田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

立科町の歴史を紐解き そぞろ歩き

2012年07月21日 | 日記

7月21日(土)  曇り  俄雨    午後   3時を過ぎて再び雨

昨夜は猛烈な激しい雨で今日の「たてしな歴史研究会」の町内歴史散歩が可能なのか心配しながら床についた。朝には昨夜の心配をよそに東の空は明るく、曇も切れ目が見えるほどだった。

町の名刹“津金寺”に集合した会員は10名、略半数の出席となったことは行事の重なる土曜日にしては上出来だろう。境内は昨夜の雨と午前中にパラパラと降った雨で木々も生き生きして、夏萩の紅い色が一際鮮やかに見せていた。開会は会長の挨拶の後、庫裡の土間に設えた休憩所で、竹花初雄先生の津金寺の概略を判りやすく解説していただいてからそれぞれの建屋を見学した。観音堂、阿弥陀堂など内部の詳しいことは下記サイトでご覧いただきたいが、この寺の美しく感じるところは、建屋から庭の隅々まで地域住民、檀家など日々の生活と直に接しているのを感じた。木々の歴史を感じる中にも手入れが施された重厚さに圧倒され心が洗われる。

http://www.janis.or.jp/users/tuganeji/index.html

 

これより本堂(観音堂)内部

仁王門奥の立川流の彫刻が施された妙見堂と北側の弁天池

護摩炊きが行われる建屋 裏には龍の彫刻が掲げられている

 護摩たき

津金寺だけでなく、この山部地区一帯が美しいだけで無く、地域の自然が守られ残されていることから、長野県の郷土環境保全地域に指定されている。2時間近くかけて津金寺を見学し、継ぎは1km北へ歩くと、長野県立図書館設立に尽力した、蓼科高等小学校初代校長でもある保科百助五無斉が始めて教鞭を執ったといわれている山部学校を見学した。ここは明治維新前は郷倉であり明治4年に改築して学校とされた。また、地区の五無斉生家には九曜星の家紋が掲げられた蔵がある。

3時を過ぎて、五無斉先生の墓を訪ねて学習会を閉じた。

この墓所にもウイットのある狂歌が刻まれた石碑が建っている。

われ死なば 佐久の山部へ おくるべし 焼いてなりとも 生でなりとも

 

コメント
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