物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

松田道雄、再び

2017-01-20 12:42:08 | 日記

昨年の12月に初孫が生まれてその子育てをどうするかということにそのママが一生懸命である。

それで松田道雄の岩波新書である、『私は赤ちゃん』『私は二歳』を探しているという。それを聞いたパパがそれなら、お父さん(私のこと)がもっていたはずだと言い出した。

それにママは松田道雄編の『育児の百科』も探しているという。これは初版本なら私も持っている。ということでこの3冊を急きょ東京に住むママのところへ送った(注)。

それだけではなく、松田道雄が書いた他の10冊の岩波新書もとり出してきた。しばらくぶりの再会である。ずっと以前にこのブログでも松田道雄のことを書いたが、彼は本来は小児科の医者であるが、思想家といってもよい。

子育てのときの参考になろうか。こういうゆったりした人は最近少なくなった。私は武谷三男のような鋭い戦闘的な思考も好きだし、遠山啓のような徹底した思考も好きだが、一方で松田道雄のようなちょっと生ぬるいとも思われる暖かさややさしさも好きである。

本来、私はあまり誰かと論争するのを好まないが、それでも仕方なく論争に加わることもある。もっとも数年前にあったような数のかけ算の順序は交換可能なので、それを小学校で教えないのはいけないといった不毛の論争には加わりたくなかった。

数のかけ算の交換可能性は数のレベルであれば、当然であって、その意味するところがわからない。マトリックスやベクトルのベクトル積が出て来て、積の交換が可能でないということを知ってようやく数で積の順序が交換可能であるのが特殊な公理みたいなものであったことがわかる。

だから、足し算、かけ算でその順序が交換可能だといわれてもなんでわざわざことさらにそんなことをいわなくてはならないのかと高校で数学の時間に交換則、結合則、分配則を学んだときに疑問に思ったことを覚えている。

もちろんそんないじわるな質問は先生にはしなかったけれども。

折角の機会だから、、『私は赤ちゃん』、『私は二歳』以外の松田道雄著の岩波新書をあげておこう。

1. 結核をなくすために (1950)

2. 療養の設計 (1955)

3. 母親のための人生論 (1964) 

4. 私の幼児教育論 (1965)

5. おやじ対こども (1966)

6. 私の読んだ本 (1971)

7. 自由を子どもに (1973)

8. 花洛 (1975)

9. 女と自由と愛 (1979)

10. 私は女性にしか期待しない (1990)

 松田道雄著作集というふうな書籍もどこかの出版社から出ていると思うが、それらはもっていない。

(注)『育児の百科』はその後の医学の進歩を考慮して修正が加えられて定本『育児の百科』となっているのだが、こちらの方は残念ながらもっていない。もっともその定本だってあれからかなり年月がたったから、改訂を必要とされているだろう。だが、松田道雄のあのゆったりした自由な気持ちは古い本でも味わうことができるだろう。結局、私の記憶に残っていた彼の気質とか気持ちはそこだけだった。