物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

スミルノフ『高等数学教程』

2019-02-19 11:27:32 | 日記

スミルノフ『高等数学教程』II巻(共立出版)は1959年の発行であるから、私が大学生のころにはもう発行されていた数学コースである(注)。

だが、これまでこれをほんのごく一部を除いて読んだことがなかった。これからもあまり読むことはないだろう。だが、ときどきは参照してみたい叢書である。

ガウスの定理とストークスの定理とかがどこで扱われているかであるが、私などはベクトル解析においてであると思っていた。

ところが、上記のスミルノフ『高等数学教程』ではII巻の第二分冊にベクトル解析が取り扱われているが、ガウスの定理とストークスの定理等はベクトル解析のところではなく、その前のI巻の重積分の章に取り扱われていることを最近知った。

まだ、このところを読んでいないので、その記述がどうであるのかはわからないが、ちょっとあまり説明がよさそうだとは思えない。

ベクトル代数のところは結構興味深く書かれていることを最近知ったので、これらの定理についてもその記述がすぐれたものであることを期待していたのにである。

先日述べたラングの『続解析入門』(岩波書店)でも多変数の解析で、これらの定理の説明がある。必ずしもベクトル解析とは関係がない。

しかし、高木貞治『解析概論』(岩波書店)にはいちおうベクトル記法との関連でこれらの定理は書かれている。

これは、しかし、Croweの”A History of Vector Analysis" (Dover)にも書かれていたことではあった。

(注)約40数年前にドイツのマインツ大学でルームメイトだった、韓国人の物理学者のK. J. Kimさんの書棚にはこのスミルノフ『高等数学教程』の全巻が鎮座ましましていた。それももちろんのことだが、日本語の本であった。彼は日本語は話せなかったが、日本語のこの数学のシリーズはもっており、学生の時に読んだことがあるということだった。

韓国人は日本語の本を読むことはやさしいという。語順はハングルと日本語とは全く同じなので。

残念ながら外国語音痴の私はハングルを勉強しようと思ったことがない。どうもあのハングル文字が私に敷居を高く感じさせて、ハングルの学習の邪魔をしている。あれはとても合理的にできているとは聞いているが。

私のブログをときどき訪れてくれる、Sさんはこのハングルができるので、尊敬の念をもっている。


ベクトル解析の学習

2019-02-18 10:52:28 | 日記

「ベクトル解析の学習」の目的のいちばん重要な動機は電磁気学のMaxwellの方程式の導出であろう。

これらの方程式をベクトルで表すときには、ガウスの定理とストークスの定理を使うからである。もっともこれらは導出はそんなにやさしくはない。

砂川重信『理論電磁気学』(紀伊之国屋)は電磁気学の書の典型であろうと思って、昨日の日曜日にこの書の第1章と付録1のベクトル解析のところを細かなところを除いて読んでみた。

ベクトル解析の部分は伝統的な解説であり、新しみがあるものではなかったが、悠揚迫らずそれなりに感銘を受けた。ただ、現在になってみれば、もっとわかりやすい書き方はすくなくともベクトル代数に関してはあるだろう。

私にしてもベクトル代数はもっとわかりやすいものを提供できている自信はある(注)。

(注)私のエッセイ「数学・物理通信」4巻1号(2014)9-16の「ベクトル代数再考」を参照されたい。いつもここで述べているように、インターネットで「数学・物理通信」で検索すれば、名古屋大学の谷村先生のサイトにすぐに行きつく。ここに「数学・物理通信」のすべてのバックナンバーがある。

また、同じ「数学・物理通信」1巻2号12-20 の「Levi-Civitaの記号でベクトル解析の初歩を」も参考されたい。

または『物理数学散歩』(国土社)の「テンソル解析学習の問題点」72-90も参考になろう。これのインターネット版も「物理のかきしっぽ」に出ている。

もっとも『物理数学散歩』(国土社)は図書館にあまりないので、ご迷惑をかけている。運がよければ、google booksで『物理数学散歩』の前著である、『数学散歩』(国土社)に同じタイトルのエッセイを読むことができるかもしれない。


