YOSAKOIソーランの話題は時期が違うのではないかと思われるかもしれないが、「さっぽろ雪まつりスペシャルステージ YOSAKOIソーラン」を観る機会があった。そこでYOSAKOIについてちょっと違った角度から考察してみたい。
2月10日(日)ニトリ文化ホールにおいて現在のYOSAKOIソーランを代表する7団体の演舞を披露するステージがあったので入場料1,500円を払い観てみることにした。
出場した団体は、①平岸天神、②夢想漣えさし、③新琴似 天舞龍神、④江別まっことえぇ&北海道情報大学、⑤oh!愛で隊、⑥THE☆北海道医療大学、⑦GOGO’S&クワザワグループの7団体だった。
ステージはYOSAKOIのもつ勇壮さと華やかさが融合した素晴らしい群舞が次々と披露され、あっという間に時間が過ぎて行ってしまった感じだった。
何より素晴らしいと感じたのは、ステージで群舞する踊り手たちの一生懸命さと楽しそうな様子が観ている側に伝わってきたことだ。彼らはステージを降りたら私たち一般人と同じ会社員であり、学生であり、主婦であり、その他さまざまな市井の人たちである。その人たちが光り輝いているのを観ることが楽しかった。
ところで発足から20年を超え(2013年は第22回目)札幌の初夏の祭りとしてすっかり定着した感のあるYOSAKOIソーランだが、この祭りに対しては歓迎派と嫌悪派にはっきりと色分けされるようである。
ある世論調査によると嫌悪派が半数を超えるという調査結果もある。
なぜこれほどまでにYOSAKOIを嫌悪する人が多いのだろうか? 解説によると、その運営方法や商業的手法、参加費の問題、参加者の態度などいろいろと指摘される面もあるようである。
私はここで歓迎派、嫌悪派の論争に加わるつもりはない。
そのことより、YOSAKOIがもたらす「まちおこし」について考えてみたい。
注目するのは、第19回(2010)、20回(2011)と2年連続で大賞受賞に輝いた「夢想漣えさし」のチームである。枝幸町というと道央から遠く離れたオホーツク沿岸に位置する人口8,900人余の小さな町である。
そんな小さな町のチームが札幌市など都市のチームに伍し、堂々と2年続けて最高賞を受賞するには相当な苦労や工夫があったと想像される。
映像を見るかぎり人数的にも都会のチームに負けないほどの人数をようしている。このこと一つ考えても、都会チームにはない苦労があったものと思われる。そして数多くの参加チームの中から最高賞を受賞するために情報も少ない中で質の良い群舞として完成させるための創意工夫にも相当なものがあったと想像される。
こうした取り組みは、もはや「まちおこし」そのものではないか、と私は思うのだ。
少ない人口の中から多くの賛同者を得るために、若者はもちろん、中高年や子どもたちにまで輪を広げて勧誘したことだろう。チームづくりのためにかかる多額の費用を捻出するためにそれこそ地域の人たち一人ひとりの協力を仰いだことと思われる。
「夢想漣えさし」に参加した人たちは大きな自信と生き甲斐を見出したことだろう。そして応援した地域の人たちはおらがチームに大きな誇りを抱いたことだろう。
「まちおこし」…、それは自らが生きる地域に対して誇りを抱き、自ら生きる地域を盛り上げようとする営みだと私は考える。
自分たちがまずは楽しみ、そのことが地域を元気にすることに繋がるとするなら、それは紛れもなく「まちおこし」だと私は思うのだ。
その意味では、「夢想漣えさし」だけではなく、YOSAKOIソーランを演舞することを楽しみ、向上心を抱いて日々練習を積んでいるどのチームも、意識しようが、しまいが立派に「まちおこし」の一翼を担っていると云えるのだと思う。
YOSAKOIソーランが北海道に根付きつつある意味はけっして小さくないはずである。
※「夢想漣えさし」の2011年度の大賞を受賞した際の群舞の動画が こちらから見られます。 ⇒
