17世紀までのアルプスは人々にとって大地に突き出た醜いものでしかなかったらしい。それが18世紀に入り価値の変容が始まり、ついにはその山岳風景が「聖地」とまで呼ばれるようになったという。その軌跡を追った。
北大公開講座「現代の『聖地巡礼』考」~人はなぜ聖地を目指すのか~」の第二講は10月28日(月)夜、「山岳風景の聖地としてのアルプスの発見」と題して、北大大学院メディア・コミュニケーション研究院教授の西川克之氏が講師を務めた。
※ 私を一週間も留めた有名な「アイガー北壁」です。
アルプスというと、その峻嶮さ、壮麗さ、etc.…、さまざまな形容で称され、今や誰もが憧れる世界の大観光地である。
私も少ない経験ながら、学生時代にヨーロッパを旅したとき、アイガー北壁の麓の村のグリンデルワルトに一週間投宿したり、その後年を経てベルナーオーバーランドやシャモニーでスキーを楽しんだりした経験を持つが、その素晴らしさを一言で言い現わす術を知らないほどのスケールと美しさである。
そのアルプスが17世紀ころまでは「醜いもの、疣、おでき、化物じみた突起物、大地の屑、自然の恥部」などと酷い表現をされていたと知り、驚いた。
そのように人々から忌み嫌われていたアルプスが18世紀に入り、いろいろな方面から新しい見方が出始まったという。
まずは人々の間に「荒涼とした自然景観が精神的再生の源になる」と考える人が出てきた。
そしてロマン派の詩人たちがしだいにアルプスを賛美する詩を発表するようになった。
さらに冒険家たちにとっても未知なる新しい世界を体験したいと考える人たちが出現してきたという。
また科学的学問の分野では「自然神学」(科学と宗教を両立させる思想)という考え方が成立し、その「自然神学」において「人間が探究する価値のない自然などない。したがって、探究すべき対象は無限に拡大する。自然はますます科学的分析や審美的鑑賞の対象になっていく」とする考え方が広まっていったということである。
※ フランス・シャモニーのマチから眺めたモンブランの山群です。
こうしたさまざまな動きによって、18世紀においてアルプスに対する 価値観はすっかり変わってしまった。そして19世紀に入るとその考え方は一般化・大衆化の道を辿ったという。
19世紀中頃になると、急峻なアルプスを目ざす近代的登山が始まり、アルプス観光の大衆化も始まった。1863年にはトマス・クック(イギリス)による初めての団体のスイス旅行が行われたということだ。
現代では冒頭に触れたように、人々にとってアルプスは世界の一大観光地として人々がぜひとも訪れてみたい憧れの地(聖地)となっている。
今回の講座では、人々のモノの味方、考え方が変わることによって、それまで忌み嫌われていたところが「聖地」へと変わっていくことを学んだ。前回の講座では、意図的に「神」を演出した空間として創出し、そこが「聖地」となっていった例をレポートした。
う~ん。「聖地」にもいろいろなケースやパターンがあるようである。