物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

精密な不確定性関係

2012-01-23 15:01:26 | 物理学

Heisenbergが不確定性関係を打ち立てたのは1927年のことだから、もう80年以上前のことになる。その不確定性関係が精密化されたと聞くと感慨なきにしもあらずである。

今朝新聞を見ていたら、『小澤流「不確定」仕分け』と出ていたので、あれまた小沢一郎氏がなにか政府に注文をつけたのかと一瞬思った。

よく見たら、そうではなくて名古屋大学の小澤正直さんが樹立したHeisennbergの不確定性関係の精密化のことだとわかった。その精密化された式も出ていた。「ゆらぎ」がそのキーワードらしい。

量子力学では粒子の位置とその運動量を同時には精確に測定できない。というのがHeisenbergの不確定性関係である。それに位置とか運動量の値のゆらぎを考慮して新しい不確定性関係式をつくったのが、小澤さんだった。ところがその当否を実験で調べられるようになったという。

小澤さんには悪いが、重箱の隅をつついたような研究だという評もありうるだろう。しかし、そういうところをきちんとするという研究は日本人のお得意の研究かもしれない。

電磁気学でのベクトルポテンシャルAの実在を実験的に示した、日立におられた外村彰さんの研究とかなかなか日本の研究には堅実なものが多い。

愛媛県の出身の研究者としては中村修二氏の青色ダイオードの発明とか、少し以前ならば近藤淳さんの業績もある。

これらの研究は各研究者の執念が感じられて私たち凡人には、なかなか真似が簡単にはできないものだが、日本の教育の画一性とか日本の理科系教育の貧困が言われたりするが、それでもそういう方がぽつぽつとではあるが、出ているということはある種の希望なのかもしれない。


日常への復帰

2012-01-23 12:19:36 | 日記・エッセイ・コラム

先週の金曜日に三原へ友人のS君と共に、友人のH君の弔問に行った。その日に子どもから連絡があって、子どものパートナーのお父さんが亡くなったというので、土曜日に高知市に行った。そして昨日の日曜にその葬儀があり、列席をした。

はじめて子どものパートナーの家族や親戚と会うことになった。それまでにはまったく機会がなかったのである。家族も親戚も知的な感じの方が多かったので、ほっと安心をした。

金曜日に生口島から三原の須波港へとフェリーに乗った。そのときに中国地方の海岸の白い砂浜が見えたときにきれいだったので、「砂浜がきれいだなあ」とつぶやいたら、それを聞いたS君がH君の死を悼んだ詩でもつくれと言ったが、そのときには「私は詩人ではないからそんなことはできない」と答えた。

しかし、その日の夕方の6時前に今治駅で特急を待つ間に30分ほど時間があったので、私にしては珍しく駅の喫茶店に入ってカプチーノを飲んだが、そのときに私の知っているシュベールトの曲、「鱒(die Forelle)」がBGMで数分流れた。それを聞いて少し私の心が慰められたように感じた。

帰宅して夜遅くS君の要請に応えるわけではないが、ドイツ語で詩らしいものを綴ってみた。これはもちろん詩の体裁をなしてはいない。だが、ここに載せておきたい。

このブログの読者の中にどれくらいドイツ語を解する方々がおられるかは想像がつかないが、ドイツ語を解しない方々はうしろの日本語の大意をみて私の気持ちを察して頂けたらよい。

      Zum Tod meines Freundes

Du, weisser Sand !

Kennst du mir die Traurigkeit ?

Mein guter Freund Gyo ist schon weg.

Seine Frau hat uns viel von ihm erz"ahlt,

aber das wollte sie nicht aufge"oren.

Man sagt, Zeit heilt uns.

Und ich erinnere mich an seine Optimismus.

Wenn ich kein Optimist w"are.

     友人の死に

白砂よ、君は私の悲しみを知っているか

親友 暁は逝ってしまった

彼の妻は彼のことをたくさん語ったが、

それを止めようとはしなかった

そして、私は彼の楽天主義を覚えている

たとえ、私が楽天家ではないとしても