世界大戦の敗戦により突然故郷を奪われた元樺太居住者たち…。彼らにとって“樺太”は紛れもなく恋い焦がれた「聖地」に違いない。講師は故郷“樺太”に参ずる巡礼者たちに同行しながら彼らにとっての「聖地」を考えた。
※ 講師の宮下教授が訪れた樺太の恵須取(ロシア名:ウルレゴルスク)は黄色の点のところです。
北大公開講座「現代の『聖地巡礼』考」~人はなぜ聖地を目指すのか~」の第四講は11月18日(月)夜、「故郷『樺太』への巡礼者」と題して、北大大学院メディア・コミュニケーション研究院の宮下雅年教授が講師を務めた。
「故郷」という概念は近代日本社会となって生まれた言葉だと宮下氏はいう。それは近代になって人々が“移動”(移り住む)という概念が生まれたことによるらしい。
つまり「故郷」と「郷土」は似て非なる概念だということだ。
「故郷」は生まれた土地から一度離れて、他の土地に暮らしたことがある者にとっての存在であるが、「郷土」は生まれ育ったところから一度も離れずに現に住んでいても、その人にとって郷土は郷土である。
そういえば「故郷は遠きにありて思うもの」という室生犀星の言葉もあった。
ところが「故郷」は空間的隔絶感を伴ったときにはじめて「故郷」になりえるのであって、現代のように気軽に日本中を往来できる時代となっては、「故郷」が無意味化しつつあるのではないかと宮下氏はいう。
それに対して元樺太居住者たちの“樺太”は行きたくとも簡単には行けないところとなってしまった。それこそまさしく本来の意味での「故郷」ではないかという。
その故郷“樺太”への再訪団に宮下氏は一昨年、今夏と二度にわたって同行した。
そこは旧日本領の南樺太でもかなり北上した位置にある恵須取(というところである。恵須取には旧王子製紙恵須取工場があり、たくさんの日本人が居住していたらしい。
工場は恵須取に暮らしていた日本人にとってのシンボルであり、誇りだったそうだ。その旧工場は朽ち果てながらも旧島民たちに語られることを待っているかのようだったと宮下氏はいう。
旧島民たちは1989年に現地に「鎮魂碑」を建立したということで、宮下氏が同行した時、その碑の前で線香を手向ける旧島民の姿を氏が撮影した映像で見せていただいた。
※ ウェブ上から旧王子製紙恵須取工場の写真を捜し出しました。
宮下氏は云う。日本においては社会の変容と共に徐々に「故郷」が喪失していったが、樺太の場合はあっという間に住むところを失い、そこを訪れることもままならない「故郷」になってしまった。それだけに旧島民にとって、樺太はまさに『聖地』そのものとなっていったのだと…。
と講義の内容をまとめみたが、実際の宮下氏の講義はこれほど簡単ではなかった。今回のレポートは私が理解できた範囲においてそれを繋ぎ合わせたに過ぎない。
あるいは宮下氏が伝えようとしていたことに反するような内容になってしまったかもしれないことをお断りしておきます。