は、昔の営利企業的枠組みが頭を離れないところがあった。長年の習慣はすごいものだ。勿論今でも続いているが、3-4年たつと、かなり距離を置いて見られるようになる。地球の引力圏から抜け出た宇宙船が自由に航行できるようなものである。そして、本当に好きな星の引力を受け始める。

 子供や若い人への関心。この国の将来を背負う人達に何とか役に立ちたいと思う。昔のように、お金持ちには興味は無くなった。

 ただ、好きとは言え、引力の影響を受ければ、理想と現実のギャップから暗い感情は必ず起きる。それが普通なのだろう。ストレスをうまくコントロールすればよいのだ。そういう本物のノウハウは臨床心理学の分野からだんだん見えつつあるのだ。

 宇宙船「こいのぼり」は気持ちよさそうだ。

(こころを鍛える②(1億2千万人のための生き甲斐の心理学) 23/60)

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