昨日はよく晴れた暖かい日であったので、土曜なら仕事場に来るのだが、それを止めて洗濯物を干したり、布団を日の光にあてる少ない機会だとおもったので、自宅で過ごした。
冬の日だからそれほど布団はほかほかにはならなかったが、それでも冷たかった布団が少しはふかふかしていた。
今日は雨が降り、風も強いから、急遽、土日の入れ替えをしたのはあたっていた。もっとも日曜日は新聞に書評が出ており、それを逐一読むことにしているので、仕事場に出てくるのは午後になってからであった。
松山にいなかった時に来ていた新聞を読むのがようやく終わりそうになった。一日に2,3日分くらいしか読めないので、なかなか10日ほど留守にするとそれを挽回するのがつらい。
AIについてたくさんのデータさえあれば、機械学習で解決法(深層学習deep learning)が得られるというが、人間がどうやってその解決方法が得られたのか理解することができないという。(朝日新聞Globe 2017.1.8付け)
私はそのような理解には武谷の三段階論の実体的段階の認識が役立つのではないかとこのブログですでに以前から指摘している。もちろん、これは物によるので、判で押したようにいつでもAIの手法の理解をできるとは言えないが、それにしても大いに三段階論の考えが手助けになるのではないかと考えている。
もっともコンピュータの中ではそのような段階を踏まないのでそこをどのように考えるのかという問題が新たに生じることになる。認識はコンピュータの中のAI認識では現象論から本質論へと直接行くみたいなことが起こるということになる。