木曽路は水の郷
木曽路の集落に入ると、住民のためか、それとも旅人のためか、数多くの水場が目立ちました。そして集落の水路にはゴーゴーと音を立てて豊かな水が流れていました。私から見ると、木曽路は水の郷そのものでした。
水の郷というと、霞ヶ浦とか、柳川とか、海に近いところを指す場合が多いようです。
しかし、木曽路を旅していると実に水が豊かなことに気付かされます。
集落を歩いていると、ゴーゴーという音をよく耳にしました。その音の源を辿っていくとそこには水が勢いよく流れる水路がありました。
※ このような水路には豊富な水が音を立てて流れていました。
そしてまた、集落には地域の住民のためにか、あるいは旅人のためにか、必ずといって良いほど水飲み場が設けられていました。そこにも豊かな水が惜しげもなく流れ続けていました。
集落によっては太い丸太を切り抜いた水溜があり、それを「水舟」と称しています、「水舟」は江戸時代から受け継がれてきたものだということです。
※ こうして丸太を切り抜いて水溜にしているものを「水舟」というそうです。
なぜ木曽路の山間でこのように水が豊富なのか、素人なりに考えてみました。
日本の湿潤な気候が木曽の山々にたくさんの雨を降らせ、それが沢水や伏流水となって谷を流れ、里の集落を潤しているのではないか、と考えました。集落を潤した水はやがて木曽川に集められているのだと思います。
※ 木曽路の集落のそこここにこうした水飲み場が見られました。
その木曽路の豊富な水に出逢い自由律俳句の俳人として名高い山頭火は「水をのんでは 水をながめては 木曽は花ざかり」と詠んだそうです。
※ 豊かな水はまたこうして水車も回していたようです。
ガイドブックなどではほとんど触れらていないことですが、木曽路を歩いた私には豊富な水に出逢ったことがとても印象に残る光景でした。
※ たくさんあった水飲み場の中にはこうして屋根もない素朴なものもありました。