Gaussの定理、Stokesの定理

2019-02-16 11:58:43 | 日記

Gaussの定理、Stokesの定理等の導出に関心をもっていると最近のブログで何回か書いてきた。

これらの定理の意義はすこしづつわかってきた。それはGaussの定理の場合ならば、体積積分を面積分に書き換えたり、その逆に面積分を体積積分にすることである。また、Stokesの定理の場合ならば、面積分を線積分に置き換えたり、その逆をすることである(注)。

歴史的にそのような事実に、誰がどうやって気がついたのかはまだわからない。しかし、そういう機能をもった定理であることだけはおぼろげながら、分かってきた。もちろん、これはKreyszigの『線形代数とベクトル解析』(培風館)に書かれている。

どこで読んだのかは覚えていないが、ベクトル解析のもともとのルーツはGaussの曲線と曲面の数学にあるとかも知った。それでか、どうかは知らないが、Kreyszigの書には曲面についてのサブセクションがある。もっともKreyszigの『線形代数とベクトル解析』には、どうしてこのことの説明があるのかはあまりはっきりとは書かれていないのだが。

戸田盛和『ベクトル解析』(岩波書店)にも曲面についての一章があり、そういういきさつを知らなかった私はなんでそういう章があるのだろうかと思い、面倒で余計なことだという感想しかもたなかった。

戸田先生がそういうことをよくご存じだったのかどうか。少なくとも参考文献にKreyszigの上書をあげておられるから、そういうことをご存じだったのであろう。

武藤義夫『ベクトル解析』(裳華房)を読んでみると、どうもその証明は微分形式でのGaussの定理、Stokesの定理へとつながって行きそうに感じた。少なくとも表向きはそういう風な言及はまったくないのだが、そういう雰囲気がなんとはなく感じられる。

ちなみに、戸田先生の『ベクトル解析』には、この武藤著の『ベクトル解析』が参考文献の最初にあげられている。

(注)この書き換えが何か利点があるか。

面積分よりも体積積分のほうがひょっとしてやさしかったり、逆に体積積分よりも面積分のほうがやさしかったりすることがあれば、随時に書き換えができれば、その利点がありうる。ここまではっきりとはKreyszigの書には書かれていなかったかもしれないが、そういう可能性があるということだろう。


HermitianかHermiteanか

2019-02-15 12:50:27 | 物理学

私はHermiteanだと思ってきたが、どうも最近ではHermitianのほうが普通に使われていると知った。

何のことだと思うだろう。エルミート演算子の英語である。てっきりHermitean operatorと書くと思っていたから。

あわてて、Schiffの量子力学の本をみたら、Hermitianとなっていた。もっともBohmの量子論の本ではHermiteanとあったので、両方とも存在するとわかったが、最近では岩波の『数学入門辞典』でもHermitianとなっていたから、現在ではHermitianで、決まりであろう。

Hermitean operatorの発音であるが、私はエルミチアン・オペレーターと発音してきたが、英語の得意な上智大学名誉教授の物理学者、藤井先生はハーミチアン・オペレーターと発音されていたから、英語の普通の発音ではそういうのであろう。

ちなみに「エルミート演算子とはその期待値をとると、それが実数となる演算子」のことである。演算子にある種の数と同じような性質をもたせた考えである。もっとも普通の量子力学ではこの定義を拡張したエルミート演算子の定義が使われているのが普通である。そのためにエルミート演算子の理解が難しくなっている。

いつだったか、非線形波動の研究で有名だった広田良吾先生のE大学の工学部の集中講義に出席していて、「それはエルミート演算子ですか」と質問したら、逆に「エルミート演算子とはなんですか」と聞かれて、私のほうが絶句したことがあった。

