定期購読している「数学教室」(国土社)の4月号で小林道正(数教協委員長)さんが標題のようなエッセイを書いている。遠山のもっていた哲学はやはり唯物弁証法だったのではないかとの推測を述べたものである。
あまりあからさまに書いてあるのでやはり大学の先生という気がした。いや別にあからさまに言って何も悪いことはないのだが、そういうことを気にせずに臆せずいうところが大学の先生らしい。小学校や中学校の先生だと周りを見渡して恐る恐る言うのではないか。
唯物弁証法が遠山の哲学だったかどうかは定かではないが、彼の「数学の学び方」とかなんかの本を読んでいると確かに数学といえども「もの」が一番底にはあるという語り口である。
もう半世紀前にもなったが、私が大学に入った頃に数学の先生からHilbertの公理主義というのを教わった。そしてこのような公理主義とは違った考えとして特にその頃のソ連の数学者は事物を根本に置いた考え方をすると聞いた。そのときにはHilbertの公理主義が目新しくて事物を根底に置く数学は泥臭く思えた。
しかし、その後50年を経て今考えてみると、実在と呼ばれる事物とか自然に根底をおいた数学がやはり本当だという気がしている。
ただ、数学を含めた科学はやはり人がするものという感じも一方では強く、物理の受験参考書に出ていたアインシュタインの言葉である、「科学は人間の創造したものである」との見方も一方ではもつ。
だから、ヨーロッパの科学者がもっているといわれる、神様のつくり給うた自然のメカニズムの一部を自分の研究によって解き明かすという感覚を私はあまりもっていない。数学とか科学の見方も私自身にとってもなかなかやはり一筋縄ではいかない。