を関係している、人たちで密かに行った。これはごく親しくしていた人たちで行ったのだが、それでもこのためにワークショップを開いてくださった T 教授には感謝の意を表明したい。
もともと N さんは自分の病気のことを秘密にしておきたいと思っていたらしく、そのいきさつを知っていた人は少ないらしかった。これは N さんが秘密主義に徹していたのどうかはしらない。また、秘密主義に徹する理由もわからない。
それはそれで一つの生き方だと思うので、とやかくいう気もしない。私自身も昨夏の安保法制の反対の集会とデモで出会ったのが最後であった。そのときに顔を見たけれども特に言葉をかわすこともなかった。
というのは彼は私とはもう別の世界の住人になったという気がしたからである。私は平凡な一研究者であり、彼はもう功成り名遂げた学者だという雰囲気をもっていたからである。
それは昔の野党的な雰囲気をもった N さんではなかったと思う。本人は私からなにか言葉がほしかったのかもしれないが、私からは何か言葉をかける気がしない雰囲気があった。それは私の単なる思い過ごしかも知れないが、そういう思いをさせる何かがあったと思う。
それは本当のところは私の思い過ごしであったかもしれないが、彼とはかなり深いところで付き合って来たので、その最後の出会いの時点では少なくともわだかまりなく口をきくという感じはまったく持てなかった。
人はその人の生きざまを見ている。だから、元の昔に返えろといわれてももう帰ることはできない。
これは私の感慨であって、彼の門下生だとか他の人には通じない気持ちであろう。ワークショップでの彼の門下生からは特に彼に批判的な話は出なかった。門下生であるから批判的な話をしないのは当然であろうが、本当のところはどうなんだろうと思ったが、どうも本音のところでも批判的な気持ちはなかったようである。
先生としてはそうなんだろうが、一人の研究者としてみた場合には果たしてどうなんだろうかというのが私の正直な気持ちである。権威におもねらないという風にいいながら、結構権威におもねっていたのではないかという印象を私自身の見聞きした経験としてもっている。
具体的に言えば、「学位をとればその先生から積極的にはなれろ」と言うのが彼の主張であったが、私には全くそうは思えなかった。そして、そのことをまったく自分でも意識していないとは何事かという批判的な気持ちを抱く。ただ、いきさつを知らないで、そのような彼の言説を聞いた人からはなんてすばらしい人なんだろうという賛美の声を聞いたことがある。ただ言うことと自分のしたこととはまったく違うのではないかという印象をもっていた。
もともと N さんは自分の病気のことを秘密にしておきたいと思っていたらしく、そのいきさつを知っていた人は少ないらしかった。これは N さんが秘密主義に徹していたのどうかはしらない。また、秘密主義に徹する理由もわからない。
それはそれで一つの生き方だと思うので、とやかくいう気もしない。私自身も昨夏の安保法制の反対の集会とデモで出会ったのが最後であった。そのときに顔を見たけれども特に言葉をかわすこともなかった。
というのは彼は私とはもう別の世界の住人になったという気がしたからである。私は平凡な一研究者であり、彼はもう功成り名遂げた学者だという雰囲気をもっていたからである。
それは昔の野党的な雰囲気をもった N さんではなかったと思う。本人は私からなにか言葉がほしかったのかもしれないが、私からは何か言葉をかける気がしない雰囲気があった。それは私の単なる思い過ごしかも知れないが、そういう思いをさせる何かがあったと思う。
それは本当のところは私の思い過ごしであったかもしれないが、彼とはかなり深いところで付き合って来たので、その最後の出会いの時点では少なくともわだかまりなく口をきくという感じはまったく持てなかった。
人はその人の生きざまを見ている。だから、元の昔に返えろといわれてももう帰ることはできない。
これは私の感慨であって、彼の門下生だとか他の人には通じない気持ちであろう。ワークショップでの彼の門下生からは特に彼に批判的な話は出なかった。門下生であるから批判的な話をしないのは当然であろうが、本当のところはどうなんだろうと思ったが、どうも本音のところでも批判的な気持ちはなかったようである。
先生としてはそうなんだろうが、一人の研究者としてみた場合には果たしてどうなんだろうかというのが私の正直な気持ちである。権威におもねらないという風にいいながら、結構権威におもねっていたのではないかという印象を私自身の見聞きした経験としてもっている。
具体的に言えば、「学位をとればその先生から積極的にはなれろ」と言うのが彼の主張であったが、私には全くそうは思えなかった。そして、そのことをまったく自分でも意識していないとは何事かという批判的な気持ちを抱く。ただ、いきさつを知らないで、そのような彼の言説を聞いた人からはなんてすばらしい人なんだろうという賛美の声を聞いたことがある。ただ言うことと自分のしたこととはまったく違うのではないかという印象をもっていた。