さすが、偉い先生はそういう初歩的な問を怖がらないのだと知った。しかし、これは広田先生くらいに偉い先生にだけ許された特権なのかもしれない。


post truth

2019-02-15 11:59:36 | 日記

ポスト・トュルス(post truth)とは真実ではない、自分の信条とか信じたいことを第一とすることだという。現在がそういう時代に突入しているのだという。

嫌な時代だが、アメリカ大統領トランプの言説を見ているとそういう時代に私たちが否応なしに生きていることを痛感させられる。

あまりよくわからない言葉にポスト・モダンという語があって、私の知っている人では数学者の森毅さんの本にはポスト・モダンという語があふれていたが、これがどういう意味かはいまでもわからない。

いまなら、ちょっとインターネット検索してみたら、すぐにわかることでもあろうか。ただ、インターネットの知識ももうちょっと深く知ろうとすれば、たいていいきづまる。

そういってはいけないかもしれないが、通りいっぺんの知識を求めるには苦労しないが、やはりもっと突っ込んだ考えは、なかなかインターネットで得られるというわけではない。

たとえばの話しだが、ガウスの定理だとか、ストークスの定理だとかの発見法的な証明を知りたいと思ってもそういうものは簡単にはみつけられない。

確かに現在では微分形式で書かれた、これらの定理の証明もちゃんと見ることができるだろう。それはそうなのだが、もう一方でものたらないことも多い。


フーリエ変換とデルタ関数

2019-02-14 16:54:10 | 日記

直交関数系の完備性の問題は正規直交化の問題とともに重要なことであるが、なかなかわかりずらい。

小川さんの量子力学の講義ノートの編纂で、脚注になっているところがきちんと導出できなくて、ここの1週間ほど作業が滞っていたが、なんとか解決をみたようだ。

「なんと頭の巡りのわるいことよ」とひとりでぼやいている。いまはマトリックス力学のところの編集であり、この部分の修正と点検が終われば、つぎに図の入力にとりかかれるはずだが、なかなかそこまでいかない。

いまとりかかっているところはマトリックス力学のなかでも、変換論という箇所である。第2部はこのマトリックス力学が終われば一応3つの章の修正と点検がおわる。


MRIと閉所恐怖症

2019-02-14 12:12:45 | 物理学

優れた医学診療技術手段として、MRIが使われるようになってひさしい。ところが体内に金属を埋め込まれている人だけではなく、MRIにとっての障害となるのが、閉所恐怖症である。

実は、何を隠そう私自身が閉所恐怖症の持ち主である。それでもMRIの検査を受ける機会はいままでに1回しかなかった。ところが最近MRIの検査を受けなけらばならない事態となった。

さあ大変である。いまのところ鎮静剤を飲むことでこの閉所恐怖症をなんとかやり過ごしたいと思っている。

MRI検査に必要な時間は20分から30分といわれており、5分などという短時間ではない。それがいまのところの問題点でもあろうか。

話は突然かわる。私の学生時代だから、50年以上も前のことになるが、物理の学生実験で、核四重極共鳴の実験をパートナーのU君と組んでした。3か月くらい、ある研究室にはいり、その実験室で装置の回路(電磁波の発振回路?)を組んで、実験をした。

いわゆる核磁気共鳴(NMR)の実験ほど強い磁場を使うことはなかったが、それでも弱い磁場は使ったのではないかと思う。

なかなか核四重極共鳴が起こらず、苦労した。電磁場の周波数を細かく変えていき、共鳴の周波数にうまくいきあたると共鳴が起こる。それをオッシロスコープ上で観測して、その写真を実験の証拠として、先生に提出するのである。それで細かくダイアルをゆっくりとまわして、電磁波の周波数を変えていくだが、本当に微妙である。何日も何日も同じような作業であった。

当時、指導をしてくださった先生ももう90歳近くになっておられる。「物理実験は実験器具をなでたり、さすったりしないとうまくできないよ」とそのころに教えられた。

いつものように話が「MRIと閉所恐怖症」から、とんだ方向に外れてしまった。


池江りか子の文書

2019-02-14 11:47:33 | 日記

水泳の池江りか子選手が白血病だという発表をしたので、マスコミで報道がされている。

それに対するある大臣の反応などはいただけないが、それとは別のことである。

昨日、その発表に対して、多くの人々の反応や励ましについての、りか子選手のマスコミでの発表である。この文章が実に立派なもので、これは18歳の女性が書いたものにしては要点をついているし、こんな文章がすぐにかけるものなら、すばらしいと思う。

