17年前に亡くなった長兄の住んでいた家を取り壊すというので、次兄から土曜日に電話があって、長兄のもっていた本を今治に見に帰った。
長兄は長年中学校の理科の教師をしていたので、専門書は多くないが、中学校の理科を教えるのに必要と思われる、数学とか理科の書とか彼が生前に読んだ小説とかがかなりの数あった。
そのうちの数十冊は昨日持って帰ったが、彼の蔵書の全体はそんなに簡単に片付くような冊数ではない。彼が生前研究をしようと思っていた、宮沢賢治の全集もあったが、昨日はそれにはまったく手をつけなかった。
岩波の岩波ジュニアー新書は彼の生前に出版されたものは多分全冊そろっているのであろうと思われた。河出書房新社から出された現代科学シリーズの新書はそのうちの1冊だか彼が誰かに貸して帰って来なかった本をまた買い揃えていたらしく、50数冊がそろっていた。
また、いつか私が古書で購入を検討したことのある、ガモフの全集もそろっていたので、これは持ち帰った。
いつかこのブログでも触れたが、個人の集めた蔵書はその方が生きている限りは有用な資料である。だが、本人が亡くなるとこれは多分に処分の対象になる。これは私の蔵書も同じ運命であろう。かなりの経費を投じて、集めた武谷三男の著作も多分に私の子どもには猫に小判で困ったゴミとなる。
だから、そういうことのないように散逸しないような措置を講じておきたいが、どうしたらいいものかその対策はわからない。というのは県とか市の公共図書館もはたまた私が足かけ37年にわたって勤めた、愛媛大学でもその図書館の書庫が狭くて、どんどん蔵書を処分しているくらいだからである。
もちろん、個人で保管しておくことなどなかなか財政的にも、またその保管場所の問題にしてもままならない。私が著書を収集している、武谷三男にしても彼の死後その蔵書の一部が古本屋に流出したと見えて、東京神田の理工学古書店として有名な明倫館で武谷の署名の入った、古本を見つけて購入したことがある。
それからこれはどこで購入したのかは覚えていないが、ある武谷の初期の著作を古書で購入したときに、これは武谷が都留重人さんに寄贈した本であったが、多分都留さんがやはり書籍の置くスペースに困り、処分したものの一部らしかった。
話は飛ぶが、鶴見俊輔さんがどこかで書いていたことだが、都留さんは叙勲をなんとかして、うまく辞退をしたらしい。彼は自分が望めば勲章などは簡単に手を入れられただろうに。世の中にはそういう人もいるのだと知った。
いや別に勲章をもらうことを否定しているのではない。大抵の人はそんなに抵抗感を感じることなしに勲章をもらうのであろう。