田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

大倉山の秘密

2010-12-13 13:58:17 | 札幌学 & ほっかいどう学
 スキージャンプ競技のメッカとして名高い大倉山ジャンプ競技場にまつわる秘話をいろいろと聞くことができた。大都市札幌の都心からそう離れていないところで国際的なジャンプ競技を観戦できる幸せを感じた。


        
        ※ つい先日大倉山ジャンプ競技場を見物したばかりだったの
         でその写真を借用した。

 12月8日(水)9講目の「ボランティアガイド養成講座」があった。
 この日は「札幌の文化(大倉山)ウィンタースポーツを知る」と題して、札幌ウィンタースポーツミュージアム研究員の山谷和正氏が講師を務めた。

        
        ※ 講師の山谷氏はまだ若い研究員でした。

 話はウィンタースポーツ全般に及んだのだが、その中心は大倉山ジャンプ競技場のことだったので、ここでもそのことを中心にしてレポートすることにする。
 大倉山ジャンプ競技場は1931(昭和6)年に最初の台が完成している。
 その大倉山がジャンプ競技に適していたのは次の7点もの優位な点があったということである。
 ①スロープが南向きでないこと。
 ②風の条件が適していること。(冬期間の風当たりが少ない)
 ③市街地に近いこと。
 ④全長の長さが確保できること。
 ⑤傾斜があること。
 ⑥加工できる土地であること。
 ⑦工事費が少ないこと。
という条件に大倉山は見事合致したということなのだ。

 大倉山ジャンプ台誕生に関わって次のような秘話を紹介された。
 スポーツの宮様として名高かった秩父宮様が来道された折、北海道のスキー界の重鎮だった大野精七博士と懇談する中で秩父宮様が「将来日本でオリンピックを開催するとなれば、雪質が良く、大都市である札幌が一番適当と思う」と話され、そのことが札幌大会招致の端緒となったということだ。
 さらに宮様は「オリンピック用のシャンツェが必要だ。良い場所を見つけ、設計して送ってくれれば私が造れるようお世話をしよう」と述べられたそうだ。
 その後、宮様が大倉喜七郎男爵に口添えされたことによって、資金が提供されジャンプ競技場が完成を見たということだ。(大倉山と命名された由来でもある)

        
      ※ 1972年の札幌冬季オリンピックの聖火リレーに使用されたトーチです。

 大倉山は1931年に完成以来、度々改修され現在のような姿になっているのだが、現在設置されているジャンプ台の器材を持ち込まれてクイズ形式で講師から問われた。
 写真のものは私も現場で見ているので直ぐに分かった。ジャンプ台のランディングバーンに敷かれているマットである。夏期間の雪がないときでもスキージャンプができるようにとこのようなマットが敷き詰められている。
 その名称が面白い。「ラーメン状マット」というそうだ。一本一本の線がわずかに縮れ状になっていて散水したときの水を少しでも留めるための工夫だそうだ。最初に開発されたのは真っ直ぐなものだったので「ソーメン状マット」と称したそうだ。(面白い!)

        

 次の写真のものはまったく分からなかった。写真では分かりづらいかもしれないが、陶器製のものでノルウェーでしか製造されていないということだ。

        

 答えは、ジャンプする前のアプローチに敷かれている部材だということである。名称は「スノーチャイナ」というそうだ。これも雪のないときにスキーを滑らせる工夫である。板状の中に点々が見えるが、水を流したときに水が一気に流れてしまわないための工夫だということだった。

 その他にもいろいろと興味深い話を聞くことができたが、ここでは割愛する。
こうしたことを伺うことによって、ジャンプ競技の観戦がより興味深くなってきた。今シーズンも大倉山に通おうか?(というほど通ってはいないのだが…)