もちろん、池江選手ともなれば、それをマスコミに発表する文書は誰かがちゃんとチェックして修正をしているのであろう。それは弁護士さんであるのか、水泳連盟のマスコミ担当者であるのかはわからない。

だが、きちんと励ましや献血を申し出たりした方とか、現に白血病を患っている人に対する視点もしっかり述べている。

もちろん、言いたいことの要点は箇条書きかなにかで池江さん本人が示しているのではあろうが、それにしても簡潔でありながら、舌足らずではない見事な文章である。

マスコミではそんなことは当然としているが、感心したのでここに書かせてもらった。実は私のブログにしても気がついたら、毎回すこしづつ修正をしているので、なかなか達意の文章とはならないのが実情である。


超能力は信じられるか

2019-02-13 13:51:04 | 日記

というタイトルの記事が『物理なぜなぜ事典」I (日本評論社)に出ている。この書は江沢洋先生と東京物理サークル編著となっている。

その論旨に誤りはないのだが、もう少しその主張が弱いのではないかという気がしている。もっとも私はこの事典が改訂される前の版しかもっていないので、ひょっとしたら、すでに書き換えられているかもしれない。

手品とか超能力とかいうものはたいてい社会の生産現場に立って、考えると生産現場には役立たないものだということができる。そういう主張をきちんとしているのは物理学者だった武谷三男の絶版となった、岩波新書『物理学入門』下の第1章か、第2章に出てくる(注)。私は武谷の『物理学入門』を最後まで通読はできていないが、そこだけはきちんと読み取っている。

この『物理なぜなぜ事典』の編者の東京物理サークルの代表者である、上條隆志さんがちくま文庫版『物理学入門』の解説を書かれたときにもこの点をふれてはいなかったので、アマゾンの書評か何かでそのことを指摘しておいた。

その個所は、武谷が大坂の中之島の公園での手品を見て、感じたことを述べたものである。弁当箱の中に卵を入れて風呂敷か何かをかけてそれを取れば、卵が消えるとか、その逆の手品をしていた。

これは手品であるから、べつに非難することではないが、もし空の弁当箱の上に風呂敷をかけて、それをとると卵が出てくるというときに、それを卵を生産するという現場として考えると、そうやって卵を生産して市場に売って儲けることなどできない。

要するに、実際に卵を生産するという立場からは役には立たないのである。

大体、超能力を生かして生産現場の機械を動かして、石油とか電力とかを節約できて、エネルギーを得するなどという話は全く出てこないのであって、そういう実際的に役立つならば、それは物質的な基盤があるはずだ。

だが、この『物理なぜなぜ事典』の論点はそこまでふれてほしいものであるが、そこまで至っていなかった。残念である。もっともそういう話までしている物理学者は武谷三男以外の書では私は見たことがない。

ちくま文庫版の武谷の『物理学入門』の解説を書いた、上條隆志さんにはそこまで突っ込んだ指摘がほしかった。

(注)しかし、『物理学入門』(季節社)は絶版にはなっていないはずである。

『フーリエの冒険』も

2019-02-13 12:41:16 | 数学

『フーリエの冒険』(ヒッポファミリークラブ)も読んでみたいと思っている。なかなか気の多いことである。

ベクトル解析のグリーンの定理、ガウスの定理、ストークスの定理がまだ片がついていないのに次から次へと課題が起きる。

それが関数の完備性とか正規直交系とかである。関数の規格化と私はいってきたが、正規化というのが標準的な用語となっているらしいので、規格化を正規化と言い換えている。『フーリエの冒険』にはFFT(Fast Fourier Transformation)とかの話題も入っていたと思う。

