島人(しまんちゅ)との出逢い 3プラス1
今回の旅において私はできるかぎり島の人たちと交流を心がけようと思った。結果、3人の方とは名刺を交換するほど深く話ができ、1人の方には近づきの印にとお土産をいただいてしまった…。
旅に発つ前、私は「旅を豊かにしてくれるのは何といっても土地の人たちとの交流である」と拙ブログに記していた。
そうしたこともあり、私はこれまで以上にその土地の人に問いかけようと心がけた。
島の人たちは私からの問いかけを面倒がることなく、質問したことには丁寧に答えてくれる人たちばかりだった。
そうした中、4人の方々とは深く話をすることができ、私の記憶の中に長く残るのではと思われた。
1人目は旅日記の中でもレポートした大島紬の泥染工芸家の方だった。最初、とても気難しく見えたのだが、話をしているうちにとても情熱的で、心の温かい方であることが分かり、もっともっと話をしていたい気持ちになった方だった。
※ 大島紬泥染公園の全景です。
※ ご夫婦で温かく対応していただいた伝統工芸士の野崎松夫氏です。
2人目が旅日記の中で皆さまにちょっと気をもたせてしまった宇検村での出会いである。
私が宇検村にある「歴史民俗資料館」を訪れたときのことだった。
一人で展示を見ていたときに、清楚な感じの若い女性が展示室にやってきて「何かお聞きになりたいことはありませんか?」と問うた。まだ見始めたばかりで特に質問もなかったので「学芸員の方ですか」と問うと、「そうです」とのことだった。
彼女が「どこからいらしたのですか?」と話しかけてきたので「札幌からです」と答えると、彼女の顔がぱーっと輝いた。「私、北海道出身です!富良野で高校まで育ちました」と答え、二人の間の距離は一挙に縮まったように思えた。
彼女の話によると、富良野の高校から那覇大学を受験し、学芸員の資格を得て、たまたま宇検村の職員(学芸員)に採用されたということだった。現在、学芸員として採用されるケースは非常に難しいと認識している私は「それは良かったですね」と応じると、「遠くに就職することを両親も理解してくれた」と語っていた。
※ 宇検村から瀬戸内町に向かう道路から見えた光景です。遠くには加計呂麻島が見えます。
その後、すでにレポートしたことだが、鹿児島県人としての意識の裏に、今も脈々としてノロ(琉球信仰における女司祭)による祭祀が受け継がれているという事実に、この地方に住む人たちの心根についてレクチャーを受けた。
「ご両親のところには時々帰っていますか?」と問うと、離島からの飛行機代が相当に高価だということで「なかなか帰れない」と嘆いていたが、島の生活の厳しい一面を見た思いだった。
また、わたしが半袖を着ているのを見て「さすがに北海道人ですね。私はこの気温では寒く感じられるようになってしまいました」と笑っていた。
そして最後には「名刺を受取っていただけますか?」と聞かれたので、喜んで名刺を交歓させてもらった。そして「名前は出さないが、出会ったことをウェブ上に公開してよいか?」と問うたところ「名前を出されてもけっこうです。宇検村のことをアピールしてください!」とのことだった。
若いながらも、自治体職員として過疎化する村をなんとか盛り上げたいとする気持ちが彼女の言葉になったのかな、とその健気さに好感がもてた。
3人目は、沖永良部島の「西郷南洲記念館」で私一人に対して実に90分間もレクチャーしてくれた説明員の方である。もうその熱心さには心から頭が下がった。彼にとっては私に説明しただけで、その日の仕事を終えた気分ではなかったろうか?
※ 「西郷南洲記念館」に複製展示されていた西郷と警察官の土持政照が義兄弟の契りを結ぶ情景です。
※ 同じ記念館に展示されていた西郷直筆の書(複製)です。
そしてプラス1は、与論島で宿泊したホテルのオーナーの奥さんである。
彼女も北海道の清里町の出身ということで、北海道からやってきた私にシンパシーを感じていたようだった。少ない時間だったが、何かと彼女の方から話しかけてきてくれ、北海道の話で盛り上がった。また、与論島を巡るにあたっては親切な助言もいただいた。
話をする中で「なぜ与論島に?」という話になった。すると、彼女は清里町から東京に移住し、東京の大学で学んでいたホテルの二代目と知り合い、与論島に来ることになったと語った。
ホテルのオーナーの奥さんにもかかわらずフレンドリーに話しかけてくれ「一日の滞在じゃ足りませんよ。もう一度ゆっくりといらっしゃい」と手土産までくれた彼女も忘れられない存在である。
※ 与論島での宿泊先だった「ホテル青海荘」の建物です。
※ 与論島では写真のような海が全島を取り巻くように広がっていました。
私は帰札した翌日に、札幌の雪景色を写したお礼の葉書を4人の方に送ったのだった。
その他にも、畑の草取りをしていた老婦の方、潮干狩りをしていた婦人、サトウキビ刈りをしていた農家の方、市場のおばあちゃんなどなど、多くの方々と触れ合うことができが、誰もが気安く応えてくれたことが嬉しかった。
ただ、考えてみると取り上げた4人の方は、島に住むごく普通の方とは言い難い方だったとも言える。
本当は島人のごく普通の生活をしている方々と話したかったが敵わなかった。それは今回のような通り過ぎるだけのような旅では難しいということも痛感した。もっとゆったりしたスケジュールの旅でなくてはそれは不可能なのかもしれない。
いつかそんな旅ができたらとも考えるが、今回は今回でたくさんの嬉しい出会いができた旅だったと振り返っている。
※ 野崎松夫氏についてはすでにマスコミなどでも有名な方のようですので、写真とお名前を紹介させていただきました。