近接する日中韓の三国は政治的には難しい問題を抱えて対峙することが多い。しかし、一方では近隣だからこそ連携できることがあるのではないかと模索する層も存在する。東アジアのメディアについて語り合う今回のシンポジウムも確かにそうした試みの一つに違いない。
※ シンポジウムの一コマとして登壇者同士が討論した様子です。
今回のシンポジウムは日中韓の三国とはいえ、中国についてはやはり文化的にもまだまだ閉ざされている感があり中国について語られたのはごく一部であり、主として語られたのは韓国における日本のメディアの影響についてだった。
私がこの三日間のシンポジウムでメモした量は相当な量である。それを基にレポートするとなると何日もかかってしまうことになる。ここでは三日間のシンポジウムに参加した感想を記すだけに止めたい。
リード文でも触れたが本シンポジウムのねらいは、政治面でギクシャクする三国の関係を、メディアに関係する民間人の側から融和を図りたいという願いが込められているものと解釈した。
その意味において本シンポジウムはそれなりに意義あることと思われるが、一方で本当の文化的融和を実現するためには高いハードルが横たわっていることも実感した。
高いハードルとは…。
それはやはり各国が独自に育んできた文化には、それぞれの国の民族性と、それぞれの国が歩んだ歴史がその背景にはあるということだろう。そこを乗り越え、真の文化的融和を図ることの難しさを実感したということである。
しかし、だからといって怯んでいては何も進まない。メディアの世界においては2001年に「日韓中テレビ制作者フォーラム」という組織が日本の呼びかけで立ち上がったという。思うような交流ができているとは言い難い実状のようだが、そうしたことを一つの突破口として少しでも前進させていただきたいものだ。
シンポジウムの最終日、中国の出版界では高名だという雑誌『新世紀』の主筆で、中山大学メディア学院長の胡舒立氏の話を聞くことができた。
胡氏は中国内の金融界のスキャンダル報道などで大きな反響を呼んだようである。しかし、やはり政治的な報道にはかなりの制限があるような発言だった。
胡氏の発言からは、許容される範囲内で最大限の報道を心がけているようだが、言外に現状に対する歯がゆさが伝わってきた。果たして中国言論界において自由な発言が許される日が来るのは何時のことなのだろうか?
※ 雑誌『新世紀』の主筆 胡舒立氏です。
※ 説明はなかったが、雑誌『新世紀』が報道した金融界のスキャンダルを報じた一頁だと思われます。
面白い発言があった。
それは日本映画と韓国映画の比較についてである。日本映画は国内のマーケットで完結できるので多分に国内向けの制作志向のようだという。
一方、韓国映画は最初から外国のマーケットを意識して制作しているという。この違いが現在の韓国映画の隆盛を産んでいるのかもしれない、と思った。
日本の映画も韓国、中国はもとより諸外国においても反響を呼ぶような映画づくりも必要なのではと思ったのだが…。
ということで、明日はシンポジウムの中で放映された韓国映画『チスル』についてレポートすることにする。
※ シンポジウムの一コマとして登壇者同士が討論した様子です。
今回のシンポジウムは日中韓の三国とはいえ、中国についてはやはり文化的にもまだまだ閉ざされている感があり中国について語られたのはごく一部であり、主として語られたのは韓国における日本のメディアの影響についてだった。
私がこの三日間のシンポジウムでメモした量は相当な量である。それを基にレポートするとなると何日もかかってしまうことになる。ここでは三日間のシンポジウムに参加した感想を記すだけに止めたい。
リード文でも触れたが本シンポジウムのねらいは、政治面でギクシャクする三国の関係を、メディアに関係する民間人の側から融和を図りたいという願いが込められているものと解釈した。
その意味において本シンポジウムはそれなりに意義あることと思われるが、一方で本当の文化的融和を実現するためには高いハードルが横たわっていることも実感した。
高いハードルとは…。
それはやはり各国が独自に育んできた文化には、それぞれの国の民族性と、それぞれの国が歩んだ歴史がその背景にはあるということだろう。そこを乗り越え、真の文化的融和を図ることの難しさを実感したということである。
しかし、だからといって怯んでいては何も進まない。メディアの世界においては2001年に「日韓中テレビ制作者フォーラム」という組織が日本の呼びかけで立ち上がったという。思うような交流ができているとは言い難い実状のようだが、そうしたことを一つの突破口として少しでも前進させていただきたいものだ。
シンポジウムの最終日、中国の出版界では高名だという雑誌『新世紀』の主筆で、中山大学メディア学院長の胡舒立氏の話を聞くことができた。
胡氏は中国内の金融界のスキャンダル報道などで大きな反響を呼んだようである。しかし、やはり政治的な報道にはかなりの制限があるような発言だった。
胡氏の発言からは、許容される範囲内で最大限の報道を心がけているようだが、言外に現状に対する歯がゆさが伝わってきた。果たして中国言論界において自由な発言が許される日が来るのは何時のことなのだろうか?
※ 雑誌『新世紀』の主筆 胡舒立氏です。
※ 説明はなかったが、雑誌『新世紀』が報道した金融界のスキャンダルを報じた一頁だと思われます。
面白い発言があった。
それは日本映画と韓国映画の比較についてである。日本映画は国内のマーケットで完結できるので多分に国内向けの制作志向のようだという。
一方、韓国映画は最初から外国のマーケットを意識して制作しているという。この違いが現在の韓国映画の隆盛を産んでいるのかもしれない、と思った。
日本の映画も韓国、中国はもとより諸外国においても反響を呼ぶような映画づくりも必要なのではと思ったのだが…。
ということで、明日はシンポジウムの中で放映された韓国映画『チスル』についてレポートすることにする。