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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

環境教育論に物申す

2013-11-18 23:35:49 | 講演・講義・フォーラム等
 理念は語ったけれど、そして授業のイメージは語ったけれど、彼らは具体的な授業論を語ったか? 教育施策立案の中枢にいたと誇らしげに語る講師の言葉に、私は久方ぶりに燃え上ってしまった…。 

 やや時が経ってしまったが、当別エコロジカルコミュニティーが主催する「環境学習会 エコセミナー」の第2回講座が11月6日(水)夜、エルプラザで開催された。
 第2回講座のテーマは「学校と環境教育 ~持続可能な社会を目指す環境教育~」というテーマで、東京学芸大学名誉教授の小澤紀美子氏が務められた。

 小澤氏は言う。
 環境教育とは? 人と人、人と自然、人と文化・歴史、人と地域、人と地球の関係を再構築することであると…。けっして環境問題を教えることではない。教育そのものの在り方を問う教育だ、と…。そうした環境教育を実現する場が「総合的な学習の時間」であるという。

 「総合的な学習の時間」は、これまでの教育の主流だった系統的学習から発見型学習へと転換を図る突破口となるべき教科であると説く。その発見型学習のイメージは〔1+1=2〕の教育ではなく、〔2=?+?〕の教育であるという。
 さらに教育は〔学び方を学ぶ〕のであり、〔~について知る・学ぶ〕ことであり、〔~を通して学ぶ〕ことだという。

 「総合的な学習の時間」は2000年から段階的に学校教育現場で実践されるようになった。
 当時は私もまだまだ現役だったので、学校現場に新しい考え方の、新しい教科が誕生するということで懸命に学び、どのように具体化すべきか研修を重ねたものである。学校において苦慮したことは、行き過ぎた知育偏重の教育の是正を図るという理念は理解できるものの、教科としてどのように授業化していくかということであった。

          
          ※ 私も一時取り組んだ「総合的な学習の時間」における米づくりである。

 最も戸惑ったのは、それまでの各教科には教科書という目ざすべき目標と、そこへ導く道筋が描かれたものが存在していたが、「総合的な学習の時間」にはそれがなかったのだ。具体的な授業案は各々の学校、各々の教師が作れという。具体的な授業像も示さずに…。
 これでは現場が混乱するのは当たり前である。教師の力量も、学校の実態も千差万別である。そこには学校によって、教室によってまったくバラバラな「総合的な学習の時間」が現出したのである。
 中にはもちろん成功事例もあった。しかし総じていえば、児童や生徒にいったいどのような力を育んだのかさえ判然としないようなこととなり、外からの批判が集中した。
 その結果、そうした声に抗しきれず現在は「総合的な学習の時間」は以前と比べて時間数を大幅に削減され、いまや風前の灯の感さえある。

 そうした現状にあって、なお理念を唱え続け、微かな成功事例を挙げて自説を強調する小澤氏の論には到底賛成しかねた。
 行き過ぎた知育偏重の教育は私もけっして賛成するものではない。発見型学習の理念は私も理解できる。しかし理念だけを唱えるだけでは「~の念仏」と違いはない。自ら実践して具体的な授業像を示し、児童や生徒の変容が確かに認められるような仕組み・方法を提示することが何より大切なのではないだろうか?

 教育現場を離れてすでに年数が経ち、いまさら何をか言わんや感もあるのだが…。そうしたこともあり教育に関する発言は極力控えてきたつもりである。しかし、今回の講座を受講して堪らず声を上げてしまった…。