龍馬研究の北海道における第一人者である合田一道氏から話を聞く機会があった。合田氏の古文書(竜馬の手紙)を読み解きながらの講演はいつ聴いても心躍るものがある。今回もまた龍馬の生きた道を興味深く解説してくれた。
北海道生涯学習協会が主催する「『ほっかいどう学』実践講座in札幌①」が12月12日(日)に開催され参加してきました。
メニューは、ノンフィクション作家である合田一道氏の「龍馬が描いた夢・北海道」と題する講演と、二人のほっかいどう学を実践する方の実践発表という内容でした。
ここでは合田氏の講演にかぎりレポートすることにします。
合田氏は演題にもある龍馬と北海道の関わりについても触れましたが、時がNHK大河ドラマの影響もあって龍馬ブームの渦中にあることから、龍馬の手紙をもとに龍馬の生きた道を解説することにその主眼がおかれました。
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龍馬の北海道への夢は大河ドラマの最終回でも、竜馬の口から「北海道を開拓したい」と語らせています。志半ばにして斃れた龍馬に代わって甥の坂本直寛が北見に入って北光社農場を設立したこと、その後浦臼に移って聖園農場の経営にあたったことなど、龍馬の意思が親族によって受け継がれことについて一応の解説がありました。
このことは北海道人にとってはかなり知られている部分です。
合田氏のお話の中で、龍馬が親しくしていた望月清平に書き送った手紙が興味を惹きました。その手紙の内容がウェブ上で見つかりました。(こちらです ⇒)
手紙が書かれたのは龍馬が暗殺された慶応3年11月15日から遡ること僅か一ヶ月前の10月18日付となっています。
その内容からは、龍馬が京都における宿について、土佐屋敷や薩摩藩邸に入ることができず、用心の悪い近江屋(暗殺された宿)に宿をとらねばならない事情を述べ、望月清平が龍馬の宿を心配して周旋してくれていることに感謝の意を書き送っている。
この手紙の内容から、合田氏は「龍馬は追い詰められていたのではないか」と解説します。
薩長同盟を仲介し、大政奉還を成し遂げた龍馬だったが、大政奉還を快く思わない旧幕府勢、大政奉還後の功を狙う薩長勢の間にあって、功を望まず純粋に日本の夜明けを夢見た龍馬はどちらの勢力からもその命を狙われていた節がうかがえます。
そうした状況の中にあって龍馬はあまりにも無用心だったのではないかと思えてなりません。
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古文書を読む素養に欠けている私には、歴史を追いかけることは難しいことですが、これからも古文書を読み解く合田氏のお話を積極的に追いかけたいと思っています。
北海道生涯学習協会が主催する「『ほっかいどう学』実践講座in札幌①」が12月12日(日)に開催され参加してきました。
メニューは、ノンフィクション作家である合田一道氏の「龍馬が描いた夢・北海道」と題する講演と、二人のほっかいどう学を実践する方の実践発表という内容でした。
ここでは合田氏の講演にかぎりレポートすることにします。
合田氏は演題にもある龍馬と北海道の関わりについても触れましたが、時がNHK大河ドラマの影響もあって龍馬ブームの渦中にあることから、龍馬の手紙をもとに龍馬の生きた道を解説することにその主眼がおかれました。
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龍馬の北海道への夢は大河ドラマの最終回でも、竜馬の口から「北海道を開拓したい」と語らせています。志半ばにして斃れた龍馬に代わって甥の坂本直寛が北見に入って北光社農場を設立したこと、その後浦臼に移って聖園農場の経営にあたったことなど、龍馬の意思が親族によって受け継がれことについて一応の解説がありました。
このことは北海道人にとってはかなり知られている部分です。
合田氏のお話の中で、龍馬が親しくしていた望月清平に書き送った手紙が興味を惹きました。その手紙の内容がウェブ上で見つかりました。(こちらです ⇒)
手紙が書かれたのは龍馬が暗殺された慶応3年11月15日から遡ること僅か一ヶ月前の10月18日付となっています。
その内容からは、龍馬が京都における宿について、土佐屋敷や薩摩藩邸に入ることができず、用心の悪い近江屋(暗殺された宿)に宿をとらねばならない事情を述べ、望月清平が龍馬の宿を心配して周旋してくれていることに感謝の意を書き送っている。
この手紙の内容から、合田氏は「龍馬は追い詰められていたのではないか」と解説します。
薩長同盟を仲介し、大政奉還を成し遂げた龍馬だったが、大政奉還を快く思わない旧幕府勢、大政奉還後の功を狙う薩長勢の間にあって、功を望まず純粋に日本の夜明けを夢見た龍馬はどちらの勢力からもその命を狙われていた節がうかがえます。
そうした状況の中にあって龍馬はあまりにも無用心だったのではないかと思えてなりません。
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古文書を読む素養に欠けている私には、歴史を追いかけることは難しいことですが、これからも古文書を読み解く合田氏のお話を積極的に追いかけたいと思っています。