※また、挿入写真はスペシャルステージが撮影禁止だったため、ウェブページから借用しました。
2月10日(日)ニトリ文化ホールにおいて現在のYOSAKOIソーランを代表する7団体の演舞を披露するステージがあったので入場料1,500円を払い観てみることにした。
出場した団体は、①平岸天神、②夢想漣えさし、③新琴似 天舞龍神、④江別まっことえぇ&北海道情報大学、⑤oh!愛で隊、⑥THE☆北海道医療大学、⑦GOGO’S&クワザワグループの7団体だった。
ステージはYOSAKOIのもつ勇壮さと華やかさが融合した素晴らしい群舞が次々と披露され、あっという間に時間が過ぎて行ってしまった感じだった。
何より素晴らしいと感じたのは、ステージで群舞する踊り手たちの一生懸命さと楽しそうな様子が観ている側に伝わってきたことだ。彼らはステージを降りたら私たち一般人と同じ会社員であり、学生であり、主婦であり、その他さまざまな市井の人たちである。その人たちが光り輝いているのを観ることが楽しかった。
ところで発足から20年を超え(2013年は第22回目)札幌の初夏の祭りとしてすっかり定着した感のあるYOSAKOIソーランだが、この祭りに対しては歓迎派と嫌悪派にはっきりと色分けされるようである。
ある世論調査によると嫌悪派が半数を超えるという調査結果もある。
なぜこれほどまでにYOSAKOIを嫌悪する人が多いのだろうか? 解説によると、その運営方法や商業的手法、参加費の問題、参加者の態度などいろいろと指摘される面もあるようである。
私はここで歓迎派、嫌悪派の論争に加わるつもりはない。
そのことより、YOSAKOIがもたらす「まちおこし」について考えてみたい。
注目するのは、第19回(2010)、20回(2011)と2年連続で大賞受賞に輝いた「夢想漣えさし」のチームである。枝幸町というと道央から遠く離れたオホーツク沿岸に位置する人口8,900人余の小さな町である。
そんな小さな町のチームが札幌市など都市のチームに伍し、堂々と2年続けて最高賞を受賞するには相当な苦労や工夫があったと想像される。
映像を見るかぎり人数的にも都会のチームに負けないほどの人数をようしている。このこと一つ考えても、都会チームにはない苦労があったものと思われる。そして数多くの参加チームの中から最高賞を受賞するために情報も少ない中で質の良い群舞として完成させるための創意工夫にも相当なものがあったと想像される。
こうした取り組みは、もはや「まちおこし」そのものではないか、と私は思うのだ。
少ない人口の中から多くの賛同者を得るために、若者はもちろん、中高年や子どもたちにまで輪を広げて勧誘したことだろう。チームづくりのためにかかる多額の費用を捻出するためにそれこそ地域の人たち一人ひとりの協力を仰いだことと思われる。
「夢想漣えさし」に参加した人たちは大きな自信と生き甲斐を見出したことだろう。そして応援した地域の人たちはおらがチームに大きな誇りを抱いたことだろう。
「まちおこし」…、それは自らが生きる地域に対して誇りを抱き、自ら生きる地域を盛り上げようとする営みだと私は考える。
自分たちがまずは楽しみ、そのことが地域を元気にすることに繋がるとするなら、それは紛れもなく「まちおこし」だと私は思うのだ。
その意味では、「夢想漣えさし」だけではなく、YOSAKOIソーランを演舞することを楽しみ、向上心を抱いて日々練習を積んでいるどのチームも、意識しようが、しまいが立派に「まちおこし」の一翼を担っていると云えるのだと思う。
YOSAKOIソーランが北海道に根付きつつある意味はけっして小さくないはずである。
※「夢想漣えさし」の2011年度の大賞を受賞した際の群舞の動画が こちらから見られます。 ⇒
※また、挿入写真はスペシャルステージが撮影禁止だったため、ウェブページから借用しました。