物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

波動幾何学と岡潔

2008-02-11 14:06:14 | 物理学

昭和10年代に三村、岩付と彼らの学派の波動幾何学が盛んに取りざたされていた頃、一方で同じ大学、広島文理科大学(後に広島大学となる)に勤めていた岡潔が多変数関数論の難問に取組んでいた。

岡の多変数関数論の業績は世界に鳴り響き、戦後に彼の文化勲章受賞で日本の社会一般にも知られるようになった。私が岡の名前を知ったのは湯川秀樹の自伝『旅人』(朝日新聞社)に湯川たちの数学の先生として出て来たからであった。

他方、広島文理科大学の付置の理論物理学研究所の設立にまで至った「波動幾何学」の研究は数十編の論文を生んだが,業績としては行き止まりとなった。

波動幾何学研究の一翼を担った竹野兵一郎先生にこの波動幾何学の一部の紹介する講義を大学院の頃に受けたが,そのときに竹野先生から岡さんが波動幾何学に対して大いに対抗意識を燃やして居られたということを伺った。

岡の多変数関数論の業績は類い稀なる岡の才能によるものとは思うが,それだけではなくこういう環境も作用していると思う。

最近、岡潔の詳しい伝記が出版されているが、こういった事情にはまったく触れていないようだ。物理を専攻する人にでさえもう波動幾何学なんて知っている人は少ない。

(2013.6.12 付記) このブログもときどきアクセスがある。どういう方がアクセスするのかはわからないが、岡潔に関心のある方か広島大学の卒業生の方かはわからない。波動幾何学の研究者の一人、数学者の岩付教授は右翼だったらしい。

西谷正さんの『坂田昌一の生涯』(鳥影社)に坂田さんの述懐として金沢かどこかの学会で中性子の崩壊か何かの講演をしたら。質問で岩付教授(名前は秘してあったかもしれない)から、戦時下でそういうアカデミックなことを研究しているのはどうかと思うというコメントがあったと書かれている。

ところが、その後原爆の放射線の中性子線が原因かどうかはわからないが、岩付教授は原爆で亡くなってしまった。坂田さんはその運命の不思議さに驚いている。このことは武谷三男の『思想を織る』(朝日選書)にも出ていたと思う。