田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

地域史を紐解く たてしな歴史研究会

2010年11月20日 | 日記

11月20日(土) 晴れ   快晴 無風 暖かい 一日

たてしな歴史研究会は隔月定例会を開きながら6年目を迎えている。今日は年一回の研修として真田町を訪ねた。

いろいろと行事が重なるなか、11月第3土曜日は早くから歴史研究会の日と決めていた。立科町からは30分も車で走れば真田の町へ行けるのだが、なかなか一人で廻るとなると難しい。

先ずは立科町をはじめ、信州の佐久地方を荒らしまわった武田信玄が敗退した砥石城で記念撮影となった。

真田氏歴史館では大将のブロンズ像と欄間に掲げられた武者絵が何か寂しさを感じさせた。

真田氏本城では、韓国のTV撮影があるとかで、鉄砲隊が正装で表れた。運良く火薬不使用のため火縄銃を持たせてもらったり、会員一同感動しっぱなし、しばしドウシンに還っていた。

朝からの研修ということで、昼は幸村御膳と洒落た企画だったが写真を採るのも忘れてしまった。

午後は陽の短い季節最後の見学地信綱寺では想いの熱い歴女ガイドの熱弁でこの寺の裏山に登った。

そこには、信綱夫妻・昌輝の墓があり、語るも涙・聞くも涙のガイドの思いの丈が爆発した。墓の前には六文銭が入った鉄の門扉も錆び付き開け放たれて、墓守の石像も首が落ちたままにはいささか、哀愁が漂っていた。

9時から4時までの研修も19名の参加者全員が高齢と云う中山城を歩き、寺を廻った。観光地とは云っても限られた財政のなか良くも整備下物だと一同関心。町を挙げて真田一族を大切にすることが、マンホールの蓋の飾りにも表れている。

天候も良く、事故もなく一同無事に立科へ帰り着きました。

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合唱祭にも気合を入れなくてはならにのだが

2010年11月20日 | 日記

11月19日(金) 晴れ   快晴   寒さが緩み比較的暖かな初冬

昨夜から緊張した朝を迎えようと気合を入れて早く寝たが ・ ・ ・ 

起きた時には既に太陽が昇っていた。眼が覚めたのは5時15分、風呂に湯を入れたと思って一寝したと思って風呂場に直行、しかし、湯船には冷たいまま一滴の湯もなかった。夢だった、確かに風呂に湯を入れるボタンを押した記憶があるのだが夢の中のようだ。湯が溜まるまでは身体を丸めてジッと我慢 ・ ・ ・ 風邪を曳かなくてよかった。

午前中は2日間の研修の資料を読みながら、ブログをUP、午後にある日曜日の合唱祭の打合せの資料を読みなおした。腑に落ちないことがいくつかあるのだが、主催団体の実行委員はしっかり者のご婦人方一方的に指示を待つ形になるのもいたしかたない。

  

この合唱祭は町内にあるグループが中心となり企画から実行まで取り仕切っているのだが、今年は町役場の職員が歌のグループを立ち上げて、参加すると云う。“まちづくり”の一環で始めたこと、ここに役場の職員が自主的に参加するとはアッパレと云うものだろう。昨日の新聞にも大きく報道されていた。http://www.shinshu-liveon.jp/www/topics/2179

 

打合せを終えて家に戻ると3時を優に過ぎていた。しかし、この時間で集落は山陰になり日射しは届かない。

浅間の山は僅かに噴煙を見せているが、夏にも緑濃い針葉樹も今では黄葉し見事に色着いている。

 

 

太陽の光も僅かに向かいの山の落葉松にスポットを当てている。このような時間帯になるとArgoは必ず一人外を眺めるのだ。彼は何を感じているのかジッとして動かない。一二度名前を呼んだくらいでは視線を替えようとはせず、大きな声で呼ぶと首だけ回して眉間にしわを寄せて《ウルセエ~ナア》と云う表情をする。

そういうArgoもSalaとバトルを繰り広げたあと部屋に電灯が灯るころには自分のベットには入らずSalaの中へ入り込み占有する。その寝相の悪さと云うと仰向けになり大の字になる。

こう言うときのSalaは静かに立ち退いて城を明け渡すのが常だ。

犬たちにはそれなりに仁義があるのだろう。俺の知ったことでは内のだが ・ ・ ・

 

 

 

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