動き回るKIWIを見た!!
執念の目撃劇だった。
ニュージーランドの国鳥キーウィ(KIWI)を野生で見ることは不可能と言われている。それほど激減してしまっているようだ。
私は旅に発つ前からクイーンズタウンの「キーウィ&バードライフ・パーク(Kiwi & Birdlife Park)」で生きて動き回るキーウィをこの目で見ることを旅の一つの目的にしていた。
※ この円筒形の建物が「Kiwi & Birdlife Park」のエントランスです。
1月29日、私は朝一番で「Kiwi & Birdlife Park」を目ざした。この施設はクイーンズタウンの小高い丘の中腹にユニークな姿で建っている。
開館時間の9時、入場料$38(約3,000円位か)を支払い入場した。
園内を案内する日本語のオーディオガイドを無料で貸与してくれるのは嬉しい措置だ。
いきなり「KIWI HOUSE 1」があった。(KIWI HOUSEには1と2があった)
早速、中へ入ると遮光された暗い空間に暗赤色のライトが点灯している。暗い空間に目が慣れてもガラス越しには何も見えない。しばらくいたが、何も見えない中で他の客も次々とHOUSEを後にするので、私も他のところを見ようとHOUSEを出た。
実は10時から餌付けがあるというので、その時に再び来ると見られると思ったのだ。
※ この建物がキーウィが飼育されている「KIWI HOUSE 1」です。
園内にはニュージーランドでは貴重な鳥たちが飼育されていたが、私にとってはそれほど関心のあるものではなかった。類するものが円山動物園などで見ることができると思われたからだ。また、先住民族マオリのハンティングの道具などを小型化して展示してあったが、それとても私の興味の対象外だった。興味はただ一つ、キーウィの生きた姿を見ることである。
餌付けの10時に再び「KIWI HOUSE 1」に行った。
他の客たちもたくさん詰めかけていた。スタッフが飼育小屋の中に入り、餌を土の中に埋めて、キーウィの出現を待った。臆病だというキーウィが出てきやすいように皆が息を潜めて待った。15分待っても、20分待っても現れない。するとスタッフが我々の前に出てきて長々と説明している。彼女の説明はまったく解せなかったが、おそらく言い訳をしていたのだろう。
待っていた客たちは潮が引くようにHOUSEを出て行った。
※ 「Kiwi & Birdlife Park」のエントランスにはこのようにキーウィが象られていました。
私はあきらめきれずいたが、時計が10時30分を指し、「KIWI HOUSE 2」がオープンする時間と知っていたのでHOUSE 2を覗いてみた。しかし、こちらもキーウィは姿を現してはいなかった。ところがこちらには巣の中に暗視カメラが設置されていて、その様子がモニターに映し出されていた。巣の中ではつがいのキーウィが狭い中で動いていた。
いっこうに巣から出る様子を見せないキーウィをなんとか出そうとスタッフが餌の入った筒を巣の中に持ち込みおびき出そうとした。一羽が巣から出る素振りを見せてカメラから消えたので期待をして待った。ところが間もなくまたカメラの前に現れ、待っていた客たちのため息を誘った。
他の客たちはあきらめてHOUSEを後にしたが、私は一人残ってキーウィが現れるのを待った。何せ、ブログタイトル名を「マルちゃんKIWIの国を往く」と題しただけに目撃しないわけにはいかないのだ…。
※ 私が買い求めたキーウィグッズの一つ、ガラス製のキーウィのつがいです。
とは言いながら、私もしびれを切らしてしまった。まだ見ていない園内を一通りは見ておこうとHOUSEを後にした。しかし落ち着かない。一応園内を一周した後、私はまたHOUSE 2に戻った。HOUSEの中は私一人だった。依然としてキーウィは巣の中に閉じこもったままだった。
何度HOUSEと外を行き来しただろうか…。暗視カメラで動いたところを見ることができたから、それで納得して帰ろうと思うのだが後ろ髪をひかれる思いが募り、どうしてもあきらめることができない。
※ こちらのグッズはコースターよりは大型の鍋敷きでもなるのでしょうか?
何度目の行き来の末だったろうか?
なななんと!キーウィが姿を現したのだ!!
つがいが揃って飼育室の中に出てきたのだ! 長い嘴をあちこちの土に突き刺して餌を探しながら、窓越しに私のすぐ前を歩き回ってくれた!
興奮した私は他の客にも知らせようと外に出たのだが、ちょうどその時、外では園内の鳥を呼び寄せるショーが行われていたので迷惑になると考え止めることにした。
※ オークランドの博物館に展示されていたキーウィの剥製です。
時計を見ると11時半を過ぎていた。入園してから2時間半が経過していた。
文字どおり執念の目撃劇である。
私はようやく納得して「Kiwi & Birdlife Park」を後にしたのだった。