物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

Sさんの展覧会

2012-01-16 13:13:04 | 日記・エッセイ・コラム

日曜日の午前中にSさんの個展を見に、砥部市を訪れた。この日が個展の最終日なのでこの日を逃せば、もう個展に行くことができないから最後のチャンスだった。

昼前に会場に行ってみると、友人のUさんがご夫妻で来られていた。それで、一通り絵を見せてもらってから、このUさんのギターの弾き語りや彼の自作のソングを数曲聞く機会があった。

このUさんは普段は真面目な顔の、E大学のドイツ文学の先生であるが、彼のつくった、この土地の方言の歌はとてもこの地方の様子の実体を反映しており、真に迫っていて、とても滑稽である。

歌ばかりではなく、弾き語りの小話はとても滑稽でそれを聞きながら、笑い転げた。Sさんが最終日のアラクションに頼んでおいたものだろう。

Sさんは私たちのドイツ語のクラスの先生R氏の夫人であり、最近は私たちのクラスにも参加されている。先日の12日のクラスで「年末と年始に何をしたか」という課題の、クラスメンバーの短いドイツ語のスピーチで「個展をぜひ見に来てください」と言われていた。

が、私はいつも週日は自分の用であまり外出できず、土曜日も無料塾で中学生に理科の受験勉強を手伝っており、彼女の個展に行くことができなかった。

行ってみると40ほどの絵画の中で、会場の入口から見て、正面にあった「ふれあい」という題の大きな絵が明るい赤系の色彩で一番良いように思われたので、そういうことをSさんに申し上げたら、夫君のR氏もまったく同じ意見だったという。


親友の死

2012-01-16 12:43:53 | 日記・エッセイ・コラム

親友の死は堪える。それも死を知らなかったから。土曜日に家に帰ったら、友人の奥様から友人の死亡のお知らせがあった。これは私の出した年賀状への返事であったが、友人は昨年の12月19日に亡くなっていた。

これには腰を抜かさんばかりに驚いた。彼は私よりは1歳年下だったから、まだ71歳であった。大学の4年のときに同じ研究室に入り、その後大学院の5年間を一緒に学んだから少なくとも6年を机を並べて学んだ間柄であった。私たちは研究を始めた初期に2つばかり共著の論文を書いた。

その後も、お互いに行き来をしており、ごく最近ではあまり連絡が少なかったが、彼が私の勤めていたE大学に出張で来たことは年に2回ぐらいはあった。またそのときには必ず私の家に泊まった。出身大学の研究室の同窓会はごく最近は来なかったが、まだそれほどの年ではないので、元気にしていると思っていた。

彼は音楽が好きで、住んでいる三原市のオーケストラに所属をしていたと思う。また、私が定年退職した一年後に新居浜在住の友人のS君と二人が松山にやってきて、3人で道後のKKRの保養所である、S荘に泊まってお互いの定年退職と今後の健康を祈って祝杯をあげたものだった。

このH君とS君とは野外派であって、野菜をつくったり、野山を歩いたりすることも好きだった。これはあまり野外に行くことが好きではない私とは違った性質である。

H君は親戚の従兄弟とかがロサンジェルス近郊に住んでいるいうこともあって、UCLAに留学をしたり、アメリカの壮大な自然を好んで車で旅行したりした。

よく生前一年でも、または半年でもいいから、金持ちが住んでいるということで有名なビバリーヒルズに住むことが夢であるといつも言っていたが、定年退職後に数箇月ロスアンゼルスに行ったことはあるが、ビバリーヒルズに短期間でも住んだかどうかは聞いていない。多分まだその志は果たしていなかったと思う。

もし、彼がビバリーヒルズに住むことがあれば、あまりアメリカが好きでない私も遊びに行くからと言っていたのに。

20日にS君と共に三原まで弔問に出かけることを予定している。