7月26日(木) 晴れ 空気は湿り気がなく それなりの夏日
昨日、水曜日は眼科の日で暑い夏日の中佐久市臼田まで出かけた。軽トラのエアコンお稼働させるのは殆どが夏の2ヶ月、6月7月何れも月末の水曜に病院に通うときだけだ。出かけるときに玄関から外に出ると夕べ咲いた“月見草”が薄いピンクに染まっていた。昨日の夕方、ボランティア仲間の会議に向かうときは純白のハンカチを硬く絞ったように先を膨らませて見せていた。
一夜のうちに何があったのかは知るところではないが、先日も深夜に撮影した花の姿を見ると風もないのにシベを振って花粉を振りまいていいるように見えた。夜中にムシが来るのか、それとも、人地知れず風に載せた付け文が花の紅に染める原因になったのだろうか?
それにしても大胆な花だ。“月見草”は純白な蕾のまま花を開き、朝露が降りる頃には一夜の思いを胸に秘めるのではなく、顔に表し太陽が昇るほどその紅さを濃くする。思いの丈を色濃く表すのだろうが、何時の頃の花なのだろう。対称的な“宵待草”は現代的だと思うが、一夜の思いと云うよりも数日間顔色を変えずにいるし、しかも、茎の頂上に幾つもの花を同時見せている。差し詰め現代娘の集合体、“みんなで渡れば怖くない”と云う台詞が聞こえて来そうだ。
“月見草”と“待宵草”何となく似た花のようだが、実物を見ると一目瞭然、どちらが好きかと云うとどちらも良いところがある。太宰治の言葉に「富士に月見草がよく似合う」と云うのがあるが、河口湖に向かう御坂峠に碑があるが、アノ辺りには宵待草が多く、月見草と宵待草を取り違えたのではないだろうか?
人それぞれで感じ方も語呂からのイメージもあるのでかまわないが、夏の花としてはムラサキシキブの花も今が見頃だ。ムラサキに金色を配した王冠のような花。遠くから見るとなんとなくムラサキの塊だが、これもひとつづつの花を見ると美しい。これと同じシロシキブ(が正しいか定かでない)があるが、これは余目立たない。ムラサキシキブを目立たせるために白としたのだろうが、何かもの悲しさを感じる。