よく入力ミスをする。それも一年も経って気づくということだから、度し難い。もちろん気づいたら、修正をしておく。
つい最近のミスは地球公転の観測的根拠としての「年周視差」の字をまちがえて入力していた。もちろん後ろの方ではきちんと正しく入力されていたから、単なる入力ミスであることはブログを読まれた方にはわかるのだろうが、とても恥ずかしい。
原稿を書いた後で、いつも見直しをするのであるが、それでも入力ミスとか書き間違いはなくならない。これはブログではなく、他のところに発表するエッセイを書くときにもまちがいをよく起こす。
入力ミスではないが、毛沢東は自分の論文を手直しをして著作選集に収録していたとかどこかで昔読んだことがある。それはそれでいいとは思うが、記録としてはちょっと困るのではなかろうか。
物理学者の朝永振一郎さんはかつて学術雑誌に発表した論文をご自分の論文集に収録したときに全部手を入れて修正をされたとかである。このことはどこかに物理学者の亀渕進さんが書かれていた。
だから、彼の主張としてはより首尾一貫したであろうが、記録としてはすこし変わってきたのは残念でもある。そういう風に完璧主義の方もいれば、文献の記録としての重要性を重視して、そのままで著作集に残す人もある。そうすると、一時的なそのときの勢いが色濃く残ることにはなるが、それを後世にとやかく言われることにもなる。
前にも書いたかもしれないが、武谷三男の戦後の論説とかはそれで現代の評論家や学者たちにいろいろ言われる原因となる。それでもそのまま残してあるというので、ある意味でその人の節操がわかるということでもある。
「お前はどうか」と問われれば、私はどちらかといえば、朝永タイプであり、修正をしたいと思う方である。もっとも私の書くことには別に思想の節操を問われるような内容はないので、いつでもよりいい表現にすることを優先している。
つい最近のミスは地球公転の観測的根拠としての「年周視差」の字をまちがえて入力していた。もちろん後ろの方ではきちんと正しく入力されていたから、単なる入力ミスであることはブログを読まれた方にはわかるのだろうが、とても恥ずかしい。
原稿を書いた後で、いつも見直しをするのであるが、それでも入力ミスとか書き間違いはなくならない。これはブログではなく、他のところに発表するエッセイを書くときにもまちがいをよく起こす。
入力ミスではないが、毛沢東は自分の論文を手直しをして著作選集に収録していたとかどこかで昔読んだことがある。それはそれでいいとは思うが、記録としてはちょっと困るのではなかろうか。
物理学者の朝永振一郎さんはかつて学術雑誌に発表した論文をご自分の論文集に収録したときに全部手を入れて修正をされたとかである。このことはどこかに物理学者の亀渕進さんが書かれていた。
だから、彼の主張としてはより首尾一貫したであろうが、記録としてはすこし変わってきたのは残念でもある。そういう風に完璧主義の方もいれば、文献の記録としての重要性を重視して、そのままで著作集に残す人もある。そうすると、一時的なそのときの勢いが色濃く残ることにはなるが、それを後世にとやかく言われることにもなる。
前にも書いたかもしれないが、武谷三男の戦後の論説とかはそれで現代の評論家や学者たちにいろいろ言われる原因となる。それでもそのまま残してあるというので、ある意味でその人の節操がわかるということでもある。
「お前はどうか」と問われれば、私はどちらかといえば、朝永タイプであり、修正をしたいと思う方である。もっとも私の書くことには別に思想の節操を問われるような内容はないので、いつでもよりいい表現にすることを優先している。