フーリエ変換の複素数の形式も出ていただろうか。これを見るには他の部屋においてある、その本をとって来て、見るだけでいい。もちろん『フーリエの冒険』のほうが『量子力学の冒険』よりもまえに出版されたのであるが、こちらのほうはあまり関心をもたなかった。

だが、フーリエ解析が問題になってきたので、関心が生じたというわけである。昨日もっているフーリエ解析の本をちらっと見たのだが、どのフーリエ解析もやはりなかなか手を尽くしたという感じではない。そこがちょっと現在存在するフーリエ解析にちょっとたりないところがあると感じさせられる理由である。

『フーリエの冒険』をもっと直截に、書き換えることに関心があり、また私からみて、もっと必要と思われることを追加した本をつくりたい。

 

 


また、つまづいている

2019-02-12 22:00:04 | 数学

これはフーリエ変換のことである。フーリエ級数からフーリエ変換にするときのことであるが、むかしきちんと考えたつもりだったが、それがちょっとあやしくなってきた。

それで、そのことを確実に理解をしておこうとしているが、まだすっきりとはしていない。だれでもどこかでいつかはしっかりと理解しておかなくてはいけないことである。

いちおう、フーリエ級数からフーリエ変換へは前にきちんとまとめたはずであるので、そのまとめを見直している。今度は新しく、これとデルタ関数とがかかわってくるところで悩んでいる。

数冊の本を読んでみたが、このことをきちんと書いたものにはいまのところであっていない。細かなことなので、それぞれ各自がしっかりとすべきことなのであろうか。

それこそヒッポファミリクラブの『フーリエの冒険』ではどのように書いてあるのだろうか。


ラング『続解析入門』

2019-02-12 09:50:45 | 日記

ラング『続解析入門』(岩波書店)をのぞいてみたら、この書は「多変数の解析」(原著名:Calculus of Several Variables)を標ぼうしているだけに、ガウスの定理もストークスの定理もグリーンの定理も説明があった。

もっとも発見法的証明ではなさそうである。ラングはフランス出身のアメリカ人の数学者であるが、『解析入門』では三角関数の半角の公式の導出が私の知っているのと同じだと思われるので、感心したことがある。もっともその半角の公式の導出の説明はあまり親切ではなく、知っている人にしかわからないのではないかとは思ったのだが。

だから、ラングの数学の記述とか説明には期待がもたれるのだが、なかなかこれらの定理の導出とか証明は発見法的なものはなかなか見つけられない。いや、これは私の本の読み方の問題でもある。

多くの数学者がガウスの定理もストークスの定理の異なった証明をされているので、多くの数学書を拾い読みしてはその説明を比較することをしてみたい。そして、どれがわかりやすいのか。できるだけわかりやすい証明をとりたい。

そんなことに関心がある。

 


『量子力学の冒険』3

2019-02-11 12:15:57 | 物理学

『量子力学の冒険』のつづきを、さらに昨日の日曜日に読んだ。これは4章と5章である。第4章はde Broglieの電子の波動性の仮説からSchr"odingerの波動方程式である。それから第5章は波動方程式とマトリックス力学の等価性である。

さらに、第6章のBornの確率解釈のところまで読んだ。これで、この書をほとんど読んだことになる。

特に力が入っていると感じたのは、波動方程式とマトリックス力学の数学的な同等性を示すところである。こんなに詳しく同等性を示してある本ははじめてである。その同等性はもちろん知っていたのだが。

まだ完全に読み終わっているわけではないが、実質的にはほとんど読み終わったと言ってもいいだろう。この本をもっと簡略にした本を書くことができればいいのだが。

私自身は結構、外国語にも関心があるので、それについてのこの本の中の外国語についての言及は楽しませてもらったが、そういうリマークが嫌いな人もいるだろうし、そういうちょっと、量子力学の本筋からはずれた、気を散らされるようなことがないほうがいいのではないか。 

そういう判断をしている。量子力学は量子力学で閉じているほうが望ましい。

私などは学生のときに、1年半にわたって量子力学の講義を聞き、また4年生になって、セミナーで1年間、量子力学の本を読み、またさらに教師として30年以上にわたって、量子力学について教えてきた。

