田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

在スウェーデン大使に彼の国の現状を聴く

2013-02-26 22:53:06 | 講演・講義・フォーラム等
 スウェーデンは私にとって単なる外国の一つではない。遠い昔の話であるが、約三か月半間も滞在した国である。その懐かしのスウェーデンの今の姿を知りたくて在スウェーデン日本大使館の現大使である渡邉芳樹氏の話を聴いた。

          

 渡邉氏は北海道国際交流・協力総合センター(HIECC)が主催する「北方圏講座」の講師として2月21日、北大学術交流会館で講演をした。テーマは「未来のために今日本とスウェーデンが出来ること」と題するお話だった。
 大使の話であるから、どうしても国全体を評するような話が多く、私が期待する街の様子とか、人々の暮らしに関する話は少なかったが、それでも彼の国の様子を興味深く聴くことができた。

 私がスウェーデンに滞在したのは、今から45年も前になる1968年6月半ばから9月いっぱいの3ヶ月半である。そのうち一か月半はスウェーデン国内を旅し、二か月間は首都ストックホルムの郊外のニナサムンという小さな町でアルバイトをした。
 そのニナサムンの町で忘れがたいエピソードがある。知り合いになった会社員のお宅を訪問したときだ。いろいろ話をする中でスウェーデンの高額な税金の話になった。その時、会社員氏は「確かにスウェーデンの税金は高いが、老後を安心して暮らすためには仕方のないことだ」と話をしていたのが印象的だった。確かその頃のスウェーデンでは収入の5割近くをさまざまな形で税金として納入していたように記憶している。

          

 渡邊大使の話では2006年以降に政権を握った中道右派政権は、それまでの政策を軌道修正しつつあるとの話だった。私が滞在していた頃、というよりも長い間スウェーデンは社民党が政権の座にあり、世界に冠たる福祉国家づくり(スウェーデンモデル)を進めていた。
 しかし、社会・時代の変化とともに国民の中に社民党の政策に疑問を呈する層も増えた結果、中道右派の政策が支持され政権が交代したようである。
 渡邊氏はその変化を「『平等と連帯と安心』の政治から『自由と尊厳と責任』の政治へと政治の風景が大きく転換している」と表現した。
 しかしこの表現では具体的にスウェーデンの政治がどう変わったのか明確にイメージできない。そこで誤解を恐れずに渡邊大使の説明を私流に翻訳すれば「高い税率をやや軽減し、国民の生活を国家が厚く保護することから、国民の生活を守りつつイノベーションと競争の原理を取り入れた政治への転換」ということのようだ。          

 大使が強調していたのは、だからといってスウェーデンが「丁度良い中庸の国」を目ざしているのではないということだった。
 大使はそのことを次のように説明している。「スウェーデンは『国家個人主義』と言われるほどの『社会(政治・政府及び国民相互)に対する強い信頼』と『過激なまで個人主義』が共存するという一見矛盾する原理を両立させ、さまざまな困難を乗り越え強靭な対応力で国際経済の激動を乗り切ってきている」と言う。

          

 今スウェーデンの指導者たちは「スウェーデン人は人間か?」という一冊の書籍を国の行方を決める際の指針の一つとしているという。それは厳しくスウェーデンの現状を見つめ、鋭く国の在り方について指摘する内容だということである。
 厳しく自己を見つめつつ、「国家個人主義」を追求する国の姿は、国民性・国の形が違う他国においてそのまま適用できるものではないが、大いに参考になる、と渡邉大使は結んだ。

 1968年当時、私はスウェーデン国内をヒッチハイクで巡って歩いたのだが、他のヨーロッパの国々と比べて、とてもヒッチハイクがし易く、またそこで出会った人のお宅に泊まらせていただいたり、食事をご馳走になったり、と最もたくさんの親切を受けた。それは人々が安心して暮らすことができ、生活に潤いがあるせいだと私は解釈した。
 もし今再びスウェーデンを訪れことができたとしたら、あの頃とスウェーデン人は変わってしまっているのだろうか、それともあの当時のままなのだろうか…。