三谷幸喜の原作・脚本・監督ということでコメディータッチの笑える映画かな?と思いながら観た。豪華キャストを揃え、笑えるところもそれなりにあった映画なのだが…。
役所広司・大泉洋・小日向文世・佐藤浩市・妻夫木聡・浅野忠信・松山ケンイチ・伊勢谷友介・鈴木京香・中谷美紀・剛力彩芽・西田敏行と錚々たるキャスト勢揃いの映画である。他にも天海祐希、中村勘九郎が出ていたらしいが気付かなかった。
今日(11月8日)、ぽっかりとスケジュールが空いたので、賑やかに宣伝攻勢をかけていた三谷映画「清須会議」を観てみようと思い、午後ユナイテッド・シネマに出かけた。最近の私の映画の選択はどうもコマーシャルに左右されている感じがするが、どうしても話題(作られた話題?)の映画は気になるものである。
清須会議はご存じのように、信長亡き後、その後継を巡って清須城において柴田勝家(役所広司)と羽柴秀吉(大泉洋)が虚々実々の駆け引きの末に秀吉が勝家を出し抜いて後継の座を実質的に射止めた会議である。
映画はエンターテイメントとしては十分に楽しむことができた。俳優たちもそれぞれ持ち味を出し、ストーリーも明快だった。
しかし観終えた後、心から楽しめたかというと疑問符を付けざるを得ない。何か物足りなさが残ったというのが正直な気持ちだ。
それは何だったんだろう?と考えてみた。
その理由の第一は、大泉洋演ずる羽柴秀吉である。大泉は実に器用な俳優である。映画においても、テレビにおいても、彼は非常に才能を発揮しているように思えるし、この映画でも十分に監督の期待に応える演技をしていたと思う。
私はむしろその脚本・演出に原因があるのではないかと考えた。この映画における秀吉はその姿恰好からしても道化に徹しながらも、狡猾にしたたかに天下を取りに行った姿を描いていると思った。大泉はそのコミカルさを上手く出していたが、それがどうも中途半端に思えてしまったのだ。表のコミカルさと、裏に回っての狡猾さ、の対比を思い切り演出してほしかったと思ったのだ。
二つの目には、セリフ回しが気になった。俳優たちのセリフに現代的な言い回し方が頻繁に現れるのだ。時代劇とはいっても観る側は現代人なのだから、現代人に通じないようなセリフではもちろん困る。しかし、時代劇調のセリフ回しをしていたかと思ったら、その中に突然今風の言い回しが出てくると観ている方としては興醒めしてしまう。
そしてもう一つ、私には音楽も気になった。コミカルタッチを意識した明るい音楽を選定したと思われるのだが、私には音量が大き過ぎ、ちょっとうるさくさえ感じてしまった。
と重箱の隅を突くようなレポートをしてしまったが、前記したようにエンターテイメント映画としては十分に楽しめる映画である。役所広司の柴田勝家役などは勝家の特徴を見事にとらえた演技と思えるほどハマっていたし…。
まあ、私の期待が大き過ぎた、としておきましょう。