物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

人生は退屈か2

2012-09-26 13:04:47 | 日記・エッセイ・コラム

私の知人の女性で老齢のため介護施設に入ったが、日常の退屈さを嘆いている方がいる。確かにいままでの自分での行動とか、活動が制限されて嘆く理由を理解できないではない。

だが、人生は生き方によっては退屈ではない。それは知的に生きようとするかどうかであろう。そのためには老齢になるまでにその準備をしておかなくてはならないだろう。急に行動を制限される事態になってもそれに対応した生活をするということであろう。

私がそれに十分に対応した準備ができているかどうかはわからないが、生き方を選ぶのは自分なのでそういう生き方をしていきたいと常々思っている。

高知県の中学校か高校の数学の教師をしていた方から話をもう何十年か前に伺ったことがあるが、地域の人に数学を公民館かどこかで教えているということであった。この方は2進法か何かの原理を教えておられることを楽しそうに話されていた。

別に人に教えなくてもいい。自分で楽しむことができればいいのだ。だが、実はこれがなかなか難しい。

昨年の秋の高校の同窓会で出会ったクラスメイトだった女性はいま英語とガーデニングに熱中しているのだと話してくれた。彼女はガンだとの宣告を受けたのだが、手術と化学療法でなんとかガンを克服しておられる。そのうちにまた再発するかもわからないということも一応自分の人生の中におり込み済みであるらしかった。

頭のいい人であったが、歳をとってもその頭の冴えはやはりなくなっていないと思った。だから、どう生きるかはその人々のおかれた状況で対処するしかないが、そのおかれた状況の範囲でやれることはあるはずだといつも考えている。

人生の退屈を嘆いても始まらない。どう生きるかは自分で決められるはずだからである。もちろん、物理的にもう体が動かないとか、それぞれのおかれた状況はことによれば、とても厳しいものがあるかもしれない。

だが、自分の頭を使ってそういう状況をどう楽しく生きるかを考えることはそれはそれで生き甲斐のあることにちがいない。

(2012.10.1付記) 武谷三男は晩年には介護施設のラヴィアンローズ(La vie en rose)に入っておられたが、そこをお見舞いに訪れた西村肇氏によれば、枕頭にワイルの『群論と量子力学』(山内恭彦訳)が置かれてあったという。

これは武谷が若いときに読んだ書であるので、初めて読むわけではなかったのだが、晩年には若いときに読んだ書を読み直すということも人生を退屈に過ごさない一つの方法かもしれない。


(続)書評

2012-09-26 11:35:07 | 本と雑誌

アマゾンコムの書評でちょっと触れたいと思った書評があった。それは太田浩一さんの本についてである。

私はこの太田さんの本のファンであるが、アマゾンコムの書評者で、なかなか点の辛い方がいて、太田さんの本の星が2つだったか3つだったかの評価がしてあった。

そして、太田さんは「まとめ方の下手な方だなあ」と感想にあった。それは多分間違ってはいない。ただ、私は太田さんの博識なところというか情報量の多いところや視点の独特なところとか考えの深さとかを評価している。

だから、別にどう評価されようと太田さんの本を購入することを止めない。

でも、一般の人にとってのその辺の評価はどう感じられるのだろうか。特に太田さんがアメリカやヨーロッパに実際に住んでみたり、行ったりしたときの知識や情報は普通の人の得ることの出来ない貴重なものである。それに彼のとってきた写真も彼の著書の中にはたくさん入っている。それだけでも得がたい書であると思っている。

これらは「物理学者がいた街」というシリーズについての感想である。いままでのところこのシリーズは4まででているが、私はようやくシリーズの3まで購入したところである。後もう一つ4を購入したいと思っているが、これは来月以降となる。

私は気に入っている人の著書をできるだけ持つようにしている。先日は西條敏美さんの著書を2冊購入して、彼の書いた本はほぼ全部手に入れたと思う。多くの著書を西條さんから頂いていたので、これくらいは購入したいと思って「単位の成り立ち」「虹」の2冊を購入した。

まだ、私の購入したいと思っている、本に山本義隆氏の「十六世紀科文化革命」がある。しかし、本を購入することを妻が好まないので、一挙には購入できない。少しづつ購入するしかない。これらの本を買ったといっても本当のことを言えば、生きている間に読むことができるかどうかはわからない。

しかし、大抵は積読のようだが、なんでも時がたつとその書が必要になることがあるものである。そういう書にランダウ=リフシッツの量子力学がある。

大体、ランダウの書は私には難しすぎるので、読まないのだが、エアリ関数についてこれを読みたいと思うようになった。これは直接には西條さんの書いた「虹」のできる理由からではなく、量子力学のWKB近似からの要請である。

だが、そのエアリ関数が実は西條さんによれば、虹のできる理論と関係があり、そこでAiryによって調べられたのが、このエアリ関数である。ということでますますエアリ関数について調べる動機ができたわけである。

ランダウ=リフシッツの「量子力学」の日本語の訳書を私はもっていないが、学生のころに購入していた原書が役に立ちそうである。もちろん、原語のロシア語を私は解さないが、数式は万国共通の言語である。また、それに英語への訳書ももっている。それらを駆使してなんとかエアリ関数について知りたい。