しかし、『量子力学の冒険』を書いた人たちは長い人でも7年間、短い人では1年間の学習である。もっともそれが30人以上の人々の経験を結集して、この本を書いた。

一人の人(たとえば私)の長期間の経験と、短い期間だが、多数の人の経験とがある意味では等価だという感じをもつ。一人の人間なら、長い期間かかる認識が多数の人だと比較的短期間に経験できると思う(注)。

それに、量子力学について、わかったところだけでも、自分がある種の発表として人前で話すことは貴重な経験であろう。

『量子力学の冒険』(ヒッポファミリクラブ)はそういう意味で世界的にもあまりない、貴重な本といえるだろう。もっともそれを読みこなせる人は私のような専門家を除いてどれくらいいるのだろうか。

ある意味では、私などはこの分野の専門家であるが、それでも読んで得るところがある。すくなくとも量子力学の面白さをもう一度、新たに体験させてもらった。

生きているうちに一度は量子力学のテクストを書きたいと思っているが、その希望が叶うのかどうかは私自身にもわからない。

この本には書かれていないが、量子力学で重要なことの一つにスピン角運動量まで含めた「角運動量」がある。これはある程度専門家にならないと、重要性が理解できないことであろう。

(注)統計力学で「相平均」が「時間平均」と同等だとみなすという話があるが、これに似ている。『量子力学の冒険』を書いた人たちが相平均であり、私が時間平均にあたる。


『量子力学の冒険』2

2019-02-09 11:19:26 | 物理学

昨夜、自宅に帰ってから、第3話「W. Heisenberg」のところを読んだ。第2話から続いて読んだせいか、以前にこの章を読んでつっかえたところがそのつっかえを感じさせなくなった。

これは朝永の『量子力学』I (みすず書房)を読んで行列力学の理解が十分できなかったところが、『量子力学の冒険』でよくわかるようになるかと思って読んだことがあったが、やはり十二分によくはわからないという結論をそのときにはしていた。

だが、今回は昨日も書いたように、第2話の「N. Bohr」のところから読んだので、そのひっかかりは感じなかった。一晩で「W. Heisenberg」のところを読んだわけだが、あまりにも短い時間で読みすぎているかもわからない。もっとゆっくりと読むべき箇所であろう。

昨年のいまごろにも同じように『量子力学の冒険』を読んでいたらしく、同じタイトルでブログを書いていた。

以前の内容を読んでいないが、そんなに内容が異なるはずがない。

私の読書のしかたはいつも問題解決型であって、本の全体を読むということをしていない。必要な箇所を拾い読みするだけである。

これは同じブログでも「とね日記」さんは、本全体を読んで書評をされているので、その書評の重みがまったくちがう。

話をもとにもどすが、『量子力学の冒険』の第4話以降も読んでみたい気がいましているが、今回はその誘惑から逃れたいと思っている。小川修三「量子力学講義ノート」の編集にもどりたいから。

もっともこの『量子力学の冒険』が朝永の『量子力学』(みすず書房)の簡易解読版みたいな書であると感じている。他には、あまり簡易ではないが、朝永の『量子力学』の解読版の書として、土屋秀夫著『朝永の「量子力学」の研究』という大著があることは何回もこのブログで取り上げた。

(付記)『量子力学の冒険』では、記号としてDiracのh(またはh barともいわれる)をつかってほしい。この記号は初心者をちょっとのけぞらすところもあるが、やはり式が簡略に表される。


『量子力学の冒険』

2019-02-08 17:35:47 | 物理学

『量子力学の冒険』(ヒッポファミリクラブ)の第2話「N. Bohr」のところだけ読んだ。

これは第3話「W. Heisenberg」を読む準備のためである。もちろんこの第2話の物理的な付録は読まなかった。

これらはすでに既知のことが大部分だからである。いずれにしてもほぼ第3話の準備ができたので、今晩から明日にかけて、第3話を読むつもりである。

これは他のための準備であることはいうまでもない。読んだところに関して言えば、よく書けていると思う。