何かと尋ねたら、年周視差であると答えることができる人は中学校や高校の理科の先生や一部の研究者を除いてあまりいないだろうか。
このようにここに書いている私も何十年か昔にNHKの教育放送(いまのEテレ)で地球物理学者の竹内均先生が地学の講義で説明をしているのを見て初めて知った。年周視差の話は私の学んだ理学部の物理学科の講義には出てこなかったと思う。
一方、地球自転の実験的な証拠はいうまでもなく、フーコー振子の実験であり、フーコー振子の振動面が時間とともに変わることから地球の自転していることが実験室で示された。私の知っているところではフーコー振子は上野の科学博物館で実際に動いている。
E大学の教育学部にも私が勤め始めた50年くらい前にはフーコーの振子が動いていたが、いまではもう動いてはいない。数年前に妻と長崎を訪れたときに、日本一のフーコー振子があるという、お寺を訪ねて実際に見せてもらったが、フーコー振子は訪問者がないともう動かしていなかった。費用もかかるので。
そして、もちろん観覧料が500円だかいくらか忘れたが、とられた。この寺の島津製作所が製作したフーコーの振子はそしてもう日本一ではなくなったとそのときに聞いた。そのお寺は大仏像があり、その中にフーコー振子が収められていた。ということをいつかこのブログで書いたことがある。
こんなことを書いたのは最近、県立図書館で借りてきた、科学史の読み物にフーコーのことが書いてあったからである。フーコーは正規の教育を受けたことがない人ではあったが、三角関数の知識をもった人であり、それがフーコー振子の実験に役立ったらしい。
東京大学の医学部を出て、帝京大学の医学部の教授となった人がこの科学史の本を書いていて、他の記述でも2,3のことを初めて知ったし、科学者の人柄も大分詳しく書かれていた。それによるとガリレイにしてもニュートンにしても人柄というか性格はかなり付き合いにくい人柄であったらしい。
ガリレイは望遠鏡でいろいろの天体を見てそのことで地動説を支持していたことで、そのことでパドヴァ大学の終身教授の地位を手に入れたらしい。また、物体の自然落下の法則は若いときの彼の業績だが、それを世間に知らしめた「科学対話」はごく晩年の書であるという。