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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

奄美群島巡りを終えて 7

2014-03-11 19:48:00 | 道外の旅

鹿児島の銅像

 鹿児島市内にはとにかく銅像が多い。有名な人物の像だけで16体あるという。そのほとんどが幕末から明治にかけて活躍した人物である。それだけ薩摩藩は雄藩として日本の近代化に多くの人材を輩出したということだろう。今回私はそのうちのいくつかを写真に収めてきた。 

 
 最初は旧鶴丸城跡の城内の一角に立つ〔天璋院篤姫〕像である。大河ドラマでもお馴染みのように13代将軍徳川家定の御台所となった方で、薩摩藩から嫁いだ方である。

          
          ※ 天璋院篤姫(1836-1883)の像です。


 続いて鶴丸城跡からそう遠くない鹿児島市立図書館近くのメインストリートに面した
ところ堂々とした姿で立っている〔西郷隆盛〕像である。

          
          ※ 西郷隆盛(1828-1877)の像です。 

 次に〔島津三公〕(島津斉彬、島津久光、島津忠義)の銅像である。この銅像も西郷像から遠くない照国神社に立っているが、斉彬公が照国神社の祭神として照国神社の境内に立っているのに対して、久光公、忠義公は照国神社の境内に続く、隣の探勝園に立てられていた。


               
               ※ 第11代藩主の島津斉彬(1809-1858)の像です。もっとも立派に見えました。

               
               ※ 第12代藩主忠義の父親で実権を振るった島津久光(1817-1887)の像です。

               
               ※ 第12代藩主島津忠義(1840-1897)の像です。彼だけが軍服姿でした。

 続いてはこれまた西郷像の近くに立つ若くして藩の家老職にまで上り詰めた〔小松帯刀〕像である。しかし、帯刀は36歳の若さで夭折している。

               
               ※ 街角に立つ小松帯刀(1835-1870)の像です。短命でした。


 続いては今までの銅像とは少し趣が違うが、鹿児島の〔いろづ〕という繁華街の交差点に立つ〔坂本龍馬とお龍〕の像である。本格的な像は市内天保山町に立っているようだが、平成22年の大河ドラマ「龍馬伝」にちなみ、鹿児島に繁華街に立てられたものということだ。

          
          ※ 寺田屋事件で傷を負った龍馬がお龍と一緒に霧島の温泉に浸かりにきた図です。日本最初の新婚旅行とも言われています。

 そして最後は銅像とは違うが、鹿児島出身のシンガーソングライターの長淵剛が2004年8月、桜島でオールナイトコンサートを催した記念として桜島の溶岩を使用して彫刻家が「叫びの像」を制作・設置したものを紹介します。なかなかインパクトのある長淵に相応しい出来となっているような気がする。

          
          ※ 長淵剛が叫んでる図とギターの彫刻が新鮮です。

 ちょっと悪戯である。桜島の溶岩の上に逞しくも根をおろし、鹿児島市内を眺めている木をおまけとして載っけることにする。

          

 こうして考えると、私は銅像一つをとってみても、まだまだ鹿児島市内を知ったとは言えないのだということをさとらされる。(前回訪れたときに大久保利通の像など何体かは見ているが…)鹿児島は奥が深い…。