田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

夏だからではないが 死ぬと云うこと

2012年07月18日 | 日記

7月18日(水)  晴れ   夏日  猛暑  立科でも暑い 

水曜日でも月末ではない今日、朝から佐久病院に向かった。相変わらず駐車場の混み様は凄く、数台が通路を巡って止める場所を探してる。俺が入口で、病院から出てきた女性に声を掛けると“今、出ます 主人を送ってきたから”と行って入口から2台目の場所の車に乗り込んだ。

すんなりと止めさせて貰ったが、外の熱さはすごい、眼の前の病院がカゲロウで揺らいで見える。いつものように採血と注射を済ませ、次は月末から今日に来院日を替えたMRIの検査室へ向かった。脳の検査だが俺は視床下部下垂体と云うパーツが劣化していることが既に判明している。以前CTやMRIの検査を受けたが、そのときは救急車で到着し意識がないまま、一連の検査を受けている。また、その後、一ヶ月くらいの入院中に同じような検査をしたと聞くが、全く覚えが無い。

 

自分で自ら申し出てMRI検査に望んだのだから、観察眼は蝶や昆虫を見ている目よりも厳しく当に、五感を鋭くして機械の上に横になった。

若い看護婦さんに“ヒザマクラヲをしてもらい”(身体を上向きに保つために膝の下に枕をあてがい、腰を安定させる)、次には男性の検査技師が頭の周囲に囲いを付け、更に安定させるためにパッキンを詰めた。ここで俺が一番に感じたのは『納棺して夏だからドライアイスのパックを身体の脇に詰める』これだ。こう思うと次の“カリカリガッツン”と云う重い金属的な響、更に“始めます”の声。

ガクンと云う音ともに、スルスルと俺を乗せた台が動き、やがてガシャンと重たい扉がしまうような音。次にはグワングワン・ボウボウとものすごい勢いでガスバーナーが焚かれる。更にその上にガッツガッツ・ビイ・ビイ ・ ・ ・ と断続的な音が続いた。何となく背中が熱くなってきたと思うと次に、金属的な軽い扉が開くような音が聞こえた。誰かが覗いてるのだろか? いろいろな音や響が変化しながら俺の内臓から頭の内部まで響き出す。

ウトウトとして気がつくと、“寒くなかったですか~?”と優しい声 これぞ始めて聞く“アノ世の声”と思う間も無く、検査室の鈍い蛍光灯の明かりが目に入った。どうやら僅かな時間だけど寝込んでしまったようだ。後半の記憶が飛んでいることに残念な思いを懐きながら、次の内科の待合へ向かった。

内科の待合では担当医の待ち時間の掲示が差し替えられ60分待ちとなった。予約時間は優に越している。俺はこの待ち時間を利用することを7年をがかりで学び、本を読むのが目的と、この時を楽しむ術を持てるように成長している。結果的には午前の最終患者である俺は14:30に診察を終えて会計を済ませると3時になっていた。

駐車場に戻ると猛烈な熱さは未だ続いていて、軽トラに乗り込めない。しばし、ドアと窓を開けて俺は千曲川の川原に向かった。ここから見る浅間山は台形で噴煙こそ見えなかったが、上空の曇が如何にも噴煙だと云うような様を見せていた。反対側の八ヶ岳方面を見ると夏雲と青空をホウキで掃いたような白い曇が印象的だ。

駐車場に沿った川との境には胡桃の木が多い、この木も暴れ川であった千曲の流れが上流から運んだものだろうか?オニグルミかと思っていたが、熟している実を見ると菓子ぐるみ、誰かが植えたのかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする