[画像]あと3回で終了する「サンデープロジェクト」で、ジャーナリストの田原総一朗さんから励ましの声を受け、神妙に頭を下げた岡田克也外相=放送からキャプチャー
21年間続いた日曜朝の政治討論番組「サンプロ」もあと3回で終了。
3月14日日曜日は、外務大臣になった岡田克也さんが出演し、「核密約」について話しました。
田原総一朗さん(75歳)、岡田克也さん(56歳)。ともに1993年の「宮澤解散」を境に大きく飛躍し、日本を代表する「リーダー」に飛躍した2人。おそらくこれが最後の「サンプロ」になるでしょう。
核密約の話はなかなか難しいようで、私のツイッターにも「ヒトコトでいうとどういうことですか」「メリットとデメリットどちらが大きいのか?」との質問をもらいます。ヒトコトで言うと、「日米同盟のボタンの掛け違いを直す」ということなんでしょう。
なかなか難しい話なので、田原さんは、
「僕は岡田さんを信頼しているから言う。国民が岡田さんの言うことを本当に分かる、と。
『岡田の言うことは分かったんだ』という信頼度をとらなきゃね。」
と話しました。「信なくんば立たず」ということですね。「岡田が言うんだから、そうなんだろう」という信頼度をもっともっと得なくちゃダメだ、というのが田原さんの心の内なんでしょう。
岡田さんは「今田原さんとしているこの議論を避けたいがために、(自民党政権は)密約を認めてこなかったんです。
そこは、こういう(厳しい)議論が出てくることは覚悟しながら、これを明らかにしているわけです」
田原さんは「こういう議論が出てくることを覚悟した上で、岡田さん言った。これは偉いと思う」
としたうえで、終了直前に、
「岡田さん頑張って。岡田さんに期待しているからね。今、民主党いっぱい問題あるんだから」
と言うと、岡田さんは神妙に頭を下げ、コーナーが終わりました。
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サンデープロジェクト(サンプロ)は1989年4月2日から21年間続きました。聞くところでは、CM収入が厳しい昨今、ジャーナリスト・田原総一朗さんのギャラが高額なので、社員アナウンサーの番組に切り替えるとのことのようです。
田原さんと岡田さん。思い出されるのは1993年6月18日の「宮澤嘘つき解散」。
1993年、「総理が語る」の番組上、田原さんは宮澤喜一総理大臣(自民党総裁)から、「政治改革関連法案は、通常国会で必ず成立させます」、「終わってみれば、ああなるほど、宮澤はこういうことを考えていたんだな、という結果にしてみせます」という言質を引き出しました。
結果は大嘘。
岡田さんも今の物静かなイメージとは違い、河村建夫さん、簗瀬進さん、石破茂さんらと、「宮澤邸夜討ち事件」を起こすなど、元気はつらつとしていました。
岡田さんが乗り込んだ船「改革フォーラム21(羽田派)」は敢然と宮澤内閣不信任案に賛成し、自民党を離党し、新生党を結党しました。
中選挙区時代、5人区のビリで初当選した岡田さんですが、国のために政治改革に突き進む姿が共感を呼び、トップ当選で再選。その次から小選挙区になり、野党暮らしが長いのに、毎回断トツの得票率で、7回連続当選しています。
「三重の岡田」から「日本の岡田」になる歴史を語る上で、「田原総一朗」という人物は不可欠。田原さん、21年間お疲れ様でした。
◇
岡田さんは、これに先立つフジテレビ「新報道2001」で、核のイントロダクションをめぐる密約の日米のボタンのかけちがいについて、1991年のブッシュ(父)政権の後は、空母に戦術核兵器が載っていないので、日本への持ち込みはあり得ないと断言。戦略核についても、SLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)などを載せた米軍の潜水艦はすべて日本政府が把握しているので、「来たらすぐに分かる」と述べました。弾道ミサイルは太平洋や大陸を横断する目的の戦略核ですから、朝鮮半島有事で日本に来ることはまずないと思います。
難しい話ですが、岡田さんは毅然とした態度でキッパリと話すので信頼感が持てました。
番組の最後に、トレンド調査(毎週首都圏の500人に対してFNN・産経調査)の結果、次の首相にふさわしい人で、①舛添さん(自民党)、②鳩山総理、③菅副総理に次いで、岡田さんが4位になっていることを聞かれると、民主党代表時代と比べて、「だいぶ落ちましたよね」と語りました。日米安保50年のボタンの掛け違いに関する話ですから、全体的に笑顔は少なかったのですが、ここだけは相好を崩しました。
「今は私は、外務大臣の職責を果たす。
それが日本の国益につながる。
そういう確信の下に。そのことに専念しています」
と断言しました。
NHK日曜討論でも、核密約について、説明しました。
21年間続いた日曜朝の政治討論番組「サンプロ」もあと3回で終了。
3月14日日曜日は、外務大臣になった岡田克也さんが出演し、「核密約」について話しました。
田原総一朗さん(75歳)、岡田克也さん(56歳)。ともに1993年の「宮澤解散」を境に大きく飛躍し、日本を代表する「リーダー」に飛躍した2人。おそらくこれが最後の「サンプロ」になるでしょう。
核密約の話はなかなか難しいようで、私のツイッターにも「ヒトコトでいうとどういうことですか」「メリットとデメリットどちらが大きいのか?」との質問をもらいます。ヒトコトで言うと、「日米同盟のボタンの掛け違いを直す」ということなんでしょう。
なかなか難しい話なので、田原さんは、
「僕は岡田さんを信頼しているから言う。国民が岡田さんの言うことを本当に分かる、と。
『岡田の言うことは分かったんだ』という信頼度をとらなきゃね。」
と話しました。「信なくんば立たず」ということですね。「岡田が言うんだから、そうなんだろう」という信頼度をもっともっと得なくちゃダメだ、というのが田原さんの心の内なんでしょう。
岡田さんは「今田原さんとしているこの議論を避けたいがために、(自民党政権は)密約を認めてこなかったんです。
そこは、こういう(厳しい)議論が出てくることは覚悟しながら、これを明らかにしているわけです」
田原さんは「こういう議論が出てくることを覚悟した上で、岡田さん言った。これは偉いと思う」
としたうえで、終了直前に、
「岡田さん頑張って。岡田さんに期待しているからね。今、民主党いっぱい問題あるんだから」
と言うと、岡田さんは神妙に頭を下げ、コーナーが終わりました。
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サンデープロジェクト(サンプロ)は1989年4月2日から21年間続きました。聞くところでは、CM収入が厳しい昨今、ジャーナリスト・田原総一朗さんのギャラが高額なので、社員アナウンサーの番組に切り替えるとのことのようです。
田原さんと岡田さん。思い出されるのは1993年6月18日の「宮澤嘘つき解散」。
1993年、「総理が語る」の番組上、田原さんは宮澤喜一総理大臣(自民党総裁)から、「政治改革関連法案は、通常国会で必ず成立させます」、「終わってみれば、ああなるほど、宮澤はこういうことを考えていたんだな、という結果にしてみせます」という言質を引き出しました。
結果は大嘘。
岡田さんも今の物静かなイメージとは違い、河村建夫さん、簗瀬進さん、石破茂さんらと、「宮澤邸夜討ち事件」を起こすなど、元気はつらつとしていました。
岡田さんが乗り込んだ船「改革フォーラム21(羽田派)」は敢然と宮澤内閣不信任案に賛成し、自民党を離党し、新生党を結党しました。
中選挙区時代、5人区のビリで初当選した岡田さんですが、国のために政治改革に突き進む姿が共感を呼び、トップ当選で再選。その次から小選挙区になり、野党暮らしが長いのに、毎回断トツの得票率で、7回連続当選しています。
「三重の岡田」から「日本の岡田」になる歴史を語る上で、「田原総一朗」という人物は不可欠。田原さん、21年間お疲れ様でした。
◇
岡田さんは、これに先立つフジテレビ「新報道2001」で、核のイントロダクションをめぐる密約の日米のボタンのかけちがいについて、1991年のブッシュ(父)政権の後は、空母に戦術核兵器が載っていないので、日本への持ち込みはあり得ないと断言。戦略核についても、SLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)などを載せた米軍の潜水艦はすべて日本政府が把握しているので、「来たらすぐに分かる」と述べました。弾道ミサイルは太平洋や大陸を横断する目的の戦略核ですから、朝鮮半島有事で日本に来ることはまずないと思います。
難しい話ですが、岡田さんは毅然とした態度でキッパリと話すので信頼感が持てました。
番組の最後に、トレンド調査(毎週首都圏の500人に対してFNN・産経調査)の結果、次の首相にふさわしい人で、①舛添さん(自民党)、②鳩山総理、③菅副総理に次いで、岡田さんが4位になっていることを聞かれると、民主党代表時代と比べて、「だいぶ落ちましたよね」と語りました。日米安保50年のボタンの掛け違いに関する話ですから、全体的に笑顔は少なかったのですが、ここだけは相好を崩しました。
「今は私は、外務大臣の職責を果たす。
それが日本の国益につながる。
そういう確信の下に。そのことに専念しています」
と断言しました。
NHK日曜討論でも、核密約について、説明しました。